第43話 かつての光は今どこに3
一時間もかけて電車通学している人だっているのに、こんなに近くに住んでいる人間が、毎度の如く、ギリギリの駆け込みを披露してくれるのはどうしてなのか。
きっと物理的距離が縮まるほどに、心理的距離が出来上がっていくのだろう。だってあんなにも近くに——実際に肉眼で学校は見えていない——そびえ立っているのだから。
なんて心の中だけで呟く。俺もほとんど同じことをしていたんで、彼女だけを責めるのは難しい。
「チャイム、押さないの?」
唐突に、隣に立つ律からそんな言葉が届いて、思考という逃げ道が塞がれる。
校門から出て十分弱、俺たちは美月の家の前に到着していたのだが、そのインターホンを鳴らすために俺は左手をボタンの前まで持っていって、そのまま静止していた。
「いや、押す」
意を決して、人差し指をぐいっと押し込む。家の中から微かに響いてくる朗らかな音に続いて、すぐ横からブツッというノイズ音が耳に届く。
『今開けるからちょっと待ってて』
その言葉通り、十秒と待たないうちにガチャッ、ガチャッと扉の鍵を開ける音がし始め、中から美月が顔を出した。
「やー二人ともー、ってあれあれぇ? 手なんか繋いじゃって、うちはデートスポットとかじゃないぞ?」
「っ」
ピクリと律が反応する。そういえばそうだったなと思いつつ、握る力を弱めると、律がゆっくりと手を引き抜いた。
「「あ、あははー」」
二人して誤魔化すように笑いながら、俺はズボンで、律はハンカチで、それぞれ手を拭く。校門で手を繋いでから一度も離さなかったため、随分と酷いことになっていた。
「っ。とりあえず、上がって。……ああ私、お菓子とか用意するから、先に私の部屋行っといて」
一瞬、口を開いた美月がすぐに閉口し、そしてまた口を開けて今度はちゃんと声を発すると、そのまま奥へと行ってしまった。
一体、何を言いかけたんだろう。最初、扉を開けてくれた時の美月は、明らかに仮病を使ったことが分かるくらい元気に見えたのに、去り際の彼女は、どこか無理矢理捻りだしたような笑顔をぶら下げている感じだった。
そういえば、月曜日、ここ五日間のうち美月が唯一登校していた日にも、こんな顔を見せていた気がする。
「律。美月の部屋、分かるか?」
美月の様子が気にはなる。だけど、先に、と言っていたくらいだし、腰を据えて聞く機会が今日ちゃんとあるはずだ。ということで、今は追いかけない。
二人そろって靴を脱ぎ、玄関に上がる。
「ああうん、こっち。……あれ、三澄って、美月の家来たことなかったの?」
律に先導され、階段を上がっていく。
「ああ。大体は美月が俺んちに突然来て、って感じだったからな」
わざとらしくもじもじしながら「来ちゃった」なんて言って玄関口に現れ、俺の部屋の漫画を読み漁って帰っていった日なんかもあった。当時は本当に意味不明だったが、今ではなんとなく理解できる。
「美月、三澄にもそういうことしてたのね」
やっぱり、美月は律の家にも突撃していたらしい。
「律はどんな被害に遭った?」
「被害って。まあ、勉強とか色々邪魔されたわね。ああここよ、美月の部屋」
律がノブを捻ってドアを引く。
中は白を基調とした、清潔感のある装いだった。化粧品や衣服など、女子高校生らしさを窺わせるアイテムが散見されるが、雑然といった印象は受けず、さっぱりとしている。
そんな部屋の中央にある白い正方形のテーブルの周りに、俺たちは腰掛けた。
「意外と片付いてるっていうか、なんか物が少ないな。律の部屋とか、もっとごちゃっとしてた」
「あ、あれでもちゃんと片付けてはいるのよ……」
「いらなくなったものはちゃんと捨ててるか? 前行った時なんか、小さくて明らかにもう着れないだろって服がラックに掛けてあったろ」
「あれは別に、いらないものじゃないから……」
「そうなのか? まあ、律が捨てたくないならそれでいいんだけどさ」
しつこくする意味もないので、これくらいにしておく。にしても、着られなくなった衣類を何年もとっておく理由ってなんなんだ。
「はーい、二人ともお待たせー」
部屋の戸がガチャリと開き、飲み物やらお菓子やらを載せたお盆を持つ美月が姿を現した。彼女はそのまま白テーブルに、ドカ、とお盆を置いて、律の対面、俺の左隣に腰を下ろす。
てか、一応お見舞いということで訪ねたはずなのに、何の手土産も持たず、挙句こうしてもてなしてもらっている。もはや迷惑な奴らであった。
「なんか、お菓子多くない?」
律の少し戸惑うような声。見れば、机の上にはお徳用のお菓子のパックが三つ置かれていた。単純計算で一人一袋。食べられない量ではないが、まあ多い。
「え? いやぁ別にたくさんある分には困らないかなって」
美月はそう言いながら一袋開封し、小分けにされた一つを摘まんで袋を破って中身を口の中へ放り込む。
「んー、それもそうね……」
若干、納得がいっていないようであったが、律も開封された袋に手を伸ばす。俺も一個くらいは貰っておくか。
もぐもぐと、チョコレートがあしらわれたそれを咀嚼して、ごくりと飲み込む。
「そういえば美月、玄関のとこでなんか言いかけてたけど、なんだったの?」
「む? んぁーんむんむ……」
彼女の前には、既に空になった袋たちが散らばっていた。こいつ、もう三つ目食べてんのか……。
ぐっと喉を動かし、コップにジュースを注いで一気に呷る。
「いやー、なんていうか、三澄とりっちゃんがとうとう付き合い始めたのかーって思って。でも話し始めると長くなりそうだったから」
「あー、そういうこと。一応言っとくと、俺たち、付き合ってないからな?」
顔を真っ赤にして口をパクパクさせている律は、今はとりあえず放っておく。
「え、そうなの? 手まで繋いでおいて?」
「そうだよ。手だって、恋人同士じゃなくても繋ぐだろ」
「いや繋がないでしょ。私たち、高校生なんだよ?」
「……まあ、そうね」
「まあそうね、じゃないから。いつまでも優柔不断じゃ、りっちゃんかわいそうだよ」
美月には珍しい、真剣な眼差し。すげぇ痛いところを突かれた。致命傷すぎて、文字通りぐうの音も出ない。
「りっちゃんの気持ちはもう分かってるんでしょ? だったら——」
その後も美月の説教は続く。いやほんと結構しっかりと怒られた。彼女の問いかけに対し、「はい」としか答えられないくらいには、がっつりと叱られた。あれ美月って、こんなに人にあれこれ言う人だったっけ。
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