第7話 魔力炉

 場末の酒場にて、ロルフの魔術講義は続く。

 弟子を取ったことは今までなかったが、話を素直に聞いてくれる存在は心地よかった。

 ロルフに後進育成の才能があるかどうかは分からないが、これまでのようにただ堕落した日々を過ごすだけよりも、この少女の成長に懸けるほうがよほどマシだろう。

 おそらくミリアには魔術師としての才能がある。

 そしてロルフには、豊富な戦闘経験から自分なりに組み立てた理論がある。


 ――今では最弱の元奴隷に過ぎないこの少女を、最強の悪竜殺しに成長させる。


 ロルフの口元に、僅かな笑みが浮かんだ。

 たとえどれほどの困難であろうと、やるべき価値があると分かっているからだ。


「急に言われても……どうすればいいのか分かりません」


 ミリアはロルフとカウンター席に座る金髪の美青年を見比べながら、言う。


「お前の魔力炉は他の非魔術師と同様に今はまだ錆びついているが、《強化》やその応用の《霊視》ぐらいなら普段体に流れている少量の魔力だけでも扱える。お前はあいつを見て、何となく強く感じるとさっき言っただろう。それは感覚的に、《霊視》を僅かに使っている証拠だ。だから普段から循環させている魔力が比較的多いあの青年に脅威を感じた。分かるか? すでにそこまで感覚を掴んでいる以上、お前なら難しくはないはずだ」

「……魔術って、そんな簡単に使えるものなのでしょうか?」

「《強化》だって多少は感覚で使える。魔術師じゃなくとも、手練れの兵士になれば本能的に少し体を強化して戦闘していることも珍しくねえ。術式として認識しているわけではない以上、魔術師のそれとは性能は段違いではあるけどな」

「……そういうものなのですね」


 頷くミリアに対してロルフはエールを呑んで一息つくと、自分の頭をトントンと叩いた。


「はい?」

「想像しろ。自己が認識している世界に魔力という新たな要素を加えるんだ」

「……そう簡単に言われても難しいですけれど、分かりました」


 ミリアは深呼吸して、目を閉じる。

 険しい表情で瞑想の真似事を始めた。

 本来、魔力の感覚を掴むためにはかなりの精神的な鍛錬が必要だ。

 たまに生まれつき魔力の感覚を掴み、その制御ができるような桁違いの天才もいるが、少なくともロルフやミリアはそのような例外ではない。

 だからロルフにできるのは、その鍛錬に補助をしてやることだけだ。


「ミリア、今からお前の魔力炉を強制的に熾す。そのとき湧き上がる違和感を忘れるな。それこそが魔力の感覚だ。激流のように流れるその違和感を制御しろ。決して難しいことじゃねえ。そして失敗してもせいぜい少し疲れるだけだ。だから安心して、落ち着いて魔力という荒馬の手綱を握るんだ。いいか?」

「……はい! できるかどうかは分かりませんが、やってみます」


 ミリアはまだあどけない顔立ちに真剣な表情を浮かべ、瞑想を続ける。

 ロルフはゆっくりと息を吐き、魔力炉を熾した。

 心臓部の近くで錬成された魔力を、右手の先へと供給していく。

 今からミリアに対して行うのは、要はショック療法である。

 ミリアの機能していない魔力炉にロルフの魔力を叩きつけ、強制的に起動させる。

 すると半ば暴走気味に錬成された魔力が暴れ狂うので、その感覚を掴みやすいのだ。

 ある意味では反則染みた裏技ではあるが、これによって錆びついていた魔力炉も機能するようになるので一石二鳥のやり方と言えるだろう。

 魔術師育成の風習として語られているが、ロルフの周囲では意外と知られていない。

 単に教えられるまでもなく魔力の感覚を掴んだ正真正銘の天才が多かったからだろう。

 そのことを思い出してロルフは若干萎えつつも、意識を切り替えて集中する。


「行くぞ」


 ロルフは呟き、あくまで無心を意識しながら――ミリアの胸へと手を伸ばした。

 ふにゅ、と柔らかい感触が掌を覆いつくす。


「え……!?」


 瞬時にミリアの瞳が見開かれ、みるみるうちに頬が真っ赤に染まっていく。

 だが別に、ロルフはやましい気持ちで行っているわけではない。

 単に魔力路の位置が心臓部の近くなので、ロルフの魔力で熾すためには手で触れる必要があるだけだ。やましい気持ちで行っているわけではない。

 そうしてロルフは体内から湧き出す生命力を魔力炉に注ぎ込み、魔力を生成。魔力を循環させ右手の先まで持っていくと、一気にミリアの魔力炉へと流し込んだ。

 ミリアの反応は劇的だった。

 ドクン、と一気に循環していく魔力に、ミリアは目を見開いた。


「え……あっ……!」


 体が熱くなっていく感覚に動揺したのだろう。喘ぎのような声が漏れる。


「ご、主人さま……! あっ……!?」

「耐えるだけじゃダメだ。制御しろ。暴れ馬を乗りこなす感覚でやるんだ」

「ん、ぅ……!」


 ミリアの艶めかしい声音に、ロルフも無心になって耐える。


「俺も少し制御に手を貸す。俺の感覚を真似すればいい」


 ミリアはしばらくそうやって呻いていたが、数分経つと荒い息を整え直し、疲れ果てたようにため息をついた。

 ミリアの魔力の流れを覗くと、しっかりと循環させることができている。

 まだまだ扱いは荒いが、たったの数分で魔力の扱い方を覚えたのなら上出来だ。


「どうだ? 何だか体に力が満ちてるような感覚があるだろ?」


 ロルフはミリアの胸から手を離すと、枝豆をつまみながら尋ねた。


「は……あっ……はぁ……っ!」


 ミリアはいまだに少し顔を赤くしながらロルフをジト目で睨もうとしたが、


「……え」


 直後に、慄くように呟いた。

 おそらく魔力の扱い方を学んだことで、本能的にロルフが体に流している魔力量を悟ったのだろう。ロルフも普段は最低限の《強化》を発動できる程度の量だけしか生成していないが、今はミリアの魔力炉を熾すために多めに魔力を生成した。

 だからミリアは多めの魔力による「圧力」のようなものを、俺から感じ取ったのだ。


「そう、ですね……確かに、生きている世界が違うような感覚があります」


 ミリアが言うと、ロルフはちらりと金髪の美青年の方に目を向ける。

 彼は酒を片手に、こちらを驚いたような目で見ていた。

 こんなところで魔力を暴走させている人間がいたからびっくりしたのだろう。

 ……というか、彼以外にも客の大半がこちらを見ているような気はしたが、とりあえず無視した。


「俺とヤツの差が分かるか?」


 ミリアはロルフと金髪の美青年を交互に見比べると、


「顔……ですかね」

「ぶち殺すぞ」


 そういうことではなく、


「さっきも言っただろ。魔力量の差を見極められるか? ってことだ」

「ああ、そうでした」


 ミリアはポン、と手を叩いた。

 そうして難しい表情をして、金髪の美青年をじろじろと眺めた。

 彼はきょとんとしている。「?」が頭に浮かんでいそうな表情だった。

 声は届いていないだろうし、急に少女にじろじろ観察されたら気になるだろう。

 悪いが、少し我慢してくれ――とロルフは思いつつ、


「さっき生成した魔力を、目に集めろ。ただ集めすぎるな。目を《強化》しすぎても酔うからな。割合としては十に対する一ぐらいでいい」

「……はい」


 魔力の感覚さえ分かれば、《霊視》はそこまで難しい魔術ではない。

体に上手く配分し、それを操らなければならない《強化》よりも簡単だ。

 ミリアは、魔力配分の無駄は多いものの、あっさりと《霊視》に成功すると、ロルフと金髪の美青年を交互に観察した。


「……ご主人さまが今宿している魔力が、あの人の三に倍するぐらいでしょうか?」

「だいたい正解だ。よくやった」


 ロルフが褒めると、ミリアは少しだけ得意げな表情をする。


「今、宿している魔力量ってのは、要するに『咄嗟に使える魔力の量』だ。常駐魔力量とか呼ばれてたりする。用心深いヤツほど、この量が多い。生命力を魔力炉に流し込み、魔力を生成するという過程が必要ないわけだからな」

「常駐魔力量は、できるだけ多くしていた方が良さそうですね」

「と、思うだろ。でも魔力は体内に貯め込んでいるだけでも消費されていくものだ。その量が多ければ多いほど、効率が悪くなる。だから普通の魔術師は、まあ奇襲を受けた際、せいぜい一つの魔術を咄嗟の数秒で使える程度の魔力量を常駐させている」

「……なるほど。咄嗟の数秒さえ耐えきれば、後は普通に魔力炉から生成すればいいと考えているからでしょうか?」

「そういうことだ。理解が早いな」


 と、そんな風に言ったところでロルフのジョッキが空になる。

 店員を呼びつけると、先ほど会話した看板娘が何だか怖い顔でやってきた。


「……お客さま?」

「お、おう? どうした? 何か機嫌悪そうだけど?」


 彼女は温度の低い視線でロルフを見やると、目を逸らした。

 その頬はよく見ると僅かに紅潮している。


「……あの、ですね。店内で盛り上がるのはやめていただきたいのですが」

「は?」


 ロルフは不思議そうに首を捻ったが、ミリアは理解しているのか顔を赤くして俯いた。

 数秒ほど考え込むと、先ほどミリアの胸を触っていた光景を思い出す。

 あくまで魔術師としての訓練のためで、やましい気持ちなどなかったが、それは端から見ると――


「い、いや!? そういうことじゃねえぞ!? 勘違いしないでくれ!」

「……何をどう勘違いしろというんですか。その……喘ぎ声まで出させておいて」

「本当だって! ちょっと魔術の訓練をさせてただけだって!」


 今更のように、何だかやけに店内の視線が集まっていた理由に気づく。

 もしや「酒場で急におっぱじめたヤツ」みたいな目で見られていたのだろうか。

 しばらくロルフは弁明していたが、ジト目だった看板娘は疲れたようにため息をついた。


「……はいはい。まあ、そんなところだろうと思っていましたが、今後はよく考えてから行動してくださいね。次やったら追い出しますよ?」

「……はい」


 どちらが客なのか分かったものではない。

 ロルフは悄然とうなだれながら頷いた。


「それで、ご注文は?」

「エール、おかわり」

「……お酒、ちょっと控えるってこの前、言ってましたよね?」

「ご主人さま……」


 二つの冷たい視線で睨まれて、ロルフは「ぐぬぬ」と呻いた。

 せっかく酒場に来たというのに、まだ一杯しか飲んでいない。

 だが視線が痛かった。軽い気持ちで「控える」と言ってしまったのも事実。


「分かった……じゃあ今日はこのぐらいにするか」


 ロルフは頭をかきながら、仕方なさそうに頷いた。

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