第8話 英雄なんかじゃない

 夜。

 冷たい風が、外に出たロルフたちの体を冷ましていく。

 雲一つない空には、星々が輝いていて、その美しさに目を奪われた。

 は、と息を吐く。その息が白くなっていることに気づいた。

 ロルフは隣に立つ少女に目をやると、少しだけ寒そうに手をさすっている。


「……防寒具を買うの忘れてたな」

「いえ、そんなに、寒くないですので」

「めちゃくちゃ寒そうじゃねえか」


 ロルフは呆れたように言うと、自身が纏っていた外套を脱ぎ、乱暴な仕草でミリアに押し付ける。

 目をぱちくりとしていたミリアは、やがてはっとしたようにその外套を受け取った。


「……い、いいのでしょうか? ご主人さまは……」

「俺は酒のせいで体が熱いんだよ。冷めるぐらいでちょうどいい」


 ロルフにそう言われると反論も思い浮かばないのか、ミリアは大人しく外套を纏った。


「大きい……」

「そいつは仕方ねえだろ」

「お酒臭い……」

「うるせえ」

「でも、温かいです。ありがとうございます」

「……おう」


 ロルフがそう言うと、ミリアの視線の温度が僅かに下がる。


「……わたしが感謝する度にいちいち驚かないでください。今のわたしがあなたに返せるものはないのだから、施しを受けたら礼ぐらいは言います」


 ミリアはぶかぶかの外套の位置を調整しながら、


「――そんなに、わたしが怖いのですか?」


 ミリアが硬質な口調で尋ねたその言葉に、ロルフは眉をひそめた。


「……怖い? 俺が、お前を?」

「はい」

「そんなわけねえだろ。酒場で、俺がどんだけ上から講釈垂れたのかもう忘れたのかよ」

「……いえ、すみません。表現が適切ではありませんでした」


 ミリアは頭を下げると、その銀色の髪をさらりと揺らしながら再びロルフの目を見る。

 真っ直ぐに。


「――あなたは、わたしの善意が怖いのではないでしょうか?」


 しばらく沈黙があった。

 ロルフはミリアの言葉を理解できなかったし、またするつもりもなかった。

 ぼう、とロルフは火の魔術を扱い、煙草に火をつける。

 ゆっくりと息を吸い、煙を宙に吐き出す。


「帰るか」

「……はい」


 ロルフとミリアが歩き出したタイミングで、酒場の扉が開いた。

 物音に反応し、何となく振り向くと、そこにいたのは先ほど話題にしていた金髪の美青年だった。彼は焦ったようにきょろきょろと視線を巡らせ、ロルフの姿を見つけると頬を緩ませ、こちらへと近づいてきた。


「――あの」

「ああ……さっきの。弟子の教育のダシに使って悪かったな」

「いえ、それについては気にしていないんですがね」


 美青年は出端を挫くようなロルフの言葉に苦笑すると、


「さっきまで、貴方をどこかで見たことあるような気がしてずっと考えていたんですが、ようやく思い出しました。……それにしても、信じられない思いですが」


 探るような視線をロルフに向けてくる。


「――四英雄の一角。最強の冒険者、ロルフ・アウデンリートですよね?」


 冷静さを保とうとしているものの、僅かに期待と羨望が入り混じったような、そんな声音。

 対するロルフは煙草の煙を吐き出しながら、面倒臭そうに言った。


「人違いだ」

「いいや、僕は一年前まで王都にいた。貴方の顔は知っています」

「じゃあ記憶違いだろうよ」

「……どうして、こんな辺境に身を潜めているんです? 悪竜封印の件を王に報告さえしていれば、貴方の功績なら爵位をもらい受けることすら可能だったはず!」


 面倒な奴を話のダシに使ってしまったと、ロルフは自身の迂闊さを呪った。

 この男はロルフから見ても優秀な魔術師だ。で、あるならば、魔術師たちの都と言っても過言ではない王都出身というのは、不思議でも何でもない。


「貴方は王国を救った英雄だ。あれほどまでに甚大な被害をもたらした最悪の災厄――悪竜を、たった二人の犠牲

・・・・・・・・

だけで封印に成功したんですから。これを英雄と呼ばずに、誰を英雄と――」

「――たった二人?」


 その声音の冷たさに、興奮した様子の美青年も失言に気づいたようだった。

 ハッとした様子で口を押さえ、しかし直後に彼は続ける。


「……いえ、すみません。貴方の仲間に対して失礼でした。しかし、王都の多大な被害を鑑みれば、素晴らしい戦果であることは事実に変わりなく――」

「ご主人さま」


 失言を誤魔化すように美青年がまくし立てると、先ほどのロルフなど比ではないほどに、思わず背筋が怖気立つような感情のない声が耳に届いた。


「行きましょう」


 ミリアの瞳に感情はなかった。

 彼女は虫か何かを見るような視線を一瞬だけ向けると、そのまま歩き去っていく。

 ロルフも煙草を吸うと、ミリアについていくように歩き出した。


「……ああ。最後に一つだけ言っておく」

「……な、何でしょう?」


 彼を歯牙にもかけないロルフたちの態度に、流石に気圧されたようだった。

 そして冷静になると同時に彼は気づく。

 普段、魔術師ならば自然と体に纏っている魔力。

 ロルフが纏っている魔力の流れ、その異常なまでのなだらかさ。

 近くでそれを目の当たりにすれば、彼ほど優秀な魔術師ならば即座に実力差を察する。


「……俺は、本当に英雄なんかじゃない」


 二人の仲間を死なせたただの愚図だ、と。

 吐き捨てるような呟きが、夜風に溶けて消えていった。



 ◇



 自宅に帰りつくと暗がりの中を歩き、暖炉に火をつける。これまでは酒瓶や本などを踏まないように慎重に行なわなければならなかったが、もはやその必要はなかった。

 朝、ミリアが綺麗に掃除をしておいてくれたからだ。

 改めて眺めると、この家の広さがよく分かる。今までは粗雑なものの管理により生活スペースなど皆無に等しかったので、勝手に狭い家だと思い込んでいたロルフである。


「……ご主人さま」


 暖炉の前の椅子に座り、暖まっていたロルフに、後方から声をかけられる。


「今日はこれで終了ということでよろしいのでしょうか?」


 一瞬それが何の話だか分からなかったロルフだが、すぐにそれが魔術の鍛錬についての話だと理解した。


「そう、だな。今日はもう遅い。また明日だな」

「……はい。ところで何か、わたし一人でもできる鍛錬のようなものはありますか?」


 暖炉についた火が、段々と部屋を暖めていく。

 ――焦っているんだろう、とロルフは思った。

 魔力を視認できるようになって、よりロルフとの差を自覚できるようになったからだ。

 今までは現実味がなかった目標に、急に具体性が出てきたような。

 ロルフは四人の中では最も弱かったとはいえ、それでも王国最高峰と呼ばれた冒険者の一角。その実力が、並みの魔術師の比であるはずがない。


(だが……)


 はるか遠い道のりだったとしても、それで諦めるような軽い憎しみではない。

 ミリアが心に抱えているのは、その程度のものではないだろう。

 ゆえに、ミリアは一刻も早く強くなりたいと思っている。

 可能な限り速く、あの世界最悪の災厄――悪竜を討伐するために。


「基本的なことの繰り返しだな。魔力炉から魔力を熾し、魔力を体内外で循環させたり常駐させたり、部分的に集中させたり分散させたり、そういったことを繰り返せ。こういった基本の魔力操作が馬鹿にならねえ。結局、魔術なんてのはどれだけ魔力を上手く扱うかによる面が大きいからな。中堅どまりの連中はみんな、この基礎をおろそかにしている」

「……かしこまりました」


 ミリアが声量こそ変わらないものの、よく聞くとやる気に満ち溢れた声音で返事をした。

 やる気があるに越したことはない。その動機が、どんなものだったとしても。


「さて……よいしょ」


 ミリアがロルフの外套を脱ぎ、ハンガーを使って壁の突起部分にぶら下げた。


「この外套

ローブ

、よく見るとしわだらけ……」


 不満げな調子でそう呟く。

 家事が万能な少女としては、やはり服も綺麗でないと納得できないのだろうか。


(……このあたりは、ノーラとは似ても似つかないな)


 ノーラは剣以外からっきし。はっきり言って生活スキル皆無の少女だった。

 料理をすれば黒焦げの新物質が生み出され、片付けをするとテントが変な方向に折れ曲がる。洗濯をしようとすれば、なぜかボロボロにして帰ってくる。

 あれはそういう女だった。


(……まあ、ノーラがああだったから、妹がこうなのかもしれんが)


 というか、その可能性の方が高そうだ。

 そうでなければ、あのノーラがロルフたちと出会うまで生きていられたわけがない。


「ご主人さま。これ、後で洗濯してもよろしいでしょうか?」

「よく分からんが任せた」

「ご主人さま……」


 ジト目になり、ため息をつくミリアに、適当な調子でロルフは言う。


「いや一応言っとくが、俺はお前の姉とは違って家事ができないわけじゃねえぞ。できるけどやらんだけだ。面倒臭いからな」

「それ、余計に性質が悪いような気がしますけれど」

「冷静に考えろ。ノーラみたいにできもしねえのに善意で出しゃばってくる方がはるかに厄介だ」

「あー……」


 ミリアが当時のことを思い出したのか、遠い目をする。

 どうやら思い当たる節があったらしい。


「……お姉ちゃんは、剣を振るしかできない人でしたから」


 そう。そして、そんな彼女の剣が、人類にとって最強の力だった。

 ――だから彼女に背負わせたのだ。

 王国に住む人々の希望という、一人の少女が背負うには重すぎるものを。


「……たった二人の犠牲、ですか」


 ぽつり、と。

 先ほどの金髪の美青年が口走った言葉を、ミリアはもう一度繰り返す。


「王国の人々にとって、お姉ちゃんはいったい何だったのでしょうか?」


 彼女はロルフの傍に近づいてくると、暖炉の前で立ち止まる。

 薪を犠牲にしてゆらめく炎に、ロルフとミリアはただ目をやり続けた。


「……お姉ちゃんはいったいどんな希望を背負って、誰のために、命を賭して戦ったのでしょうか?」


 ミリアのその質問に、


「知るかよ……そんなの」


 ロルフが答えられる言葉など持ち合わせているはずがなかった。

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