第432話 甘いハニートラップに負けるな蓮見!


 昨日の一件で妙なやる気と自信が湧いた蓮見は初日と比べるとイベントに対して前向きな姿勢を見せる。

 これはこれで良くも悪くもないのだが、やはりお化け屋敷と言うだけあって少しでも気を抜いたりネガティブ状態になると一気にテンションがた落ちなんてこともありえなくはない。つまるところ情緒不安定。だけどそれを周りに悟られるわけにはいかない。今の蓮見に心理戦を戦える気力は既にない。あるのは空元気だけ。見た目と中身がリンクしない男は微かに聞こえ始めた足音に耳を傾ける。


「……ん? だれか鼻歌を歌って近づいてくる。それにこの足音はスキップ……でもしてるのか」


 最終日はプレイヤーKillも可能となっている。

 その中でわざわざ相手に見つからないよう気配を消すのではなく、まるで気付いてくれと言わんばかりの鼻歌と足音。

 それは徐々に近づき、蓮見がいる書物庫の近くまでやってくる。

 今から扉を出ても見つかると考えた蓮見はブルーとイエローとアイコンタクトだけで意思疎通をして素早く本棚の裏、書斎の机の下、部屋の奥隅へと隠れる。

 幾らやせ我慢かつテンションが高い蓮見といえど、それはあくまで調子に乗り始めた時に真価を発揮するだけであって、それまではどちらかと言うとまだ一般プレイヤーより。そのため、ここは慎重になる。まだイベントが始まって数分。ここは焦る場面ではないと珍しく脳が判断したからだ。


「……ったら~ら~、ったったったたっら~♪」


 そんな鼻歌が扉の外から聞こえてくる。

 それにこれはよく聞き覚えのある声だな、と内心思っていると。


 ――ガチャ!


 勢いよく扉が開き、


「く~れ~な~い~く~ん~あ~そ~び~ま~しょ♪」


 と愉快な声が部屋の中へと響いた。

 神災竜として数多くのプレイヤーに恐怖を突き付けた。

 それも一方的に。

 そんな存在の根源である三人の背中に汗が流れる。

 妙に変な小悪魔スイッチが入ったとても可愛い女の子。

 見た目は童顔でありながら胸は大きい。

 腕や足は細く、出る所は出ていると正に高得点。

 なによりその笑顔は見る者を惹きつける甘美な魔を秘めている。


「……あれ? おかしいな……里美ちゃんセンサーではこの部屋に紅がいるってなってたんだけどな……」


 表情から笑顔が消える。

 そして書物庫全体に視線を飛ばす。

 が、隠れている蓮見はちょうどその位置からでは視認できない。

 首を捻り「ん~、可笑しいな」と呟く美紀。

 対して蓮見は「なんだよ、その恐いセンサーは!」と背中に汗を流し、震えはじめた手を必死に抑え、息を殺し身を潜める。


 吐息一つでも下手したら死に繋がる。

 大袈裟かと思うがそうじゃない。

 理屈じゃなく、本当に身体が直感で感じ取った。


「「「…………」」」


 数多くの神災をまき散らし今では数多くのプレイヤーたちから恐れられつつも尊敬もされる存在にまでなった蓮見でも絶対に手を出してはいけない者たちがいる。今まではその場のノリで何とかしてきたが、こんな狭い空間では手も足もでないどころか地べた這いずり回って逃げることすらできない。それに今日に限って妙に楽しそうな美紀の声がなにより恐い。手に持っている槍の先端が書物庫を照らす薄暗い灯りを反射させる。それがまたいつも以上に見慣れた槍の怖さを教えてくれる。あの槍に一体どれだけ多くの血が流れる結果となったのか、それは考えるまでもない。

 次は自分かも知れない、そう思うだけで今は隠れてやり過ごすが正解だと三者三様で完全一致。意思疎通をしなくても誰一人立ち向かおうとは微塵も思わない。


「「「…………」」」

(((た、頼む……早くどこかにいってくれ……)))


 今だけは見逃してくれ、と心の中で切実に願う蓮見三人。

 昨日は完全逆だった為にここに来てついに相手の気持ちを理解した蓮見。


(せめて、俺が完全体全力アサシンになるまでは……戦いたくない) 


「くれない~本当にいないの~? 今なら少しだけおっぱい触らせてあげるからいるなら出て来てよ~」


 甘い誘惑に蓮見の身体がピクッと反応する。

 だが、甘い!

 今の美紀はいつもの美紀じゃなくて小悪魔美紀であることを。

 そのため、歯を食いしばりながらなんとかその場で耐える。

 これは罠だ!

 と頭と理性がそう言い聞かせ、本能に忠実となった身体を後少しの所で踏みとどまらせる。


「……チッ、本当にいないのか。仕方ない、次行くか。ったったったたっら~♪」


 扉が閉まり、また変な鼻歌と共に美紀が去っていった。

 たったの数分がこんなに長く感じたのは初めてだった蓮見。

 それからしばらく隠れたまま様子を見たがどうやら本当に何処かに行ったらしい。

 美紀が戻ってくる様子は今のところない。


 ようやく安堵のため息をと思い、隠れていた場所から出ようとしたその時だった。

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