第25話 現在の皇太后とは

 皇太后は、ここ何十年かその姿を何処にも現さない。

 彼女に関しては、ある程度正確な年齢が知られている。二十歳にならないところで嫁いだ彼女は、嫁いた翌年に世継ぎの男子を産み、「皇后」となった。

 それから百年以上経っている。

 現在の七代の皇帝は、これまでで最長の在位年数を誇ることになる。

 とは言え、それは必ずしも良いことではない。


「何で良くないんですか?」


 シルベスタはラングドシャ教授に訊ねたことがある。

 つまりだな、と教授は答えた。


「在位年数が長い、というのは、つまりは皇太子がいない、ということなんだよ」

「皇女がたは居るのに?」

「何故だか判らないが、向こうの皇室は、本当に直系男子にだけその位を譲るんだ。実際、直系男子は、一代につき、一人しか生まれていない」

「その直系男子を産んだ女性が皇后だと」

「おー、きみもだんだん判ってきたじゃないか」


 そう言ってラングドシャ教授は、どんどんと彼の背中をはたいたので、思わず彼は咳こんでしまったくらいである。

 実際そうだった。

 史書を見ても、どんな資料を見ても、皇帝の直系男子は一人しか出ていないし、それを産んだ女性は、どんな素性であっても「皇后」となる。

 どれだけ高貴な出自の女性であっても、皇女しか産まない女性は、「夫人」としかされていないのだ。

 現在の皇太后、先代の皇后である女性は、下級貴族の出身である。もちろんそれも正史に記されている訳ではない。もろもろの資料の中から探り出したものである。

 ところでそんな「資料」の一つにシルベスタは驚かされたことがある。

 それは、帝国からの映像だった。

 帝国は時々、国内では流さない映像を、連合には流すことがある。その一つに、一般参賀がある。

 帝都は政治の都である。実質的に「みやこ」なのはそのベッドタウン的存在の副帝都である。

 帝都はその性質上、中等学校初等科卒業程度の年齢――― 十五歳以下の「子供」の立ち入りが許されない。令嬢令息も、何と言っても、皇女がたすら、十六になるまでは足を踏み入れてはいけない。

 年に一度を除いて。

 その一度、が新年である。皇室の人々は一同に集まる。

 集まると言っても、多くはない。何しろ一番男性が多い時でも、皇帝と皇太子の二人しか存在しないのが皇家である。

 その皇太子がいない現在、男性といえば皇帝しか居ず、嫁いだ皇女達は既に皇室の人間とはみなされない。大貴族に嫁ぐのが普通だが、それでもその差は大きかった。

 シルベスタが見たのは、十年前くらいの一般参賀の映像である。皇家の人々が、皇宮の、一番表とも言える南宮のベランダに集合していた。

 その頃まだ嫁いでいなかった皇女が三人居た。その中で一番若い皇女は、まだ帝都に入るのを許されたばかり、程度の歳に見えた。

 これが**、これが…… と教授は説明を加えた。

 ところが一人皇女が多いように彼には見えた。


「教授、これは?」


 画像をシルベスタは指した。ああ、とラングドシャ教授は軽く笑うと、あっさり言った。


「それは皇太后だよ」


 は? とシルベスタは思わず問い返していた。何故ならそこに居たのは、若い女性だったのだ。

 映像は確かに不鮮明だったかもしれない。だが、年寄りと少女を見間違える程ひどくもなかった。


「先代の皇后だ。珍しいな、姿を現すなど」

「珍しいんですか?」

「ああ。この方については全然写真とか絵姿とかがなくてね。実際に拝顔するしか、知ることはできないと思っていたんだが」


 確かにそうだ、と彼は思った。そのひとは、少し出て、すぐに引っ込んでしまった。撮られるのを嫌っているようである。


「だけど…… 何か、若い女性のように見える」

「若いんだよ」


 シルベスタは驚いて、淡々と言う教授を見た。


「皇帝が若いように、皇后も若いんだ。言っちゃなんだが、この映像の彼女が本当に皇后であるという証拠もない。だが、もし本当にそうだとしたら」

「多少解釈も変わらざるを得ませんね……」


   *


「会ったことがある訳ではない。けれど、当代の皇后というものに一番関心を示すのは彼女だと思うよ」

「それは、皇宮内女性の地位をめぐって?」  

「いいや」


 ナギは首を横に振る。皿の上には南国の果物が横割りになっていた。甘酸っぱい香りがテーブルの上に漂う。


「あの方は既に強い。もちろん帝国だから、女性に政治的権限は一切ない。あなた方が『それでも』と考えるだろうかけらすらない。だが、それは表向きのことで、彼女は裏である集団を手にしているという噂がある」

「ある集団」

「まあ、その内容までは私も知らない。だがそれまでの皇后と違い、現在の皇太后さまは、先代の皇帝の頃、ずいぶんとその裏の集団を走り回らせたらしい。だが実際どうだったかなど、何も残されてないので、全く判らない」

「じゃあどうして彼女は君を捜すんだ?」

「そう、それだ」


 ナギは果物をすくっていたスプーンを置いた。


「私が当代のそれ、としたところで、その当代の次、は既に流れているんだ。確かに私は男子を宿せる身体だったらしいが、もうできないんだ」

「ナギ?」

「代々の方々はどうだったかなんて知らない。だが私は、その流したもののせいで、その部分を壊された。私は何も残せない!」


 シルベスタはびくり、とした。一気に言い下ろした彼女の言葉は大きくも強くもなかった。

 だがそれは、一瞬彼の背筋を突き抜けたかとまで思われた。そしてそれがはりつけの杭のように地面に突き刺さって、自分の身体を動かなくしている…… そんな気がした。


「ああ、すまない。そんな気はなかった」


 彼女は手を伸ばして、テーブルの上に置かれた彼の手を握った。途端、身体が自由になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る