まわせ、三塁ベースコーチャー!

床崎比些志

第1話

 2015年夏、全国高校野球選手権地区予選準々決勝。9回表、得点は0対0。相手は優勝候補の古豪校。


 先頭バッターの僕はストレートに的をしぼって胸元にえぐりこむ高めの直球に食らいついた。ボールは、詰まりながらふらふらっとセンター方向に飛ぶ。そしてセンター前にポトンと落ちた。待望の先頭打者出塁。


 そのあと、相手ピッチャーのワイルドピッチで労せずして二塁へ進塁。


 1番からの好打順だ。外野に抜けるヒット一本で待望の先制点。足には自信がある。エース、町田の調子から考えれば、一点あれば十分逃げ切れるとおもった。絶好のチャンスだ。


 三塁側の応援席がいっせいに沸き立った。まるでこれで勝ったかのような雰囲気である。御膳立ては整った。


 相手のピッチャーはコントロールは抜群だが、それほど球が速いわけではない。さらにランナーには無警戒。バッター勝負を決めこんでいる。


 自分の足を考え合わせれば、三塁へのスチールは確実に成功する状況だった。しかし万が一アウトになれば、監督から大目玉をくらうだろう。まだノーアウト。打順は好打順。ミートのうまい中田なら、最悪でも右方向へのゴロで三塁へ進めてくれるはずだ。


 しかし、1番中田はポップフライで凡退。


 ワンアウト二塁。それでもまだチャンスは続く。


 つづく2番布施がねばった末に一、二塁間を抜ける痛烈なライト前ヒットを放つ。


 僕は猛然と走った。ライトが前進守備を敷いているのは知っていた。生還できるか微妙だった。僕はサードコーチャーの吉田を見た。が、吉田は緊張のあまりボールの行方を追ったまま、走者への指示を忘れている。


 どっちだ。止まるのか、突っこむのか!

 

 僕は、本塁へ突っこむことを覚悟して、三塁ベース手前を大きくふくらみながら走った。


 しかし、僕は三塁ベースをまわったところで、自分の判断で止まった。ライトからは矢のような返球がキャッチャーめがけて飛んできた。が、ハーフバンドでキャッチャーは前にこぼす。あのまま突っこんでいたら、かろうじてセーフだったかもしれない。


 つづく3番中島。定石ならスクイズだが、中島はバントが苦手だった。パワーはチームいち。当たればでかい。でもこの場面では単打で十分。ーー案の定ヒッティングのサインが出た。


 中島は初球を強打。しかし、サード真正面のゴロ。僕はハーフウェイで止まった。サードはちらりと僕の動きを見てから一塁に投げた。ディレードスチールのチャンスだ。僕はスタートを切る態勢をとる。しかし、そこでストップ!という声がベンチから飛んだ。監督の声だった。


 次は4番の石田。その日、2本のヒットを打っていた。石田のバットにすべてをたくすことになった。


 しかし、石田はあえなく空振りの三振に終わった。二者残塁。応援席から何百ものため息がいっせいにもれるのがわかった。


 その裏、三塁を守る石田のトンネルで僕らはサヨナラ負けを喫した。


 これで僕の高校生活最後の夏は終わった。


 いうまでもなく、最大のチャンスで打てず、痛恨のサヨナラエラーをした石田一人が、戦犯の標的になった。石田は何をいわれてもヘラヘラ笑っていた。最初の頃は少し腹が立ったが、彼なりの責任の取り方だとおもうと、だんだん申し訳ない気もしてきた。それどころか、心の中では、もやもやをぬぐいきれなかった。


 チャンスは三度あった。三盗をねらえた時、センター前のヒットの時、そして三塁ゴロの時。そのいずれかで、走ってさえいれば、一点先制し、試合の流れは大きく変わったはずだ。勝負事にたらればは禁物だが、きっと石田が責められることもなかっただろう。


 必ずしも自信があったわけではない。失敗した可能性もある。でも失敗した時となにもしない場合の自分の立場を冷静にはかりにかけ、走らないことを計算高く選択し、その選択が正しかったと自分に思いこませている小賢しい自分が嫌だった。

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