CHAIN_49 水と油
「あ、ありがとう……」
彼女はその手を取って立ち上がる。途中で足の痛みに顔を歪ませた。
「まだ痛む?」
「ええ。不思議なことに今も。本来なら痛覚機能は遮断されているはずなのに。こうなると現実世界の身体が心配です」
「確かにそうだな」
そう言うツナグも未だに引っかかれた痛みを感じていた。
デントの試合でも痛みは感じる。でもそれは格闘技として成立するのに必要最低限な痛みで瞬間的なもの。このように後を引く痛みは普通じゃない。
「それじゃ歩きにくいだろ。肩貸すよ」
「……感謝します」
手がかりがないまま二人は施設のポータルゲートまでやってきた。物は試しとゲートに入ってみるもやはり作動しない。
「どうにかならないか?」とツナグが呼びかけると、
「ゲートに潜ってみるわ。ちょっと待ってて」
体から出てきたリンはゲートに飛び込んでその姿を消した。
「あなた、誰と喋ってるの?」
「ああ、独り言。気にしなくていいよ」
リンと話しているとよく奇異の目を向けられる。面倒なのでもう独り言で通していた。
しばらくするとゲートの輪郭がほのかに輝き始めた。それに合わせてシステムの動作音も正常に戻った。
「うまくいったよっ!」とゲートからひょっこり顔を出したリン。
ツナグはよくやったと目で伝えて、
「さあ、帰ろう。元の世界へ」
今度は女の子に向けて言った。
「待って。その前にあなたの名前を」
「ああ、俺? 望美ツナグ。
「……望美ツナグ。覚えました。向こうの世界でもぜひお会いしたいわ。私を助けにきてくれた時のあなた、まるで王子様みたいでとても勇ましかった」
「あのなあ、大袈裟だって」
お芝居のような台詞に照れ臭くなってツナグはさっさとゲートの中に入った。
「じゃあまたな。念のため病院には行っておけよ」
「あ、待って。まだ私の名前」
彼女が名乗る前にツナグは電脳街へと飛んだ。周囲の景色が変わったことを確認してからログアウト。現実世界へ帰還した。
「……ふう」
意識が浮上する。息を吐いて引っかかれた場所を触ってみるとまだその痛みが残っていた。外傷は見当たらない。
DIVEから出ると外でアイサが待っていた。
「ツナグ! なかなか帰ってこないから心配したよ」
「ちょっとトラブルがあってさ。戻ってこられなかった」
「どうしたの?」
「閉じ込められたんだよ。そしたら化け物と女の子がいて」
「はあ? どういうこと?」
大雑把な説明にアイサは困り顔。眉間にしわを寄せている。
「あとでちゃんと説明するよ」
喉が渇いたツナグはそう告げて飲み物を取りにいった。
「……はあ」
冷たい水が美味しい。緊張の糸が切れてようやく実感が湧いてくる。
あれはいったい何だったんだろう、と。
「ツナグ、大丈夫?」
「大丈夫。お前には助けられたよ」
「へへへっ! もっと褒めてっ!」
「サンキュー。お前がいなかったら正直ヤバかった」
「えへへ」
リンはとびっきりの笑顔を見せて嬉しそうに飛び回った。
忘れがちだが彼女は人工知能。今はまだ人間の真似事をしているだけ。完全に理解しているわけではない。でもその学習速度は凄まじく日々進化している。
それからツナグはアイサに連れられて繁華街のほうへ。
「はあ、空気が美味しい。やっぱり私こっちのほうが好き。あっちは息が詰まる感じがしてちょっと疲れる……」
「気持ちは分かるけどな。そのうち慣れるさ」
「そうだといいんだけど。だってまだ始めてすらいないのよ」
そう言ってアイサは肩を落とした。ツナグができるのなら自分も楽勝だと自惚れていた。
暇つぶしができる場所を探して繁華街を歩いていると、顔見知りに出くわした。
「やあ、奇遇だね」
その男を見たアイサは目を見開いて、
「あっ! ツナグストーカー!」と言いつつ指を差した。
「その言い方はやめてもらいたい。たまたま見かけたから声をかけただけで」
男はサングラスを外して素顔を晒した。女性受けが良さそうな甘いマスクにすらりとした体型。
「こんなところで何をしてるんだよ。
「今度のシーズン予選に向けてのイメージトレーニング中さ。望美ツナグ」
互いに名前を呼び合う二人。ヒサメはツナグのことをライバル視していて何かと理由をつけては目の前に姿を現していた。
そんな彼はデントの実力者で氷帝と通り名を付けられるほどの有名人。連日注目のユースプレイヤーとして特集されていた。
「どんな方式であれ君とマッチングできることを期待しているよ」
「はあ……だといいな」
ため息をつくツナグ。同級生で実力十分のデントプレイヤー。ライバルとしては申し分ないのだがやや面倒臭い性格をしていた。
「……そうだ。なあ、一つ聞きたいことがある」
ふと何かを思いついたツナグにヒサメは「なんだい?」と言って近づいた。
「ツナグにそれ以上近づかないで」
が、アイサが目の前に立ち塞がった。
「君の許可は必要ないだろう」
「幼馴染みの私を通してもらわないと」
「幼馴染み? そんなものはただの記号にすぎないよ。僕と彼はデントという名の糸で結ばれている」
「そ、それなら私だって!」
「君もデントを?」と目を丸くしたヒサメ。
「デントを……始めるつもり」
「はははっ。まだ始めてもいないじゃないか」
「私が本気になったらあんたなんかすぐにやっつけられるわよ!」
「……試してみるかい?」
ヒサメが不敵に笑う。それに氷帝の本気を垣間見た。
「二人とももういいって」
うんざりした顔のツナグが二人の間に割って入る。
「聞きたいことってのは電脳世界についてだ。お前たぶん詳しいだろ」
「いかにも。立ち方を覚えて歩き始めた頃から親しんでいるからね。それで?」
「今まで後を引く痛みを感じたことはあるか?」
「ないね。デントの試合でも一時的なもので後に残るような痛みはない」
「そうか。なら空間がロックダウンして閉じ込められたことは? ゲートはもちろんログアウトやテレポートも使えない」
「それもないね。万が一そんなことが起きたら一大事だ。意識が取り残されたまま身体は植物状態ということになる」
ヒサメの言う通りだった。もしもあの時リンの助けがなければ本当の意味で未帰還者になっていたかもしれない。
ツナグはあの場所にいた女の子が現実世界に無事帰還していることを願った。
「なるほどな。サンキュー。参考になったよ」
「それは良かった。代わりと言ってはなんだけど、君の連絡先を教えてもらえないかな。さすがにそろそろ尾……こうして立ち話をするにも一苦労だ」
「あっ! 尾行って今言おうとしたでしょ!」
「断じて違う。君自体にやましいことがあるからそういう考えに到るんじゃないかな」
「なんですって!」
「はいはい。もういいから」
ツナグは水と油な二人をなだめてから先を歩いた。二人は慌ててそのあとについてくる。
「あの二人ってバカなのかしら。それともただ演じているだけ?」
リンは収集した二人の感情データを分析していた。
「はは。俺が賢く見えるだろ」とツナグが冗談交じりに言うと、
「ううん。それとこれとは別」
彼女は首を大きく横に振って否定した。
「……はあ。そこは肯定しろよ」
人工知能はなかなか融通が利かない。ツナグは少し傷ついたまま水と油を引き連れて繁華街の散歩を楽しんだ。
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