拍手 032 百二十九話 「六千年」の辺り 前の拍手の続きみたいな話

 隠居所にて、ネーダロス卿は一通の手紙に目を通していた。

「あれ? 珍しい。じいさんに手紙なんて」

「まったく、私の事を何だと思っているんだろうねえ?」

「え? 妖怪じじい」

 あっけらかんと言ったクイトに、ネーダロス卿は低い声で笑う。

「……ほう? 来月から君の小遣い、値下げしようか」

「すいません言い過ぎましたごめんなさい」

 今にも土下座せんばかりの勢いだ。そんなにあっさり謝るくらいなら、言わなければいいのに。どうにも彼は口が過ぎる。

 老人の苦言とばかりに、ネーダロス卿は溜息を吐いて口を開いた。

「……謝るくらいなら、最初から言わない事だよ。君の立場は、一回の失言で命を落としかねないんだから」

「わかってますよーだ。あー、やだやだ、皇族なんて。早いとこ、臣籍降下したいよ」

 残念ながら、皇族という血筋は永遠に変わらない。彼が臣籍降下しようがどうしようが、失言で命を落としかねない立場であり続けるというのに。

 だが、親切にそれを教えてやる気にはなれない。今日届いた手紙のせいだろうか。古馴染みからの手紙は、自分が血気盛んだった事を思い出させる。

 不意に、クイトがネーダロス卿の手元に視線を落とした。

「ところで、その手紙、誰から?」

「知りたいかい?」

「教えたくないならいいや。他人のプライバシーだし」

 彼の言葉に、思わずネーダロス卿は噴き出した。クイトはためらいもなく前世の価値観を口にする。自分には出来なかった事だ。

 生まれで言えば、彼の方ががんじがらめになりそうなものなのに。

「何笑ってるのさ?」

「いや、君はやはり面白いよ。これはね、苛烈姫からの手紙だ」

「げ!」

 あだ名にしても、随分と酷いものだが、これ以上あの女性を形容するのにぴったりの言葉が見つからない。

 苛烈にして豪胆。何度周囲から男に生まれなかった事を悔やまれた事か。彼女が男児として生まれていれば、高確率で今上帝になっていた事だろう。

「うへえ。大叔母上が、何だって?」

「彼女のお気に入りにあまり構うなと、釘を刺されたよ」

「お気に入り?」

「現在大森林にいる、彼女だ」

「ああ、そうか……」

 クイトにも、ティザーベルの情報は渡っている。彼女と苛烈姫の繋がりも、そこから知ったはずだ。

 それにしても、彼女は一冒険者という割には周囲に集まる人間が豪華だ。帝国一の大店デロル商会の会頭とその右腕、ギルド本部長に次期本部長確実と言われる彼、ギルド職員として将来有望なセロア、統括長官も含めるべきか。

 それに、目の前でぐずぐずと言っている第十六皇子。彼は次の人事で魔法士部隊の隊長に就任することがほぼ確定だ。余程の事がない限りは、彼を隊長に据えて再度の編成が入るだろう。

 ――貴族共が締め出されるかもな。

 それもいい。努力せぬものに道など開かれない。どうしても隊に入りたければ、血反吐を吐くまで努力して己を磨けばいいのだ。

「じいさん、じいさん、笑顔が怖くなってる」

「ん?」

「また何か、悪巧みでもしてるんだろ? いい加減年なんだから、少しはおとなしくしなよ」

「何を言うか若造が。私を老人扱いしたければ、精進する事だな」

「ちぇー」

 後進に道を譲るというのもわかるが、今はまだ無理だ。やらなくてはならない事は山程ある。なのに、それを任せられる者が育っていないのだ。

 いや、育てなかったというのが正しいかもしれない。今あるのは、己の怠慢の結果か。

 だからといって、今自分が手を引く事が出来ないのは事実だ。少なくとも、大森林の遺跡の件がはっきりするまでは。

 ――読み通りなら、あの遺跡は……

 地球へと繋がる、唯一の手がかり。遠い故郷に対する望郷の念は、年を経る事に強くなる。一目、見るだけでいい。あの懐かしい土地を。

 全てはオダイカンサマが戻ってからだ。今は彼等の無事の帰還を祈っていよう。ネーダロス卿は手紙を綺麗にしまうと、椅子の背にもたれて目を閉じた。

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