第58話 人工生命体とは?

「人工生命体について教えていただけますか」


 まだ見ぬ敵についてジュリエットは訊ねた。


 ラファエルが端末に何かを入力していたのですぐには答えが帰ってこない。ディスプレイに表示されるのが数字の山なので、果たしてこの研究員が何をしているのかジュリエットには判断がつきかねていた。


「人工生命体…」ラファエルは入力作業の手をとめるとその言葉を呟きながら機動歩兵の少尉を見上げた。「生憎と私はソフトウェア技術者なので彼らについてそれほど知識があるわけではないですよ」


「ご存知の範囲で結構ですから」


「異種族との合成生物ですよ」ラファエルは右耳にかかる髪をかき上げた。「合成の対象となった種族により人工生命体はそれぞれが異なる能力を有しています。例えばエルフと人間の合成では魔法の特殊能力を有することがあります…正確には魔法を使用できる素質がある、といったところでしょうか。魔法は古代エルフ族の血を引いた者でなければ使用できないというのはご存知ですか」


「いえ」ジュリエットの魔法に関する知識はゼロに等しかった。「他にはどのような人工生命体が存在するのですか?」


「研究所内の噂ではヴァンパイアとの合成生物がいたそうですが、先程も申し上げたように私はソフトウェア技術者なので人工生命体の研究・開発に直接携わっていたわけではないのですよ」


「ヴァンパイア…ですか」


 エルフやヴァンパイア、そして人工生命体などという用語が錯綜するともはやSFホラーのような世界にしか感じられない。


「あくまでも噂ですから想像の産物かもしれません」


 人の生き血でも啜るのだろうか、という冗談じみた考えがジュリエットの脳裏を横切る。


「…では超能力を使用できる人工生命体は存在するのですか?」


「超能力…?」


「あなたの同僚はテレパシーの研究に従事されているそうですね。ということは超能力を使用できる人工生命体が存在すると考えざるえないのですが」


「同僚? …ああ、レティシアのことですね」そしてラファエルは何やら首を傾げる素振りを見せる。まるで何かに納得できないといった感じに。「超能力の話はレティシアが?」


「ええ」


「少尉は驚かれるかもしれないですが私と彼女は今回の事件が発生するまでは一度も顔をあわせたことがないのですよ。この研究所は機密保持のために異なるセクションとの交流は禁止されていますから。そういう事情もあって…超能力の研究がなされていたとは初耳ですね」


 自分は何かいらぬことを言ってしまったのではないのかとジュリエットは危惧した。


 いまの地球連合の社会情勢を考えればレティシアが超能力の研究に従事していたなどと迂闊に口にするべきではなかったのかもしれない。


 彼としてみれば同じ研究員なのだからラファエルも承知しているものだと思っていたのだ。


 このときジュリエットの胸の内ではラファエルとレティシアの対比から忘れかけていた疑問の再浮上が発生していた。


「…ところでなぜ彼女を一人だけで上の階に行かせたのですか?」


「私には隔壁コントロールが敵に掌握されないようここで監視する必要がある。そしてレティシアには私を代行するだけのソフトウェア技術がない…このような説明では少尉の疑問にはお応えできませんか」


 筋道の立った説明をさらりと口にするラファエルに、ジュリエットは価値観の異なる異星人を相手にしているような気分にさせられた。


「よく彼女が承知しましたね」そこには少しばかり非難が込められていたもののラファエルに通用した気配はまったくない。「武器もなく、しかも一人だけで隔壁の外で行動させるとは…酷な話ですね」


「何か誤解なさっているようですね。私はレティシアに隔壁の外へ出ることを無理強いしたわけではない。彼女は自ら同意したのですよ」


 本当にそうなのだろうか…、とジュリエットは疑問の目で美しき研究員を眺めた。


 レティシアが同意せざるえないような雰囲気を醸成して会話を誘導したのではなかろうか。


「…そもそも何を目的として彼女を上の階に行かせたのですか?」


「研究所の監視システムが機動歩兵の存在を探知したので助けを呼ぶために行かせたのですよ。私の考えに間違いはなかった。そのお陰で少尉と少尉の機動歩兵がわれわれを守っているのだから」そして彼は付け加える。「もっとも監視システムもいまでは敵側に100%掌握されてこの端末からではコントロール不可能ですが」


 何もかも筋道をたてて淡々と説明するその姿は感情が希薄な教師のようであり、あるいはAIがつくりだすヴァーチャル人格のように思えた。いや…最近のヴァーチャル人格は精巧にできているからこの男よりはまだ人間らしい。


「彼女が途中でアンドロイドか人工生命体に殺される可能性をどう考えていたのですか?」


「…ルクレール少尉、これはもう終わったことですよ。変更しようのない過去をいまさら詮議することに何の意味があるのですか。このような状況下ではレティシアを使いに出すこともやむ得ない選択ではありませんか。それとも少尉はレティシアの命と私の命を比較すればレティシアの方が高いから私には常に犠牲の先頭に立てとでも?」


「いえ、そういうつもりでは…」


 ジュリエットはあわてて否定した。


『理解しがたい男だ。それに掴み所がない…』


 ラファエルのようなタイプの人物と話をするのはこれが初めてである。頭の回転が非常に早いと言わざるえない。


 だが恐ろしく冷たく、そして自己心が徹底している。


 中途半端ではないから余人が口にすれば少しは罪悪感を示すような言葉でも平然と投げかけてくる。

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