第31話 ジャム入りの黒茶
食事は暖かいものだった。
「私たちのと同じものしかないけど」
「いいえ十分です。寮舎のよりずっと美味しい」
「そう言ってくれると嬉しいねえ」
コルシカ夫人はにこにこと笑いかける。
通されたのは、家人達が集まる食堂だった。
シラから以前に聞いた話では、この帝都の屋敷には、全部で十名程度の使用人が居るということだった。その十人が一度に食べるテーブルだったから、なかなか大きい。その一辺にナギは座り、出される食事を次々に平らげている。
どうやら、この家の主及びその客人に関しては専用のコックがその都度やってくるが、そうでない時はこのコルシカ夫人が食事の用意はするらしい。
たっぷりと煮込まれた茶色のシチュウ、もう冷めてはいるが、ちゃんとこの家で焼いたらしいかたまりのパン、パスタ入りのサラダは新鮮な野菜を正確にサイコロ状に切ってあるし、浮き身を散らしたスープは琥珀色に綺麗に澄んでいる。
「……結構よく食べるねえ」
斜め前に座って給仕をしてくれるコルシカ夫人は意外そうにつぶやく。
「あ、そうですか?」
「だってねえ…… うちのお嬢様が前に来た時なんかにゃ」
「だから私はお嬢さん育ちなんかじゃありませんから。出されたものはきちんと頂きます。それに美味しいものはやはり嬉しいし……」
「そう言ってくれると嬉しいねえ」
何はともあれ、自分の作った料理を誉められることは嬉しいらしい。頬杖をつきながら、夫人はにこにことこの「綺麗な少女」を眺める。
「食後のお茶はどうする? えー……」
先刻ナギが言いよどんだように、夫人は語尾をぼかす。
「ナギです。イラ・ナギマエナ・ミナミ」
「じゃあナギちゃん。何かお茶で好きなものはあるかい?」
ナギちゃん。そう呼ばれるのは久しぶりだった。何となくくすぐったい。
子供扱いされているみたいで妙に心地よい。外見年齢はともかく、カラ・ハン以来、彼女はそう呼ばれることはまずなかった。それは彼女の持つ雰囲気のせいかもしれない。
「あ、何でも。……というかあまり私知らないんですよ。おすすめはありますか?この家ならでは、とかコルシカさんのおすすめ、とか」
「お勧めねえ。……ああそうだ。じゃあとっておきを入れてあげよう」
いそいそと、彼女は席を立って茶を入れ始める。
嘘ではない。ナギは興味の少ないものはいちいち覚えていないのだ。
何しろ基本的に貧しい育ちをしている。食事の内容だの服装だのに気を回せるというのは、とにもかくにも確実に日々の糧を得られるだけの余裕がある、ということである。ナギは、最近はともかく、歳を止めるまでの少女時代には余裕というものと無縁だった。
まあそんな訳で、正直言って第一中等の制服、というのは非常に着ていて気楽だった。
次第に良い香りがしてくる。果実酒みたいな香りだ、と彼女は気付いた。かりっとしたスープの浮き身を噛み潰してから、ナギはコルシカ夫人に訊ねた。
「いい香りですね」
「あたしの秘蔵もんだよ」
何となくそれに、ナギは覚えがあった。
「サカーシュの…… 酒? ジャムですか」
「あれ、あんたカラ・ハンの子かい?」
「……出身は違います。だけど少しそこで暮らしたことがありましたから」
「へーえ」
サカーシュはカラ・ハンやその周辺で摘まれる野いちごの一種である。
短い夏の間にその実をつけ、小粒で酸味きついが甘い。色は黒紫で、ぶつぶつした外見はぱっと見、グロテスクと言えばグロテスクではある。
それはジャムにされる場合もあるし、酒にされる場合もある。酒にした場合も、甘みが強いので、カラ・ハンでは子供の祝いに使われる時もあった。だがカラ・ハンのお茶は基本的に乳茶なので、サカーシュジャムを入れるようなことはなかった。
「何か結構苦労してそうだねえ。お嬢様と一緒の歳だろう? 若いのにねえ」
「……」
ナギは軽く笑っただけだった。その笑いを何ととったか、コルシカ夫人は更に雄弁になった。
熱く濃い黒茶が深いガラスのカップに注がれる。そしてその中に、スプーンでたっぷりと取ったジャムが落とされた。それは茶の中でぱっとひろがり、湯気と混ざってよい香りを立てる。
「……へえ……」
「これはちょいとあたしがアレンジしたんだけどね」
「と言うと?」
「ジャムを入れるってのは、あたしの故郷の習慣なんだよ」
「どちらの方なんですか?」
「****だよ」
コルシカ夫人は、北東の管区の都市の名を告げた。
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