ボク、総理ですけど何か問題でも。

永田南

秘書官と秘書官

「総理! 総理! 開けてください! 総理ってば!」

 首相官邸の執務室の扉がけたたましく叩かれ、新米秘書官がなかに向かって怒鳴った。

「ブーン、ブウウーン、ビュン! ドカン! ボカーン」

 総理大臣は、秘書官の声が聞こえていないのか、模型の戦闘機を片手に、執務室のなかを小走りに走り回りながら、革製のソファにならべたGIジョーの人形たちをもう片方の手で薙ぎ倒した。

「総理!総理!」と秘書官が扉を叩き続けていると、通りかかった古参の秘書官が足を止めた。

「ああ、君、総理はこうなったらだめだよもう」と首を横に振ってみせた。

「でも、ウイルス感染者の数がついに1万人を超えて……」

「そんなことはこの人は本当は別に興味ないんだよ。この人は、おじいちゃまが果たせなかった憲法改正再軍備を僕が果たすんだ、そうパパに言われたんだ、ってそれだけなんだから。憲法改正を自分がやったことにするには総理大臣になるしかないってあれこれやって総理になって、なったあとに大威張りで打ち出した経済政策の何とかミクスにしたって、景気が良くなれば支持率も上がって国民の生活への不安もおさまって、そうすれば憲法改正がしやすくなるからって、それだけだよ」

「そんな……」新米秘書官は、今日の感染者や全国の逼迫した医療体制の状況がまとめられている書類の束を抱えながら、泣きそうな顔をした。

「これがこの国の政治家の現実なんだよ。特にこの人は憲法改正を実現するにはどうすればいいかって考え方しかしてきてないから、こういう本当に真っ直ぐに国民のことを考えなきゃいけないときには、こうやって思考停止しちまうんだ」

「ああ、それで最近は、総理のまわりをちょこちょこ動き回ってる、小姓みたいな官僚の言いなりなんですね」

「だろ。こないだの動画のコラボにしたって、ちょっとでも考える頭があったらあんなのやらないだろう普通。せめて、皆さんは家にいてください、私たち政治家がこういうときこそ寝る間を惜しんで働きますから、とか言いそうなもんだろ。マスク2枚にしたって、今じゃ世界中で#theworldsmostembarrassingmaskとかハッシュタグ付けられて、笑い物だからな。だいたいあの世代の連中は、布マスクなら自分でも作れるって発想がないんだよ。男子厨房に入らず、の昭和マッチョ思想ってやつだな。ていうかもうそろそろ市民が自作した布マスク全部合わせたら1億枚超えてるかもしれないぞ」

「あのマスクには僕も参りましたよ。まわりからのクレームがやっぱり秘書の僕のところに来るんで。僕の大学の同期で、NPO立ち上げて活動してる友達は、あの2枚じゃ無意味なマスクを、自治体ごとに集めて再利用して、せめて何か意味のあるものに使えないかって呼びかけてますよ。そいつは何か医療の現場で役立てたいらしくて、いろいろアイデアを募ってるみたいです」

「おお、もうそういう人には頑張ってもらったほうがいいよっていうか、頑張ってもらうしかないかもしれないな。国民目線で考えたら、今までの対策で安心した人なんてほとんどいないだろ。緊急事態宣言にしたって、出たときにはもうほぼ全員緊急事態だと思ってたはずだしさ。出た時点で緊急事態だと思えてなかった人たちは、宣言出てもパチンコ行く人たちだよ」

「この国はどうなっちゃうんですかね……」

「遅い、ショボい、他人事ってのが、誇り高くてケチ臭い我が国の政府の基本姿勢だからな。何だか、状況としてはペリーが来たときにとりあえず1年後に来てくれって追い返して、1年後におい本当に来たぞ、どうしようってあたふたしてた江戸幕府に近い気がするんだよ。で、そのときはもう幕府に頼ってられないって、薩長が動き出すだろう。だから、タイミングとしてはもう今の政府、政治家、政治体制をぶっ潰して革命新政府を作ろうとしたっていい頃なんだよ。実際、リーダーシップを発揮できる全国の知事は国を置き去りにして次々に行動を起こしはじめただろ。それと今の政府といえば、この間のことだけど、複雑怪奇な補償金30万を組み直して一律10万に変えられないかって提案した議員に、総理が、1回決めたことを変えられるか!って追い返しただろ。あれなんてもう、神国日本が負けるわけがないって言った手前降伏できないってぐずぐずしてる間に何百万人もの国民を見殺しにして、自分たちは参謀本部で一億玉砕だってはしゃいでた頃とちょっと似てるよ。国民1億人が玉砕したら、それはもう負けですよって誰も言えなくなって、全国に焼夷弾が降り注いで原爆落とされて破滅寸前になった、あの空気にさ。つまり、幕末の幕府の体制のグズグズ感と、敗戦直前の生命と生活がズタズタに引き裂かれていく感じとが、両方一気にこの国を覆ってるってわけさ」

「それって、もう終わりってことじゃないですか」

「終わりっていうなら、この国はもうずっと前から終わってるよ。ただこの砂上の楼閣を崩す風や地震が起こらなかっただけさ。今、もう風は吹いちまったからな。今の国家にまかせてたら、音を立てて崩れてくる楼閣の瓦礫に飲み込まれるか、かろうじて生き残って砂漠みたいなところで喉をからからにして生きていくか、どっちかしかないかもしれないぞ。かと言って今のこの状態じゃ、この国を捨ててどこかに行くなんてことなんてできないし、政府をぶっ壊して新体制をつくろうにも外に出られないからなあ」

「あの、それほどまで冷めた見方をするようになってるのに、何でまだ秘書の仕事を続けてるんですか?」

「まあ、情けないけど、俺にも生活があるからな。威勢のいいことばっかり言ってたら出馬の道は永久に回ってこないってことに気づいたときはもう遅かった。娘が2人いてな、それぞれ来年、大学と高校の受験なんだよ──とは言っても今は毎日家にいるからなあ、帰っても煙たがられてるよ」

「そうなんですか、ご家族がいると、こういうときは大変ですね」

「思うんだけどさ、このままだと上手くいっても学校でクラス全員が顔を合わせるのは9月1日とかになりそうだろ。もう非常事態なんだから、このまま9月1日を新学期にして、そのまま来年から9月入学に変えてしまって、世界基準に合わせてズレを解消するみたいなことはできないもんかな。そうすれば、受験生がインフルに怯えながら勉強したり試験受けたりすることもなくなるのに。──まあ、そんなことできそうな政治家も官僚もいないか、この国には」

「そんなことないですよ、と言いたいとこですけど、残念ながらいませんね。この仕事を始めて僕は4ヶ月になりますけど、1ヶ月でだいたいわかりました」

「国会議員がこんなにいてもほとんどたいした仕事はしてないんだし、人払いして今の半分にしてもそれでも多いくらいだろう。こんなときにもあの連中に呆れるほど多額の金が流れ続けてて、結局そのことには野党もあんまり言わないんだから。うちの議員が──名前はちょっと忘れちゃったけど──報酬2割削減するって威張ってたけど、あれも恥ずかしいよなあ、まったく世話ないよ」

「そうですね……そうなると結局、市民の良心だけですかね、頼れるとしたら」

「まあな、でもそれも、全員てわけにはいかないだろうからなあ」

「あの、まだもう少しいろいろ聞きたいことがあるんですけど……」と新米秘書官が言ったところで、古参秘書官の携帯電話が鳴った。

 新米とはいえ、新米秘書官も心得ている。すぐに古参秘書官に電話に出るように促した。

「──あ、もしもし、はい……はい……ああ、そうなんですね。わかりました。すぐにそちらに向かいますので。──悪いな、官房長官からの呼び出しだ」古参秘書官は、携帯電話を内ポケットに押し込んだ。「今度また話そう。さっきの話はそのときでいいか?」

「あ、はい、ありがとうございます。また是非お願いします」

「結局、メイク・アメリカ・グレート・アゲインだとかアベノミクスだとか、景気のいいこと言って都合のいい数字を並べ立てて薄っぺらい経済成長を何年もかけて必死に積み上げてきても、ウイルス一発で全部吹き飛ぶんだから、呆気ないよなあ。資本主義も終わるかもしれないし、これからどうなるかわからないぞ。まあ、また今度」

 そう言い残すと、古参秘書官は階段を駈け降りていった。

 書類の束を抱え直した新米秘書が離れた扉の向こうから、相変わらず首相の元気な声が聞こえてきた。

「ブウウーン、ビュン、ビューン、ババーン……」

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