第2話 朝起こしの基本
「いい、マックス? わたしはこう見えても聖女だから、朝起こしには気を使わないといけないのよ?」
マリーは歳のわりに大きく膨らんだ胸を張って腕を組む。
ポカポカ春の日差しの気持ちよい今日。
ついさきほど、名誉ある『聖女の朝起こし係』に任命された俺は、その聖女とともに東の丘のうえにやってきていた。
背後には数日前に散ってしまった桜の木があり、もう来年までこの丘には人は来ない。
マリーはそれを知ってか知らずか、無防備にごろーんっと野原をベッドにして寝転がった。
「気を使うこと?」
「そうよ、例えばいたずらして、胸を触ったりしたら、こうっだからね!」
「痛っ、もう叩いてるし。別に触らないよ、そんなとこ」
というか叩かれるだけじゃ済まない気がするしな。
「そ、そう? あんまり興味ないのね…………んっん、まあいいわ! とりあえず起こし方をレクチャーするわね。さあ、マックス、わたしがこう寝ているとして、マックスはどうやって起こすのが正解だと思う?」
マリーは足をパタパタさせて、楽しそうに聞いてくる。
仰向けに眠る聖女の起こし方。
流石のオーウェンの特異シチュエーション講座でも、これは出てこなかった。
トントンっとする場所って事だよな?
仕方ない、直感にしたがおう。
「んー」
俺は正座でマリーの横に座りなおし、頭の先からつま先まで見て、どこをトントンっと叩くのがベストか考える。
これは難しいぞ。
なんという難題なんだ。
「っ、ま、マックス、そんなじっくり見られたら、変な感じが……」
「ん? どうしたのマリー、なんか落ち着きないような」
そわそわしだす聖女。
頬を染め、手で胸とお腹のしたを隠している。
わからない。
マリーは今どういう状態なんだろうか?
「とりあえず、ここら辺が良いと思うかな」
マリーの細い肩を指差して、トントンのベストポイントを無難に回答した。
しかし、マリーは「え、マックスは肩が良いの……?」と困惑した顔を向けてくる。
「マックスは肩が好きなんだ……というか、わたしは起こし方を聞いたんだけど……んーん、まあ、いいわ。とりあえず、マックスには女の子の起こし方はわからないって事ね!」
「え、いや、だから、肩をこうトントンってーー」
「へ、変態! いつまで″フェチ″の話をしてるの! ていやっ!」
「っ!? 痛っ」
なに!?
いつからフェチの話をしていたんだ?!
まずい、俺が低級な【運び屋】なせいで、マリーと話すら噛み合わなくなってきてる。
「んっん、ま、まったく、本当にまったくだわ、マックスは! ここからは真面目に話をするからちゃんと聞くように!」
「う、うん、ごめん……(俺が悪いのかな?)」
「よしっ。それじゃ、まず起こす時に心がけること。それは出来るだけふれあいの時間を増やすために……じゃなくて、段階をふむということよ。まずは、声をかけるの、優しくね」
マリーは手をちょいちょいっとして、俺を招いた。
首をかしげると、マリーは「ぃ、いいから、耳元に口を近づけるのよ!」と言う。
なるほど、まずは
俺は寝転び、瞳を閉じるマリーの耳元に顔を近づけた。
ふと、彼女の顔をまじかで見つめてしまう。
ふっくらしたピンク色の唇、形の良い鼻、小さな顎、柔らかな頬、全てが可憐で美しい。
女神から愛された聖女のマリー・テイルワットは、やっぱり世界で一番可愛いのかもしれない。
高鳴る胸のドキドキに、必然と心の平穏が脅かされる。
「…………? マックス、遅いわ、一体なにして……ふにゃ!?」
マリーがまぶたを開いて、蒼翠の瞳をまん丸にして驚愕した。
俺は彼女のそんな表情の変化すら愛おしく感じた。
だが、ダメだ。
俺は【運び屋】なのだから。
これ以上の幸せを願ってはいけない。
「マリーは可愛いね」
「っ、へ、ひぇ、そ、そんな、こと、ぇぇぇ……っ!」
ついこぼれた言葉。
いけない、マリーを困らせてしまっている。
きっと、気持ち悪がられたに違いない。
マリーは聖女だから、すっごく優しいから、俺が傷つくと思って口には出さないのだ。
目をパチクリさせて、うっとりした顔のマリーを見つめる。
「マリー……」
「っ、だめ、いけないわ、マックス……っ! わたしたちはーー」
「ありがとう……それと、朝だよ、起きて。早く起きないと、朝のお祈りに遅れちゃうよ」
「……っ!」
マリーの耳に囁きかける。
すると、彼女は顔を真っ赤にして、ガバッと起き上がった。
「耳が、耳が……死ぬっ!」
耳たぶをふにふにして、マリーは身を左右に揺すって謎の感情に悶えはじめる。
ふむ、死ぬだなんて。
やっぱり俺ごときのセンスでは、マリーを不快な気分にさせるだけなのか……悔しいが、これは『聖女の朝起こし係』を辞退したほうがマリーのためだろう。
「マリー、ごめんね。俺にはこの役目は重すぎーー」
「マックス! もう一回、やって!」
失意の中、マリーの要望にしたがい仕方なく、気怠げに、脱力した声をささやきかけた。
どうせ、もう一回やっても俺じゃダメなのに……。
「朝だよ、マーー」
「うわぉああああ!」
すると、今度はほとんど言い終わらずに、もう耳まで赤くなったマリーが、走りだして向こうへと全力ダッシュで行ってしまった。
悔しかった。
マリーがもう一度チャンスをくれたのに、今度は名前すら呼べずに怒らせてしまった事が。
期待に応えられなかった自分が、心の底から嫌になる。俺は不甲斐ない男だ。
やはり辞退しよう。
消沈した俺は、トポトボと泣きながら家へ帰るのだった。
ーーその晩、マリーが俺の宿泊先に来ると「採用!」とだけ言い残してさっていく謎のイベントが発生した。
理由はわからないが、俺は無事『聖女の朝起こし係』に任命されたようだった。
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