第91話 都合よく使い捨てにされた女
精霊の効力が失われ猛毒の霧が通路から消滅すると、リリスは我が目に映る光景に勝利を確信した。
虫の息で横たわる超能力者。
死はもはや時間の問題であった。
「………」
左肩の銃創を右手で押さえながらリリスは瀕死の超能力者へと足をすすめた。銃創はジュリエットの発射したレーザーによるものであった。急所に命中していればいまごろは彼女が床の上に横たわっていたことだろう。
毒の霧という発想が立場を逆転させた。
このまま黙っていてもジュリエットが毒の進行で死ぬのは確実だ。しかし彼女としては自らの手でとどめを刺したかったのだ。自尊心をズタズタに引き裂いたこの超能力者を。
氷の剣を手にすべく呪文の詠唱を口にした瞬間、「その男には聞きたいことがある。とどめを刺すのは少し待て」と彼女の背後からラファエルが声をかけてきた。
リリスが振り向くとそこには未来の伴侶がトレードマークというべき無表情を保ったまま彼女の気づかぬうちに立っている。
「ラファエル…」勝敗の見えない戦いを切り抜け勝者の側に立ったエルフには、いろいろな感情が一機に込み上げてくる。「あと一撃でこの坊やは死ぬのよ。もう超能力を恐れる必要がなくなるのよ」
「おまえは本当によくやってくれた」そう言ってラファエルはリリスをやんわりと抱き寄せた。「監視システムでおまえの戦いぶりを見ているとき気が気ではなかった。おまえを失うかもしれないという恐れで私は平静心を失っていた。おまえなしに私は生きられない。肩の傷を目にするだけで私の心は痛む」
「とどめを刺せばすべてが終わるのよ」
ラファエルの腕のなかでリリスはある種の満足感を感じていた。
「その男には聞きたいことがある。とても重要なことだ。だから解毒の魔法で体内の毒を消去してもらいたい」
さすがにその言葉にはリリスも黙ってはいられなかった。
「解毒って…この坊やはとても危険なのよ。私も実際に戦ってみて超能力の恐ろしさがよくわかったわ」
「おまえの心配はもっともだ。だがいまのこの男にはもはや超能力を使えるだけの余力はない。それよりも地上に脱出するのに欠かせない情報を聞くことがいまは重要だ。私は何も体力を回復させろと言ってるのではない。このまま毒の進行が進めば情報を聞き出す間もなく死に至るから、せめて最小限の処置として解毒魔法の処置してもらえないだろうかと言っているのだ」
「でも…」
「危険はない。いまの私でもこの男を処分することはできる」ラファエルはリリスを抱き寄せる腕に力を込めた。「我々二人の未来のために私の願いを聞いてはもらえないだろうか」
遠回しに結婚を口にされるとリリスとしてはラファエルの言い分を聞かざる得なかった。
「わかったわ。でも…」
「言いたいことはわかる。必要なことを聞き出した後はおまえの好きにすればいい。とどめを刺すのもよし、少しの間生かしておいて痛めつけるのもよし…おまえが気のすむようにすればいい」
ほんの一瞬だがリリスの瞳に残忍な色が浮かんだ。
つい先程までとどめを刺すことしか考えていなかったのだが、この美しき超能力者を拷問さながらの手法で痛めつけるのはもっと魅力的に思えたのだ。
ラファエルが腕を解き放つとリリスは解毒魔法の詠唱を開始した。
虫の息で床に横たわるジュリエットは半ば生気のない瞳を二人に向けていた。もはや超能力を発動させるだけの気力すらなく、やがて訪れるであろう死を漫然とした思いで待ち構えていた。
レティシアを助けることができなかったのが唯一の心残りであった。
ラファエルは少し屈むこむと床に落ちているレーザー銃を拾い上げる。存在そのものが武器である彼にとって本来的にそれは不必要なものであった。
詠唱が終了するのを確認するとラファエルは銃からリリスに視線を向けた。
「リリス、おまえには本当に感謝している。これで私はもうじき自由の身になれる」
「あなたが先に地上に脱出する計画だから、少しの間お別れになるのね…早く迎えに来てね。寂しさで死にそうになるから」
「寂しさを感じる必要はない」ラファエルはレーザー銃の銃口をエルフの額に向ける。「おまえは地上に出ることはできない」
リリスが状況を認識する前にラファエルは銃のトリガーを引いた。
レーザーがリリスの額を貫通すると、人工生命体の一翼を担っていたエルフは一言の言葉を発することもなく、そして何らかの行動も起こすこともなくその場に崩れ落ちた。
それは反乱の先陣を努めた魔法使いの呆気ない最後であった。
「おまえは本当に役に立ってくれた」ラファエルはリリスの亡骸の脇に屈み込むと、見開かれたままになっている彼女の瞼を閉ざした。「だが生かしておくわけにはいかないのでね」
何ら未練を感じていないラファエルがこの瞬間に考えていたのは虫の息で床に横たわる超能力者のことであった。
彼にとっては最大の脅威であった超能力者。
だがいまや状況は変化した。
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