「いつの間に。そんなに時間が経っているようには思わなかった」

 本に集中していたせいなのか、それともいつもの騒がしさのない場所だからなのか、数時間があっという間で知哉ともやは大きく伸びをして香御堂こうみどうの入り口に視線を送る。

 相変わらず人の気配はなく、客など来ることもなさそう。

 店番をする意味はあるのだろうか? という疑問を頭に思い浮かべながら今度は右端に置いてある青色の麻の葉文様が表紙の本を手に取った。

 この本には香という物の種類について詳しく書かれている。

 「香りもの」は日本のみならず海外にもあり、その代表は香水。

 動植物などから抽出した精油を様々な方法によって組み合わせ出来上がる多様な香りであり、最も身近なものかもしれない。

 それらの海外の香りものについても書かれてあったが、此処が香を専門に扱う場所だからなのか、最も説明が細かかったのは香木などを使った「香」についてだった。

 香の中には大きく分けて「香木こうぼく」「線香せんこう」「焼香しょうこう」「抹香まっこう」「塗香ずこう」「合香あわせこう」「掛ケかけこう」「匂い袋」といった種類があり、またそれぞれの中で細かに種類が分かれる。

 香りを出す方法も温めることによって香らせるか直接火をつけ焼くことによって香りを出させるか、または直接塗ることによって香らせるものと様々だ。

 香の為の道具も多数あり、一番身近なのは香炉こうろ。さらに香炉こうろに入れる香炉灰こうろばい香炭こうたん火箸ひばし銀葉ぎんようといった聞きなれない道具もあった。

 道具の中でも香炉こうろはその素材や形などで種類や使う目的が変わってくるのだから多様も多様。

 そしてさらに香水同様香りの種類も様々で、知哉ともやは香りの世界の奥深さに眉間にしわを寄せ、真剣に本を読みふける。

 ふと何気に時計を見てみれば、あと二十分ほどで十二時となろうとしていた。

「やばい! 時間厳守!」

 十二時は昼食時間であり、みことが戻る前には昼食が出来ていなくてはいけない。

 時間厳守も次は無いと言われているのにしくじったと、慌てて帳場から立ち上がろうとした時、目の前の電話が鳴り響き知哉ともやはすぐにその電話に出た。

「昼飯は用意したか?」

 電話に出てすぐに聞こえてきたみことの言葉に、一瞬うっと言葉を詰まらせた知哉ともや

 しかしここで嘘をついても仕方がないとあきらめて正直に言う。

「すみません、本を読んでいたら夢中になって時間を見ていませんでした。今から急いで支度します」

「そうか、なら調度いい。悪いが四人分作ってくれ」

「四人分? 宿の方のお客さんが来るって事ですか?」

「まぁ、そうだが気が置けない客だから普通の食事で良いぞ、チャーハンとか簡単なもので」

「わかりました、今からじゃとてもじゃないけど時間のかかる料理は出来ませんしチャーハンにします。あ、そうだ、お昼の間、香御堂こうみどうは閉めるんですか?」

「帳場の横の方に札があるだろう。それをガラス戸の所にあるフックにかけておけばいい。じゃぁ、しばらくしたらそちらに行くからよろしくな」

 受話器を置き帳場の辺りを見渡せばちょうどレジの横辺りに「支度中、御用の方は入り口横銅鑼を鳴らしてください」の札を見つけた。

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