希望、誕生。そのいち
「やっぱり、子供には希望を持って生きて欲しいんだよね」
それがカズユキの口癖であった。だからこそ、僕には『ホープ』という名前をつけようとした。希望と言う意味らしい。でも、ママが可愛くないという理由で、『ホップ』と名付けた。カズユキは、納得いっていないようであったが、相羽家ではママの方が序列が上のようであった。ママのサエコとカズユキは、夫婦であるのだが、僕はママの方が好きだ。
「ホップって、最初の一歩目って感じがして、長男にぴったりじゃない? 決まりね」
「ああ、ホップ、ステップ、ジャンプのホップか。ビール好きの君の事だから、麦芽ホップから取ったのかと思ったよ」
そんな事を言いながら、カズユキはごにょごにょと口の中で言葉を転がしていた。やはり、不本意なのだろう。それでも、僕はママがつけてくれた、ホップという名前を気に入っている。
朝起きて、ご飯を食べて、ママと遊んで、カズユキが仕事にいき、その後ママが仕事に向かう。一人でこの広い家にいる時間が長い。寝たり探検したり、僕専用の玩具で遊んだりして時間を潰す。一度だけ、あまりにも退屈で寂しかったから、クッションを振り回して遊んでいた。すると、クッションがボロボロになってしまい、中から白い綿がはみ出した。そのクッションを見たママに、物凄く怒られたから、もうやらない。
そんな暮らしを二年程過ごした、ある日の事であった。前々から、少し違和感を覚えていた。細い体のママのお腹が、日に日に大きくなっていったのだ。すると、ママがソファに腰かけ、僕を抱きかかえた。僕を大きくなったお腹の上に乗せる。
「ねえ、ホップ分かる? お腹がドンドンしてるでしょ?」
ママのお腹の上に乗っていると、下から突き上げられるような感触があった。
「お腹にね、ホップの弟と妹がいるのよ。ホップは、お兄ちゃんになるの」
今までに見た事もない程の穏やかな表情で、ママが微笑んだ。僕はママの頬に顔を寄せる。
「弟と妹を守ってあげてね」
なんだかよく分からなかったけれど、ママの嬉しそうな顔をずっと見ていたくて、僕はママの言う事を聞くことにしようと思った。
歩く事すら大変そうなママは、はち切れんばかりのお腹を抱えている。心配になってママを見上げる事が多くなった。
「ホップ。紗栄子は足元が見えづらいから、あんまり足元でウロウロしたらダメだよ。危ないからね」
どうして、カズユキに指図されなきゃいけないんだ。そう思ったけど、ママが危ないなら、気を付けることにした。すると、ママが突然いなくなった。何日もママがいない日を過ごし、不安と寂しさが募っていった。ご飯は、カズユキが用意してくれたけど、なんだか味気ない。
心にぽっかりと穴が空いたような日々を一週間程過ごしたある日、僕がソファの上でふて寝をしていると、突然耳が跳ね上がった。反射的にソファから飛び降りて、玄関へと駆ける。間違いなくママの声が聞こえた。居ても立ってもいられなくなって、三和土から土間へと着地して、グルグル回った。玄関ドアに手をかけて、叫び声を上げた。すると、玄関が解錠する音が聞こえて、ゆっくりと扉が開いた。縦長の隙間から漏れる光の中から、ママの満面の笑みが見えて興奮した。
「ホップ! ただいま! いい子にしてた?」
ママはしゃがみ込んで、僕の頭をこねくり回す。
「ママ! ママ! ママ!」
嬉しくて嬉しくて堪らない僕は、ママを呼び続けた。すると、ママが指を立て、口元にあてた。
「びっくりしちゃうから、静かにね」
僕が首を捻ってママを見ていると、ママが何かを抱えている事に気が付いた。ママの胸元を覗き込んでみると、クリクリした目で僕を見ている小さな子供がいた。ママとカズユキが、リビングに向かいソファに座る。二人は、それぞれ子供を抱いていた。
ああ、なるほど。この二人が、僕の弟と妹か。
「ホップ。この子が妹の希で、こっちが弟の望よ。仲良くしてあげてね」
ママが、二人の子供を愛おしそうに撫でながら、両目をスッと細めた。ママが抱いている方が妹のノゾミで、カズユキが抱いている方が弟のノゾムだそうだ。僕は二人の間に飛び乗って、顔を近づける。見た目の違いはよく分からなかったけど、匂いは全然違った。でも、二人とも温かな陽だまりのような、とてもいい匂いがした。
「希と望。二人合わせて、希望だ。希望を持って生きて欲しいんだ。二人の名前だけは、どうしても譲れなかったんだ」
なぜだか、分からないけれど、カズユキが自慢げに胸を逸らせた。
「はいはい、分かったわよ。でも、双子で一文字違いって、分かりにくくない?」
「憎くない! 憎い訳があるもんか!」
「いや、そうじゃなくて。はあ、まあいいわ。希望を持って生きて欲しいのは、私も一緒。でも、間違っても、『君達二人は、僕達の希望だ!』なんて、言わないでよね。過度な期待を背負わせたくないからね。分かった?」
優しくも迫力のあるママの声に、カズユキはゴニョゴニョと何かを言っていた。僕は、ママとカズユキの間で寝そべって、お腹を見せた。
「お? なんだ、ホップのやつ。甘えてるのか? 心配しなくても、お前も可愛がってやるよ」
そう言うと、カズユキは僕のお腹を撫で始めた。
「触るな! この野郎!」
僕が怒ってみせると、カズユキは慌てて手を引っ込める。その後、今度はママが僕のお腹を優しく撫でてくれた。
「違うよね? ホップ。僕は君達に危害を加えないよって、教えてくれてるんだよね? でもね、突然大きな声を出しちゃダメよ。この子達がビックリしちゃうからね」
ごめんなさい。でも、さすがママだ。良く分かってる。
僕は、尻尾を振って、ママの温もりを感じながら、穏やかな気持ちで眠りについた。
しかし、僕に待ち受けていたのは、穏やかとは正反対の怒涛の日々であった。
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