知哉ともやが尊の存在を知ったのは母親が住み込みで働けと言い、一体どんなところなのかと聞いた時だった。

 もちろん面識はない。

 職場がどんなところなのかと聞いたにも関わらず、母親は雇い主になるみことの話をしてきた。

 知哉ともやの母、倫子りんこと尊は知り合いではあるが親しいというわけではない。

 倫子りんこが親しかったのはみことの母親であるさかき凌子りょうこの方であると聞いた。

 そんな話は今まで母親から聞いたことは無く、当然、父親や祖母から聞いたことも無かった。

 さかきなんて珍しい名字であれば、自分の人生で少しでも触れ合うことがあれば覚えているはずだが覚えがない。

 知哉ともやが知らないのは当然だと母親は言い、香御堂こうみどうのあるこの町でも、知哉ともやの実家がある町でもない、二人が嫁いでいく前に住んでいたその場所で同い年、お隣さん同士という状況で自然と友達になったのだという。

 凌子りょうことの思い出話をする時の倫子りんこはとても楽しそうだったが、何故か最後にはため息をついた。

 みことの両親は既に亡くなっている。

 其れについても母親から詳しい事は聞いていないし、他の家庭がどうであると言うことは知哉ともや自身関心が無かったので深く追求はしていない。

 倫子りんこ凌子りょうこと会うことが無くなったのは、凌子りょうこが結婚し実家を出ていってからのこと。

 何故か凌子りょうこと連絡は取れず、凌子りょうこの両親もいつの間にか居なくなっていた。

 倫子りんこの母、知哉ともやにとっての祖母が他界した時、倫子りんこもすでによその土地に嫁いで働いていた。

 祖母が亡くなる数年前から倫子りんこの所で祖母は同居しており、すでに人が住んでいなかった祖母の土地は、祖母の他界とともに売られ、結局倫子りんこ凌子りょうこは互いに連絡手段を無くした形で疎遠になっていた。

 何がきっかけでみことと連絡を取ったのかという所を知哉ともやは知らされていないが、両親が亡くなった後もみことは両親が残した香御堂こうみどうをやっていくことに決め、それ以来一人でここを切り盛りしているのだと聞かされた。

 久し振りに連絡がとれたみことが、両親を亡くしてもしっかり自分で残された店を守って働き、ちゃんとしている姿に触発されたのかもしれない。

 自分の不甲斐ない息子のあまりにもだらしない生活をどうにか正そうと、立派に自立している昔の友の娘に、知哉ともやの事を家事全般出来る便利なやつだからと頼んだに違いないと知哉ともやは思っていた。

「幾ら両親の残したものを守ってしっかりやっているっていっても、この家の状況は無いよなぁ」

 この状況、良いと思っているんですか? みことにそう聞いたとしても、

「仕事が忙しくて手が回らない。ただそれだけだ」

 そう言うにきまっていると、知哉ともやは再び溜息をつく。

 この香御堂こうみどうで働くにあたって読んでおくようにと言われ、部屋に置かれていた冊子の見開きには新たに手書きで五つの約束事が書き足されていた。

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