君の夢を見よう

渋谷楽

第1話 君の夢を見よう


 薄暗い部屋の中、僕はベッドに体育座りして、服用に際する注意事項が大量に書かれた、ある薬を手に取った。


 17歳。僕以外の同級生が青春を謳歌している中、不登校の僕の楽しみと言えば、これくらいしかなかった。水が入ったペットボトルの蓋を開け、薬を大雑把に手に取った。


 その薬はいわゆる「睡眠薬」だ。一日に服用する数はあらかじめ決められているのだが、今の僕にはそんなことは関係ない。落ちこぼれの僕の「唯一の楽しみ」を奪うのは、たとえ神様であろうと不可能だろう。


「待ってて、今行くから」


 薬を勢いよく口に放り込んだ。次に水を流し込み、固形物が胃に到達したのを感覚で確認すると、闇に溶け込むようにベッドに横になった。


 心地良い闇が僕の意識ごと全身を包み込む。決して表の世界には現れないような、残酷な程暖かい深淵はここにあった。まるで崖から飛び降りるように、人生を諦めたように脱力すると、やがて瞼の奥に一筋の光が見えてくる。


 もうすぐだ、もうすぐ、あの場所に帰れる……


 無意識に手を伸ばすと、その光に包まれる。瞼を開けるとそこには、見ているだけでうっとりとしてしまうような、一面の花畑が広がっている。


「あら、楽人がくと、今日は早かったのね」


 そこに座り、コスモスと戯れている「サキ」は、いつもの尖った声色でそう言ってくれる。後ろに一本で纏めた銀髪は風に靡いて美しく、エメラルド色の瞳は、白い肌と黒いドレスによってさらにその存在を強調されている。


「うん、ちょっと、サキに会いたくなって」


「夢の中」でなら僕は、普通に受け答えすることができた。穏やかな気持ちで微笑むと、足元の花を労わるように一歩目を踏み出した。


 ここは、「明晰夢」と呼ばれる、僕の夢の中の世界。


 退屈な日常を、理想的な毎日に変える、魔法の世界だった。






「んで、何か嫌なことでもあったわけ?」


 サキがいつにも増して不機嫌なのは、恐らく僕が開口一番におかしなことを言ったからだろう。僕の精神状態の悪さを疑うように彼女は、腕を組んで、花を見ている僕を見下ろすようにそう問いかける。


「いいや、特に」


「じゃあ、今日は特別気分が悪かったのね」


「そういうわけでも」


「それなら、あんた、学校は行かなくていいの?」


 適当に流していたら、痛いところを突かれてしまった。苦笑いを浮かべると、空を見上げるように大の字で寝そべった。


「学校は退屈だから行きたくないよ。たとえ行っても、僕みたいなのは後ろ指さされるだけだ」


 僕がそう言うと、サキは心底不思議そうに首を傾げる。


「そう? あんた、別に容姿は悪くないと思うけど? 髪整えればそれなりにはなると思うし」


「容姿の問題じゃないんだよ。そういうキャラになったらもうダメなんだ。あいつは学校に中々来ない。友達も少ない。そいつが珍しく学校に来た。おいおい皆見てみろよ、となるわけだ」


「好奇の目を向けられるのが嫌だと」


「それを避けるために青春を棒に振るくらいには」


「人間社会の仕組みは複雑ね」


 そう、サキはその実、現実世界に生きる人間ではない。僕の夢の中にいる住人、いわば「夢人」の類だ。普段僕の頭の中に住んでいる彼女は、僕が明晰夢を訪れた際に「サポーター」として僕の冒険の手伝いをしてくれていた。


 そして、時には僕の「話し相手」もしてくれる。


「だから、目を閉じて君に会いに来た」


「あんた、よくそんなこっぱずかしいこと、真顔で言えるわよね」


「本心を隠す必要は無いと思ってる」


「大体あんた、趣味とか無いの? だからいつも退屈してるんじゃないの?」


「趣味、ねえ」


 大体いつも、ゲームをしているか小説や漫画を読んでいるかだ。そしてたまに睡眠薬を多めに貰い、夢の世界に落ちる。


「サキと話すことくらいしか無いかな」


「……また、そういうこと言う」


 サキは悪態をつきながら僕の隣に座る。その華奢な手を、そっと握った。


「ずっと、ここにいられれば良いのに」


「……駄目よ。あんたは現実世界の人間なんだから、現実に帰らなきゃ」


「……でも、狭い世界は、嫌だなぁ」


 そう言ってサキの手を少し強く握ると、サキは身体をビクッと跳ねさせ、咄嗟に手を解く。そして、そっぽを向いたまま、ぽつぽつと話し始めた。


「実は、この世界に、ガタが来てるの」


「え?」


 サキは、握られていた手を胸に寄せ、繊細な石細工を削るように話し始める。


「わからない? あんた、明晰夢見すぎなのよ。あんたの脳が、悲鳴を上げ始めてる。睡眠サイクルがぐちゃぐちゃになって、この世界の膨大な情報を処理できなくなってきてる」


「……どうすればいい?」


「もう、この世界を閉じるしかないわよ」


「そ、そんな」


 堪らず起き上がると、サキはそっぽを向いた。


「仕方ないじゃない。人間をサポートするのがあたしたちの仕事なのであって、人間を殺すのがあたしたちの仕事じゃない」


「僕は、僕は一体どうすればいいんだよ!? この場所が無くなったら、僕……」


「大体あんたねぇ!」


 サキは突然立ち上がり、僕に鋭い視線を向ける。


「現実に住む人間のくせに、どんな頻度でここに来てるのよ!? そんなに現実を見たくないなら、あたしがあんたと変わってやりたいくらいよ!」


「な、何!? そりゃ、僕だって本当は現実を見て生きていきたいけど、それができたら苦労ないよ」


「だからあんたはいつまで経ってもダメなのよ。早く現実に帰りなさい」


「そ、そんな、待ってよ! ねえ!」


 サキはそれだけ言い残し、飄々と歩いていく。その背中を追うより最初に、まるでこの世界のフレームを縁取るような、朧気だが確かな存在感のある闇に囲まれていく。


 僕の意識はまるで小石のように乱暴に蹴飛ばされ、弾かれた先ではサキのいる明晰夢世界を、まるで映画を見る時のように見守ることしかできない。


 目が覚めた時、僕は無意識に右手を天に向けて伸ばしていた。


「も、戻らなきゃ、僕には、あそこしか居場所が無いんだ」


 目を瞑り、明晰夢に行こうとする。


 それを、もう何十回と繰り返しただろうか。睡眠だけはしっかりと取っていたため、明晰夢で疲れ切った脳は少しづつ回復してきているようだ。


「ここが、現実なら、サキの居場所は、どこにあるのだろうか」


 僕はベッドから降りる。もう何か月も使っていない勉強机の埃を拭い、汚れたノートを手に取ると、絵柄の剥がれたシャーペンを握った。


「頭の中には、サキとの思い出が沢山あるんだ。忘れたくない。この世界に、無かったことにされたくない」


 衰弱しきった腕でも、辛うじて文字は書けるようだ。震える手で、タイトル欄にシャーペンの芯をつけた。


「こうすれば、一生、忘れることはない」






       君の夢を見よう


         渋谷楽






 作家名は名前からとった。太陽が昇りきっても、月がこの国を支配しても、僕は、一心不乱にサキの笑顔を書き続けた。


 書いて、書いて、疲れ果てて眠ってしまっていたらしい。頬を滑る優しい風に、足元をくすぐるような花畑に、君は、僕を見て微笑んでいるような気がしたのだった。



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