第47話 忠言

 たかだか少佐クラスの軍人が自分の意向を汲み取ろうとしないことにミレアは腹立たしい思いでいた。もちろんそれは表情にこそ現れてはいないものの、ノエルには手にとるように感じ取れていた。


「では私としては憲兵総監に高等弁務官の指示を『はい』の二言で了承する人材について調整をかけた方がいいのかしらね」


  高等弁務官には憲兵隊長に対する人事権がない。


  あるのは指揮権だけで憲兵隊長に対する人事権は憲兵総監の権限に属していた。


  ラザフォードの権力機構はじつに巧みに構築されいているといえる。


 高等弁務官が独裁化しないように外交の権限は大使に付与されており、それに加えて警察力(憲兵隊)との癒着を防止するために憲兵隊長の人事権をこの惑星外に存在する憲兵総監の権限下にしていた。


  それゆえミレアが憲兵隊長を解任してもっと従順な者を後任に据えようと思えば憲兵総監にお伺いをたてるしかない。


「高等弁務官にご不満があるようでしたら自分を憲兵隊長の任から解任してください」


  ノエルの心中にはいいようのないせつなさが漂っていた。それは高等弁務官が自分に解任の脅しをかけてきたからではない。


  これまで自分を信頼し現場のことを一切任せてくれた理解ある人物が豹変し、まるで別人のように絡みついてきたからである。


  ミレアはこれまで仕えてきた上司のなかで初めて自分の能力を認知してくれた人物である。


 自己の存在を認めてくれる上司と思えばこそ現在の職務に無上の喜びを感じていたのだ。高等弁務官としての多忙な業務を鉈を振り下ろしたように裁いていくその姿には尊敬の念すら抱いていた。


  しかしながら侵入事件の直後からこの女性には少しばかりおかしな挙動が目につくようになった。


  内通者の調査命令がまさにそれだ。


「憲兵総監が私の言い分とあなたの言い分のどちらに耳を傾けるのか賭けてみましょうか?」


  ノエルは心の中でミレアの言葉に首を振った。


『いま言わなければいけない』


  尊敬すべき人物だからこそ変貌したその姿には耐えられなかった。自己に降りかかるであろう結果を直視していま言うべきしかないのだ。


  ノエルは改めてミレアの両目を見つめた。


「高等弁務官…いまのあなたは少し御自分を見失っておられる」


「何ですって?」


  ずばりの指摘にミレアの表情がすぐさま険しいものへと変化する。


「大使との確執を捨てるべきです。高等弁務官ほどの人物がつまらぬ意地に捕らわれているのは見るに耐えられません」


  瞳の表面に浮上した烈火の炎は視線となってノエルを責め立てるが彼女は何ら動じることなくそれを受け止めた。


「…飼い犬に手を噛まれた、というのはこういうことを言うのかしらね」


  低く抑制のきいたその声は怒声の前兆というべきか…高等弁務官府のスタッフならば震えが走っていたことであろう。


「素晴らしい資質をお持ちなのに、あなたは些細なことでそれを台無しにされている」


「私は憲兵隊長であるあなたに内通者の調査を命令しているのであって、私のカウンセリングを命令しているわけではないのよ」ミレアは一瞬間をおくとやや身を乗り出した「ウォン少佐、少しは身の程をわきまえなさい!」


  ノエルは何か鉤爪のようなものが自分の心を引っ掻くような錯覚にとらわれた。彼女の顔は横を向きこれまでにない気まずさが二人の周囲を覆う。


「高等弁務官」横を向いた状態でノエルは続けた。「大使と和解なさい」


  あたかも年長者が年下を諭すような口調にミレアの表情が凍りつく。部下のなかにここまで自分に物申す人物が存在するという現実が信じられなかったのだ。


  ノエルは横を向いたままそれ以上は何も口にせず、ミレアも言うべき言葉が何も見つからなかった。


『私はこの人に更迭される』


  ノエルは確信していた。


  ミレアは怒気を含んだ視線でノエルをキッと睨みつけると彼女の脇を通り過ぎて屋内へと姿を消した。

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