CHAIN_2 リン

 翌日の朝。予め設定しておいた目覚ましによって起こされたツナグは身支度を整えていつも通り学校へ。両親に変な目で見られないように小声で少女と言い合いをしながら朝食を終えて玄関を飛びだした。


「あ、おはよう」

「おっす」


 玄関先で幼馴染のアイサが待っていた。隣の家ということもあり親交は深い。幼稚園からの付き合いになる。


「その、元気?」

「ああ。もう平気だって」


 祖父が亡くなりツナグが落ち込んでいたことをアイサは知っていた。


「ほら、学校行くぞ」

「あ、うん」


 §§§


 二人の通う公立彩都高等学校は川沿いの道を歩いていった先にある。道端に並ぶイチョウの木は冬に向けて黄色く色づき始めていた。


 かつては桜の舞う春が入学や卒業の季節とされていた。それも過去に起きた大災害のあとからは国際標準の秋入学・三学期制へと変更された。


 二人とも同じ高校一年生でクラスは別。とりわけ頭の良いアイサは特進科で昔から要領の悪いツナグの勉強を助けていた。


「うっす、元気かー?」

「大丈夫だっつうの」


 明るい声でツナグの肩を叩いたのは親友のセンイチ。こちらは小学校からの付き合いになる。アイサを除けば最も長く時間をともにしている友人だ。


「まあ人生ってのは色々あるからな。俺にも似たような経験がある」

「爺さんみたいな喋りだな。まあ、その、なんだ。ありがとう。心配してくれて」

「気にするな」とセンイチはツナグの肩をもう一叩きしてから席についた。

「ねえ、こういうのって友達って言うんでしょ?」

「まあな。でもセンイチは親友かな」

「どう違うのよ」

「親友は数いる友達の中でも特別ってことだ。……って性懲りもなくまた出てきやがったなこいつ」


 肩口からひょっこり顔を出した人工知能の少女にツナグはため息をつく。


「いいじゃない別に! 中にずっと引きこもっててもつまらないのよ!」

「あのさあ、こうやってお前と話してると周りから変な目で見られるだろ」

「変な目って何よ。こんな目?」少女は手で両目を目一杯広げてみせた。

「……このやろう」


 この人工知能は人間を学習中なのでたびたびコミュニケーションに齟齬が生じる。憎らしいが腹を立てて大声を出すわけにもいかないのでツナグはぐっと堪えた。


 §§§


「ねえ! あれはなに?」


 授業中、少女は事あるごとに質問してきた。人工知能の彼女にとって『知る』という行為は本能に近い欲求なのかもしれない。


 初めて見るものにも興味津々であちこち飛び回っている。なんでも見るだけならわざわざツナグの目を通さなくても大丈夫とのこと。その仕組みは不明。


 しんと静かなこの空間で一人ペラペラと質問に答えるわけにもいかないのでツナグは徹頭徹尾無視を決めこんでいた。すると彼女はとうとう拗ねて「自分でやるからいいもん」と言って静かになった。


 その言葉を不安に思ったツナグは「おい、何するつもりだ」と囁いた。


「…………」


 机の上の少女は反応せずにじっと虚空を見つめている。


「……プロセス終了。通常形態に復帰」


 数分後に業務的な声を発して彼女は戻ってきた。


「ふう。まあこんなもんね」

「おい、何やってたんだよ」


 ツナグが囁くと少女は誇らしげに振り向いた。


「この学校のデータバンクにアクセスして片っ端から有益な情報を取得・解析したの。セキュリティーにちょっと戸惑ったけど問題ないわ」

「おいバカ、なんてことしてやがるんだ」

「バカってなによ! あなた、ツナグが何も教えてくれないからじゃない!」


 少女はまだ教えていないはずのツナグの名前もデータバンクから取得していた。


「この学校ってところ教育機関だったのね。どうりで質の良い情報が多いはずだわ。それであなたたち人間はこうして学習しているのね。とても非効率的だわ。こう、私みたいにパパッとデータを取得してから」

「できるか!」


 思わず声が出た。ツナグは慌てて口を押さえたがもう遅い。クラス中の人間が何事かと注目している。


「ツナグ。急にどうした?」

「……あ、すみません。寝不足でついうたた寝を……」


 教師からの追及にツナグはそう言い訳するしかなかった。周囲からは笑いが起こり、教師からは「睡眠は十分取るように」と気を遣われた。


 §§§


 午後の授業は数学。担当教師は教育熱心で今日はいきなりの小テスト。ほとんどの生徒がうんざりした顔でツナグもその内の一人だった。


「……分からねえ……」


 基本的にアイサの助けがないとてんでダメなツナグ。とりあえず何か書いておこうと試行錯誤しているうちに少女が助け舟を出した。


「こんなのも分からないの? しょうがないわねえ」


 魔法のようにパッと虚空からペンを取りだした少女は電子ノートのディスプレイに問題の答えを書いていく。もちろんこれが見えるのはツナグだけでそれをなぞるようにタッチペンで答えを記入していった。


「おお、マジで助かる」

「その代わりに一つお願いしてもいいかしら」

「なんだよ」

「私も人間みたいに名前がほしいんだけど」

「名前? お前名前なかったのか?」

「ミツルは名付けてくれなかったわ」


 きっとそれはまだ完成していなかったから。もしも完成していたら彼のことだ、きっと名付けていただろう。


「そうだな……」


 急に名付け親になってくれと言われてもそう簡単にいい名前が出てくるはずもなく。


「自分自身で付けるものじゃないらしいからツナグに任せるわ」


 何かきっかけになりそうなものはないかと辺りを見回していると、ふと視線が手もとに落ちた。黄金色に輝く祖父の形見。


「指輪……リング……リン。リンってのはどうだ?」

「リン。私は人間じゃないからよく分からないけど、たぶんいい名前なのよね! ツナグ、ありがとう!」


 目の前で無邪気に喜ぶ少女は人工知能の立体映像だということを忘れるくらいに人間じみていた。


 §§§


 放課後。帰宅部のツナグは暇を潰そうと繁華街へ向かった。幼馴染みのアイサは生徒会の用事。親友のセンイチはスポーツクラブに所属していた。なので基本的にツナグは一人で家に帰ることが多かった。


 繁華街はいつも通り人でごった返していた。立ち並ぶビルには所狭しと広告用のスクリーンが設置されている。


 近年の広告改革で歩行路に立体映像の広告を設置するのは禁止となったため法の範囲内でホログラムたちが居心地悪そうに客引きをしていた。


「ツナグ! ツナグ! あれなにっ!」


 こっちのホログラムも規制してくれないかなと思いつつツナグはリンの指差す先にある巨大スクリーンを見た。


「ああ、あれは電脳闘技でんのうとうぎ。E-Sportsの一種だよ。長々しいからみんなDENTOデントって呼んでるけど」


 正式名称はMulti-Styled Combat in Cyberspaceと言う。略称は『MSCC』。海外ではこちらの表記のほうが浸透している。


 スクリーンの中では有名プレイヤーの二人が今まさに電脳空間で激しく戦っていた。まるで現実のように見えるが互いに魔法のような特殊能力を行使して駆け引きをしている。


「ねえ、ツナグ。私あれやりたい!」

「はあ? お前はできないだろ」

「じゃあツナグがやってよ! 私たち一緒なんだし」


 今のツナグとリンは一心同体。つまりリンの代わりにツナグがやっても同じ感覚や体験を共有できるはずだ。


「やだよ。面倒くさい」

「お願いっ!」

「また今度な」

「やだやだやだやだ! 今じゃなきゃやだやだやだやだ!」


 眼前で子供のように駄々をこねるリン。最初は無視していたがそのあまりの鬱陶しさにとうとう折れたツナグは「分かったよ。一回だけな」と言って厚紙ほどのポータブル端末を取りだした。

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