幻影奇譚
蘭歌
開口一番
「おい、それ以上は行かねェほうが良いよォ。いっちまったら、まともにゃかえって来られなくならァ」
私がはじめてその男と会ったのは、仲間たちと行った墓場での肝試しだった。その時の男の格好は、銀鼠の着流しに一本歯の下駄、手に燈籠をもって、暗がりから現れたものだから、一瞬本当に出たのかと思った。けれども、明かりに照らされる顔は言葉遣いに対して、不釣り合いなほど幼くて、私たちはみな、子供の言うことなど怖くないと嗤ったのだ。
「ま、信じねェってなら、それでも良いがね。あたしゃ忠告したからな。後ァ知らねェよ」
男は逆に嘲笑う様にして、そのまま行ってしまう。なにかそれが不気味に感じて、私は結局その先へは進まなかった。私のことを臆病者と嗤った仲間は、みな死体か廃人となって帰ってきた。
男の言った通りだったのだ。
その次に男を見たのは、その一件以降沈みこむ私を見かねた友人が、連れていってくれた寄席だった。子供のような見かけで、淡々と言葉を紡ぐ。若いけれど、怪談噺の名手とも言われてると、解説する友人は、その噺家が贔屓らしい。
そうして、数日後。私はその噺家の家の前にいる。深川区石島町のとある長屋の一番端。噺家と言うのは、ボロ長屋に住んでいると思っていたが、想像よりも小綺麗なそこを、暫し眺める。
と、足元から鈴の音がした。視線を下ろすと三毛猫と目があう。胡乱げにも見える視線を向けていた猫は、なんと、自分でその部屋の引き戸を開け、なかにはいるとご丁寧にきっちりと閉めていてた。思わず呆然と戸を眺めていれば、再び戸が開く。やはり開けたのは猫だ。
入れとでも言うように、一声鳴いて上がり框に座った猫の向こう。四畳ほどの部屋のなかには、あのときと同じ銀鼠の背中。ここで引いたら男が廃ると、に踏み込み、上がろうとした足を、思い切り猫に叩かれる。戸ぐらい閉めろと言いたげな鳴き声に、少しムッとしながらも閉めてやれば、鼻で笑うようなしぐさをしてから、道を開けた。
部屋のなかは、表と違い畳一面に紙が散らばり、どれも癖のある字が踊っている。壁に向きあうように置かれた文机に向かうのは、件の噺家だ。改めてみると、線は細く、一四,五歳と言っても誰も不審に思わないだろう。けれども、この見かけで今年二十一。席亭推薦で真打に大抜擢された実力派なのだという。
「お仲間は、残念だったなァ。聞いたよ」
噺家は振り返りもせず、クックッ、と笑い、開口一番そう言った。なぜ、それを知っているのか。あの一件は、悲惨だからと関係者に箝口令が敷かれているはずだ。それを、誰に聞いたと言うのか。
「あァ?死んだやつらと、殺した奴さ。彼奴ァ、あの墓場に住み着いててよォ。普段は穏やかなんだが、静寂を乱す相手にゃァ気が荒くならァ。アンタらの行為は、彼奴が嫌う行為なんで、あたしゃちゃんと忠告したさァな。無視したのは、アンタらだ。そこまではあたしだって責任もちゃしねェよ」
ぐうの音もでない。噺家が言うことはもっともだ。だが、だからといって、はいそうですか、となるほど私は大人でなかった。言うなれば、なんでもいいから八つ当たりをしたい。そも、殺した犯人を知っているなら。
「知っちゃァいるよ。でもなァ。けーさつだって、幽霊までは捕まえやしねェやな」
そんなもの、いるはずがない。生きている人間か野犬がやったことだ、と主張すれば、噺家はフン、と鼻を鳴らす。
そうしてやっと振り返ったその、右目を見て思わず息を飲む。片眼鏡越しの、鮮やかな紫。この前高座で見たときは、黒だったはずだ。
「肝試しやりに行った奴にゃァ言われたかねェよ。そも、人間がどうやって、他人の喉やら腹やら喰い千切るってんだ。野犬にしちゃァ、鋭すぎる、大きすぎる喰い跡をどう説明するってんだ。ありゃァ、さっきも言ったがあすこに住み着いてる、墓守犬だ。あーた、それをそっくりそのまま、他人に言うのか?」
再び、ぐうの音がでなくなり黙りこめば、噺家はケラケラと笑う。ささやかに睨み付けて、右目が黒いことに気づいた。さっきの紫は、錯覚だったのだろうか。
「まァ、わかったらさっさとけェりな。これでもこっちゃァ、忙しいんだ」
ヒラヒラと手を振って追い払うようにして、噺家はまた文机のほうを向いてしまう。悔しいながら、私は彼に興味を持ってしまった。このまま、はいさようなら、とするのは、ものすごく惜しい。気づけば私は、目の前の噺家へ暫く観察したいと言っていた。
当然ながら、そんな言い方をすれば、良いといわれるわけもなく。弟子をとる気もなければ、鞄持ちなんかの付き人もいらないと、追い払われる。それでも食い下がり、押し問答を繰り返し、先に折れたのは噺家だった。
「ったくしゃァねェなァ……。わかったわかった。好きにすりゃァいい。だが、給金やら、住む場所やらの世話は求めんなよ。あたしだって、カツカツなんだ」
そもそも私の家は、佃島にある。そこからここまでは、自転車を使えば大した距離ではない。もとより通うつもりであったし、あくまで自分の興味であり金が欲しいわけではないので、その事を言えば、噺家は面白くないのか何なのか、またふん、と鼻を鳴らす。
一応礼儀として名を名乗れば、噺家はまたヒラヒラと手を振った。
「お前さんの名前なんざァ、興味もねェや」
その言葉を最後に、今度こそなぜか猫に追い立てられ、外へと出ざるを得なくなった。こうして私は、無明のもとへと通うことになったのである。
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