紙を受け取りながら辻堂つじどうは「困ったな」と一言漏らして道祖土さいどを見る。

「今すぐじゃなきゃ駄目か? 仕事もあるし、急に休むなんて言ったら迷惑をかけちまう。お世話になってるし出来れば迷惑はかけたくないんだ」

「はぁ、本当にちゃんと分かっているのかな。命と仕事どっちが大事なの?」

「両方だな」

 胸を張っていう辻堂つじどうに、頭を抱えるようにうなだれる道祖土さいど

「わ、わかってるぞ、ちゃんと。命あっての仕事だというのは。でも仕事も大事だ。そうだな、四日後なら迷惑もかけず仕事を休めるかもしれない」

「それじゃ駄目だよ。四日後は百目鬼どめきの使いが来る日だろう? 出来ればその前には事を片してしまいたい。二日後は?」

「そうか、ブッキングしないようにだな。うん、分かった、二日後に行くようにするよ」

「本当にわかっているのか不安になるな。まぁ、でも行く気で居るならいいかな」

「おう、ちゃんと二日後に休みをとるぞ」

 道祖土さいどにそう返事をしながらも辻堂つじどうは、どうしてそこまでしてこの宿に自分が行かねばならないのだろうと不思議に思っていた。

(湯治でもすれば良くなると言うのだろうか。まぁ、温泉治療とかいうからな。でも……)

 自分のこの変な病気は、今までの話を聞く限り湯治などという物でどうにかなるようには思えない。

 この宿に行く目的は一体何なのか道祖土さいどに聞こうとしたが、辻堂つじどうの言葉が出るよりも先に道祖土さいどが言う。

「三日後に必ずね。必要ないかもしれないけれど、数日分休みを取っておくと良いかもしれないから、取れそうなら取っておいて。宿の方への予約は自分がしておくよ」

 そう言って受話器を持った道祖土さいどは、思い出したように振り返って辻堂つじどうに言う。

「予約も入れておくし、気持ち的には宿に行ってほしいけど、最終的に行くか行かないかは辻堂つじどうの自由だよ」

「自由。百目鬼どめきの所のアスラっていうのと同じことを言うんだな」

「当然でしょ、だって辻堂つじどう自身の事じゃないか。自分自身の事を自分の判断で決める事が出来るって素晴らしい事だよ」

 鼻息を一つ、嘲る様に言い放った道祖土さいどの表情はあまりに暗く冷たく思えて辻堂は「そうだな」と同意するだけで精一杯だった。


 そうして辻堂つじどうは自分の考えではなく、どちらかと言えば道祖土さいどのあの時の表情と言葉が忘れられず、ただ言葉に従ってきてみたという状況で今此処『宿香御堂やどこうみどう』にいる。

 言われるままにやってきた宿で言わるままに入った部屋。

 自分の意志というものとはあまりにも遠い気がする。

 普通の和室の宿泊施設と大差はなく、畳の上には座卓があり座椅子が一つ、座卓の上にはポットとお茶が置いてある。

 入口左手の襖がある場所にはおそらく布団が入っているのだろうと辻堂つじどうは横を通り過ぎて座椅子に腰かけた。

「何にもないな。ここで何をすれば良いんだ?」

 来るんじゃなかったかもしれないと、そんな事を思いながら座椅子に腰かけ部屋を見渡してみる。

 部屋を見渡して初めて自分が座っている位置が普通の旅館と違い上座ではないことに気付いた。

 さらにあたりに漂う香りがどこかで嗅いだことのある香りだと一度大きく吸い込んでみる。

「あぁ、これって道祖土さいどの家で」

 そうして呟いた辻堂つじどうは先ほどまでの嫌な感じが少し和らいできたのを感じ、自分の座っている位置から見える床の間を見つめ少し首を傾げた。

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