第18話 キャンプ

 空が、徐々に黄昏色へと染まっていく。

 夜が訪れるのは近い。それまでにテントの設営を終わらせたかった。

 ロルフは森の中でも比較的木々の間隔が疎らな拓けた場所を見つけると、ミリアに背負わせたバックパックを地面に降ろし、ひとまず道具を取り出す。

 杭を線で結ぶと長方形になるような四か所に打ち付け、テントの布を括り付けて固定していき、手近な二つの木の枝を、テントをかぶせた紐で結ぶ。すると、程良い位置までテントの布が引き上げられ、三角錐状のテントと呼べるものができあがった。

 こうするだけで、ひとまず雨風をしのげる状態にはなる。


「こいつをもうちょいしっかり固定すりゃ完成だ」

「おお……」

「自分でやってみろ」


 ロルフは紐を取り外して初期状態に戻し、一からやらせてみる。

 しかし、やはりこの手の作業は得意らしい。

 ちなみに右足の捻挫にかけた《治癒》はちゃんと効いているようで、もう歩く分には支障なさそうだった。


「――ご主人さま、いかがでしょうか?」


 手を貸すどころか助言をすることもなく、ミリアはテントの設営を完璧にこなしていた。

 しかも、何なら雑なロルフよりも丁寧に仕上がっている気さえする。


「やったことねえって言ってなかったか?」

「テントの設営のことなら、やったことはありませんでしたが……」


 きょとんとしているミリアを見て、ロルフは頭をかいた。

 そしてテントを囲むような形で、近くの木に順に紐を括り付けて囲んでいく。


「これは、何をしているのでしょうか?」

「陣を作ってんだよ」

「……陣、ですか?」

「魔術を使う時、重要なのはイメージだってのはもう分かるだろ?」


 ロルフの言葉に、ミリアはこくりと頷く。


「でもイメージしにくいものもある。たとえば、効果を及ぼす範囲とかだ。なら、こうやって紐で陣を作り、範囲を視覚的に設定すればいい。何もすべてイメージでやる必要はねえんだ。それで済むなら、詠唱なんてもんはいらねえ」

「……なるほど」

「要するに、この紐で囲った陣内に隠密の魔術を使う。外に音や気配が漏れにくくなる魔術だ。こうやって陣を作ることはイメージの省略であり、イメージしなくても済むということは術式に無駄が少ねえ。だから魔力効率が良いわけだ。分かるか?」

「……は、はい」


 微妙に混乱した顔をしつつも、難しい表情で何とか会話についてくるミリア。


「魔術師が大規模な儀式を行ったりする理由は、想像っていう無駄の多い作業を省略できるからなんだよ。俺がやってるこれも、小規模ながら儀式という枠組みの中には入る」

「魔術的な意味が大きいということでしょうか?」

「そうだ。この森には、まだ遭遇してはねえが魔物も多分棲みついてる。だから、《隠密》っていう陣の中の世界が外の生物には認識し辛くなる魔術を使ってるわけだ」

「この魔術があれば、寝ている時に襲われたりはしないと?」

「高位の魔術師なら簡単に看破できるだろうが、魔物が見破るってことはまずないな。とはいえ……そういう魔術師がたまたまここにいないとも限らねえし、あくまで認識し辛くするだけの魔術だから、そうとう勘が鋭い魔物なら気づかれることもあるかもしれねえ。だから、睡眠は交代制にする。その方が安全だ」

「分かりました」


 ロルフは説明を終えて疲れたように息を吐くと、


 ――影の世界よ、我らを誘え。


 簡易な略式詠唱を唱え、《隠密》の魔術を起動する。

 すると、陣の中の世界が外からは認識し辛くなった。何だか自分の存在感が薄くなったような、そんな奇妙な感覚が体を満たす。魔術が正常に起動している証だった。

 ミリアは不思議そうに周囲をきょろきょろしている。


「陣の外には出るなよ。効果が揺らぐからな」


 ロルフは適当に言いつつ、近くの木の枝を折ったり落ちている木や乾いた草を拾ったりして適当に集めると、魔術で火をつける。ぼう、と炎が音を立てて現れた。

 手ごろな石を持ってきて腰かけると、焚き木をぼんやりと眺める。

 ミリアもロルフの真似をして、対面に座った。そうして、炎を珍しそうに見やる。

 テントの設営をしていたら、気づけば夜になっていた。

 焚き木だけが光源となり、周囲の木々が闇に包まれ見えなくなっていく。


「……夕飯にするか」


 ロルフはバックパックの中から保存食を取り出し、それにかじりつく。

 堅いパンに、チーズ、干し肉と味気ないものだが、旅の最中なので仕方がない。

 パンを水で柔らかくして胃に流し込みつつ、ロルフは対面のミリアをちらりと見る。

 珍しくミリアは食事に興味を示さなかった。普段はあれだけ食欲旺盛だというのに。


「……ご主人さまは」


 すると彼女は、炎の揺らめきを眺めながら、ぽつりと呟いた。


「魔物という存在について、どう考えているのでしょうか?」

「……どう、と言われてもな。人にあだなす、魔力で変異した獣……それが魔物だよ」

「なぜ、魔物は人を襲うのでしょう? たとえ別種でも魔物どうしで争うことは少なく、人間を積極的に襲う理由は何でしょうか? 単に食糧として優秀とか、そういう理由なら分かるのですが……殺すだけ殺して、死体は放置するような魔物も少なくないと聞きます」

「……俺は知らねえよ。魔物や魔力には、まだ謎が多い。むしろ解明されてることの方が少ねえはずだ。ただ……」


 ロルフは煙草に火をつけながら、語る。


「俺の知り合いの魔物学者が言っていた、何の根拠もない学説なら聞いたことがある」

「学説、ですか」

「魔物を形作るのは魔力だ。何かしらの生物が元になり、それに憑依する形だとしても、主体となっているのが魔力なのは変わらねえ。だから、魔物になって急に人を襲うようになるのは、魔力のせいだとそいつは考えていた」

「魔力に、意志があると言うのでしょうか……?」

「魔物を生み出す魔力ってのは、悪い魔力だ。悪い魔力には、人間の怨念……憎しみやら、怒りやら、嫉妬やら……そういった負の感情をありったけ宿らせている。だから、その悪い魔力が何かしらの生物に憑依することで、その生物の意志を汚染するとか何とか……そんな風に聞いたことがある」

「魔物が人を襲う原因が、同じ人間の怨念、ですか……!?」

「仮説だがな。ただ、魔力には想像を現実に変える性質がある。じゃなきゃ魔術師なんてもんは存在しねえ。なら、そういった感情に魔力が汚染されることがあっても、まあ不自然ってほどでもねえはずだ」


 思い返せば、ロルフもそんな風に感じる時は多々ある。

 魔物は時に下卑た笑みを浮かべて人をいたぶり、時に命懸けで殺そうとしてくる。

 割に合わない状況でも、手を引くことは基本ない。

 だから、それは自然の摂理というよりは、憎悪か何かの感情に支配されたものと考えた方が正確な気はしていた。

 あの偏屈な魔物学者は、ロルフのそういった発言にヒントを得て、今も王都で研究を続けているはずだ。


「……あの悪竜も、そうだったのでしょうか?」


 ミリアの呟きに、ロルフは答えなかった。

 脳裏に、黒に染められた禍々しい化け物が過る。

 その瞳は、濁り切った人間の目をしていた。

 絶望の中で、それでも地獄をひた走る人間の目をしていた。

 だから、きっと彼女は。


「……もう遅い。さっさと寝ろ。睡眠は交代制だって言ったろ」


 ロルフは煙草を吸って、ゆっくりと煙を吐き出す。

 あの時のことを思い出すと、不思議と頭痛がロルフを苛むのだ。

 額に右手を当てながら、俯いた状態でロルフは焚き木を眺め続ける。

 対面のミリアは立ち上がった。


「分かりました……」

「時間になったら起こす」


 彼女はこくりと頷き、テント内に入っていく。

 一応バックパックには柔らかい毛布も用意してある。

 気温はそれほど低くはないので、慣れさえすれば十分眠れるはずだ。

 とはいえ野営は今回が初めてのミリアには、少々きついかもしれないが。


「まあ、でもお前もキャンプはいつも嫌がってたな……」


 ロルフのその呟きは、はたして誰に向けられたものだったか。

 ともあれ酒がないことにため息をつきつつ、ロルフは周囲の監視を続けるのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る