希望、中一。そのいち
ノゾミとノゾムは、小学校を卒業して、中学校に入学した。ノゾミに関しては、無事卒業できたと言った方が正しいのかもしれない。
ノゾミが小学四年生の夏休み明けの頃、体調を崩し入院した。詳しい事は分からないけれど、どうやら呼吸を促す器官に病を患ったようだ。一時危篤状態になったノゾミは、奇跡的に一命をとりとめたそうだ。ママが目を真っ赤に腫らして教えてくれた。それから、ノゾミは入退院を繰り返すようになった。家にいない時間が大幅に増え、相羽家は常に薄暗いように感じる。ママもノゾムもパパも、元気がないように見える。あんなにも明るかった一家団欒のひと時が、まるでお芝居のように、皆が演技をして取り繕っているようだ。
ノゾムは、昔ほどやんちゃではなくなった。少し大人になったのか、それともせめて迷惑をかけないでおこうとしているのか、分からない。
あまり喧嘩をしないママとパパが、小競り合いをしている姿を目撃する回数が増した。それでも、ノゾムには、争っている姿は見せまいと、夜中に口論をする事が多い。たまに、熱くなりすぎてしまって、食器を割ってしまう事があった。その音にノゾムが目を覚まし、リビングに下りそうになると、僕は大声を上げて二人に知らせてあげる。
みんなノゾミの事が、心配で堪らない様子だ。そして、その不安や怒りの矛先を外へ向けないように、懸命に歯を食いしばっている。それでも、漏れ出てしま時があるけれど、誰も責められない。だって、誰も悪くないのだから。でも、ノゾミは、自分が悪いと思ってしまっているから、悲しくなってしまう。
誰も悪くないのに。
ノゾミの体調が少し回復し、一時退院が許されると、相羽家は途端に明るくなる。それでも、みんながみんなを不安にさせないように演技をしている。退院して入院、退院して入院の日々を、二年程繰り返している。
僕は病院に行く事が出来ないし、退院してもあまりノゾミと接触をしてはいけないようだ。僕は、ただノゾミを眺める事しかできない。ノゾミが帰ってくると、僕は部屋の中に入れられる。特にノゾミの部屋に入る事は、ママからきつく禁じられている。僕が、理解できる事を疑っていないママは、目の高さを合わせて教えてくれる。ママの想いには答えなくてはならない。無力感に苛まれているのは、僕だけではないのだ。
ノゾミの入院中の状況も教えてくれる。毎日のようにママがお見舞いに行っていて、ノゾムとパパも休日には一緒に向かう。ノゾミは、シズヤ君にもらったお守りを常に握りしめているそうだ。タクミ君やご近所の人々もお見舞いに行ってくれているようだ。ミマの名前を聞いた事はないけれど。
ノゾミは、なんとか小学校の卒業式と中学校の入学式には出席できた。しかし、入学式の最中に具合が悪くなり、ママとパパが病院に担ぎ込んだそうだ。それから一か月程学校には行けなかった。退院後、学校に行ったノゾミであったが、入学式に悪目立ちをしてしまった事と、周囲とは一か月遅れの開始の為、非常に居心地が悪いとノゾミが言っていた。ノゾミは、僕には、色々と本音を零してくれるのが、嬉しくもあり悲しくもある。
悲しくなる理由は、勿論ノゾミの現状に対するものであるのだが、それだけではない。ノゾミは、リビングの隅に置かれた僕の部屋の柵越しに、話しかけてくれる。でもー――
ノゾミの顔があまり見えないし、声もあまり聞こえない。
まるで、ビニール袋を頭から被せられたような感覚に陥っている。体が重いし、思ったように動かない。最近では、散歩に出かける頻度が、めっきり少なくなってしまった。常に息苦しい。近頃、頭に浮かぶのは、堂本さんちのマルの姿だ。マルもきっと僕みたいに、もどかしい時間を過ごしていたのかと思うと、胸の奥の方が重く感じるのだ。
大好きな家族が悲しんでいても、寄り添ってあげられない。
大好きなノゾミが折角、帰ってきてくれたのだから、話を聞きたいし顔を見たい。『ノゾミ、止めた方がいいよ』そう思うけれど、ノゾミに触れられるのは嬉しい。ノゾミは、たまにママやパパの目を盗んで、僕の腕に触れてくれる。ずっと、繋がっていたいけれど、僕はなけなしの力を振り絞って、歯を剥き出しにして威嚇する。すると、ノゾミは悲しそうな顔で、腕を引っ込めるのだ。
当然だけど、ノゾミに威嚇している訳ではない。僕にあまり近寄らない方がいいからだ。ノゾミの体の心配もそうだけど、それよりももっと不穏な気配が存在する。
影人間が、僕をジッと眺めているのだ。
ノゾミが柵越しに僕に触れると、まるで影人間がノゾミの背後に立っているように見えて、肝が冷える。
僕には、奴らを追い払う力さえ、残されていないようだ。
ノゾミが瞳に涙を一杯に溜めて僕を見つめていると、テーブルの椅子に座っているママが声をかけた。
「希、ちょっと座ってくれる? 大切な話があるの」
ママの声が、あまりにも元気がなく心配になった。テーブルには、ノゾムとパパも座っていて、ノゾミの席だけが空いている。その空気を感じ取ったのか、ノゾミは一度視線を僕に向けた後、躊躇いながら席についた。
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