第2章 決断の果て
秘密の研究所、人工生命体の反乱、二人の女性のうち助けるべきは…
第1話 人ならざるモノ
「私は誰だ…?」ヴァンパイアは呟いた。「私はなぜ生まれた…?」
これまで何百回も…いや何千回にもなるだろうか口にしたセリフをヴァンパイアは呟く。
「いい加減に自虐的な質問はやめたらどうだね」
ゲオルギー・スタブロフ所長は遺伝子工学の成果である人工生命体に声をかけた。この美貌の吸血鬼はまさに生体科学の芸術作品というべきだろうか。
「地上に出たい」
「それが無理なのはきみ自身がよく承知しているだろう」
「では私に生きている意味はない」
スタブロフ所長は溜息をついた。常に同じ問答が繰り返される。
「きみは自分自身にもっと誇りを持つべきだ。きみは我々人間を越えた存在であり、オリジナルのヴァンパイアをも越えている」
「私は人間だ」
「違う、きみは人工生命体だ。われわれを宇宙の盟主へと導いてくれる偉大な種…とでも言い換えた方が的確だろうがね」
「私は私のために生きている。誰のためにではない」
「きみに生命を与えた神は我々ということを忘れないでもらいたいね」
ヴァンパイアの虚ろな瞳に変化はない。この吸血鬼の目にスタブロフが慣れたのはつい最近のことであった。
「では私は死を望む」
エルフは鼻歌を歌っていた。
監視装置を経由してその光景を眺めるスタブロフは「問題児」を油断なく観察していた。
「今度は何を企んでいるのやら」
このエルフが魔法で脱走を企てたため、二体の警備アンドロイドと一名の研究員を失ったのである。監禁以外に償いの手段がないのはこの人工生命体の存在が何よりも優先するからだ。
鼻歌を途中でやめた「彼女」は監視装置を悩ましげな瞳で眺めた。
「ねえ…私、退屈で死にそうなのよ」監視装置の真下にまで移動すると背伸びして顔を近づけてきた。「もう悪さはしないって約束するから早くここから出して」
ふざけた女だ、とスタブロフは思った。
人を殺めておきながら詫びる言葉といえば、親に悪戯が見つかった子供のそれと変わりがない。
「ねえ…お願い」
甘い声での嘆願。人間種にはないエルフ独特の美貌と流し目。この女の本性を知らない者であれば簡単に魅了されてとても高い代償を支払らわされることになるだろう。
ときおりスタブロフは自分の喉元に刃物を突きつけられたような気分に陥ることがあった。
この研究所の防衛システムと監視システムは完璧といってもいい。
だが、もし人工生命体たちの能力が予想を上回る成長をみせ、あるいは研究所の防衛・監視システムに致命的な故障が発生したとしたら…。
例えシステムが無効化したとしても、高等弁務官に軍の出動を要請し、その力をもって人工生命体たちの良からぬ行動を鎮圧すればいい。
しかし軍がこの研究所に到着するまでに自分が生き延びられるという保障はどこにもない。
人工生命体がその優れた能力を示すたびに研究所長としての彼は「地球人類の人工進化」に禁断の喜びを噛みしめていたものの、ひとりの私人にもどったとき「いつか殺されるのではないか」という被害妄想に悩まされることがあった。
ここに赴任してからというものアルコールの量が恐ろしく増えた。
前任の所長は自殺したという。
自殺など弱い者の逃避行為だと軽蔑していたが、最近に至りその気持が少しは理解できるようになっていた。
たしかにこの研究所には人を狂気に導く何かが存在している。
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