第44話 機動歩兵 vs 人工生命体
ベルトーニ軍曹は操縦桿のパルスレーザー発射ボタンに指を軽く乗せ、いつでも発射できる態勢でいた。
「退屈なのよ、ね」
エルフは妖しい微笑を浮かべ挑発するような視線を機動歩兵に投げかける。
『なぜエルフがここにいる…?』
偵察行動中に遭遇した「人にあらざる存在」にベルトーニ軍曹の頭は少しばかり混乱状態にあった。
『なぜエルフがここにいる…?』
つい先日にエルフの侵入事件が発生しているからには、その第二弾があったとしても不思議ではない。このエルフも新たな侵入者ということなのだろうか。
だがどうやって、そして何を目的としてここにいるのだろうか?
明確に敵であるという根拠はなかったが、味方であるはずもなかろう。
「おまえは誰だ?」
ベルトーニは機外マイクで語りかけた。
「私はリリス…おまえという無粋な呼び方はやめて欲しいわね」
「なぜエルフがここにいる?」
「なぜですって?」そしてリリスは通路に響く程の声で笑い出す。「それは私が知りたいわよ。生まれたときからここにいるのに答えようがないでしょう」
それは思いもかけぬ返答であった。そしてベルトーニはそれが意味するものの背景を理解できない。
「ここで何をしている?」
「退屈だから遊び相手を探しているのよ」リリスはクスクス笑う。「ねえ…遊んでくださらない?」
状況判断がつかないベルトーニ軍曹は発射ボタンに神経を注ぎつつも、小隊長ならばいかなる行動をしたであろうか考える。
ジャミングが酷くて小隊長機と通信をおこなうことはできない。だから自分で考え判断するしかないのだ。
この状況は異様としか表現の仕様がなかった。
エルフと遭遇するなど夢にも思っていなかったのだ。
機動歩兵のパイロットは軍がパイロット用に配布している事態対処マニュアルを暗記することが義務づけられている。しかし、そのどこにもエルフへの対処法など書かれてはいない。
「私とゲームをしてくださらない?」リリスが軍曹の沈黙を破った。「負けた方が死ぬというゲームはいかが?」
何がどうなっているのか理解できず、パルスレーザーの発射ボタンに指を乗せるだけが精一杯のベルトーニ。
そしてそれとは対照的に呪文の詠唱を始めるリリスは自己の勝利を確信していた。
自分の行動を決定するのに相手の出方を待つというのは、古今東西から慎重論者と臆病者の教条みたいなものである。
ベルトーニ軍曹もその例に漏れず戦闘の主導権をみすみす放棄し、とりあえずエルフの行動を見てから対応に移ろうという甘い考えがあった。その根底にあるものは機動歩兵のコクピットにいれば多少の攻撃を受けてもビクともしないという自信なのだ。
むろんその考えは基本的に間違ってはいない。
ただし相手の攻撃手段が地球世界と同じレベルもしくはそれ以下の話であれば…だが。
リリスの詠唱が終わるとともに機動歩兵の上半身を包み込む形で黄色い霧のようなものが発生する。
「何なんだ…?」
ベルトーニが状況を理解できないでいるとAIがパイロットに警報音とボイスを発した。
<警告! 機体が強力な腐食液に浸食されています。外部装置に損傷の恐れあり。回避せよ>
黄色い霧と思われたそれは機動歩兵の機体に触れるやジュッと音をたてて煙を吐きそして装甲を腐食で傷つけていった。それはあたかも硫酸でもかけられたかのような様相であった。
AIに促される形で軍曹は機体を前方に向けた姿勢のまま機動歩兵を後退させる。そしてこの時点においてようやくパルスレーザーの発射ボタンを押す決意がついた。
対人用に装備されたそれは超微小サイズのパルスレーザーを数百という単位で一斉発射することにより高い命中率を誇るもので、高出力レーザーほどの威力はないが生身の人間や対エネルギー防御を施していない標的ならば悪魔的な破壊力を発揮する。
しかし彼が発射ボタンを押したときにはすでにリリスの姿は射線上にはなく、後退する機動歩兵の足元へと恐るべき早さで駆け寄り、パルスレーザーの射界死角にもぐりこんでいた。
「何でこんなことが…」
空を撃つパルスレーザーと人間レベルでは考えられないエルフの身体能力にベルトーニは呆然となる。
しかし時間を浪費することが許される状況ではない。
<警告! 長距離通信用外部モジュール破損! 高出力レーザー砲身軽度損傷! …腐食液による損害はなおも進行中。回避せよ>
腐食性の黄色い霧はあたかも生きてるかのごとく後退する機動歩兵につきまとう。部隊での演習やシミュレーションにはない事態にベルトーニの焦りは募るばかりであった。
「図体ばかり大きくて全然役に立たない兵器ね」
リリスの嘲笑と侮蔑の眼差し。
新たな呪文の詠唱を終えた彼女の手には神々しく光る槍が握られていた。もちろん普通の槍ではない。精霊の力を授かった槍である。本来的には実体がない。
次の瞬間には機動歩兵の右脚と本体の接合部を槍が貫通する。対物理攻撃用と対エネルギー攻撃用の複合装甲は精霊の力に抗しきれなかったようだ。
<右脚本体接合部に深刻な損傷。同部に対するこれ以上の負荷は右脚損壊の恐れあり。回避行動との調整を考慮せよ>
これ以上回避行動によって右脚に負荷をかけるようならば脚が破壊される可能性を考慮せよとAIは告げていた。
だが停止すれば腐食性の霧から逃れられる確立はゼロとなる。動き続けたとしても100%霧から逃れられるわけではなく、その上に右脚の破壊を覚悟しなければならない。そうなると結局は身動きがとれなくなる。
ベルトーニ軍曹は機動歩兵の後退を一時停止させ機の右腕を操作してリリスに巨大なパンチを放つ。エルフはその場から後方に跳躍して軽々とパンチ攻撃から逃れた。機動歩兵の右拳は通路の床にズンという鈍い音とともに軽くめり込む。
軍曹はすかさず体勢を立て直してパルスレーザーの発射ボタンに力を込めた。
<警告! パルスレーザー発射口が腐食液によって軽度破損。攻撃実施は爆発の危険あり。攻撃を強行する場合はその旨を指示せよ>
AIの警告にパイロットは思わずひるみ無意識のうちに発射ボタンから指を遠ざけていた。
スクリーンに映るエルフは新たな槍を手にしている。その威力は先程目にした。しかしリリスが近づくのを阻止するためにパルスレーザーも高出力レーザーも使用できない。謎の霧に腐食されて下手に発砲すれば自爆の危険がある。
それを考えたときベルトーニは何かゾッとするものを感じた。
武器がないのだ。
焦燥感の募った軍曹は機動歩兵を急速前進させリリスを機体で押しつぶそうと試みる。それぐらいしか有効な攻撃手段が思いつかない。
機動歩兵とリリスの動きは同時であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます