スペックス

川口健伍

1

 紫煙の充満した薄暗い部屋の中央で、探偵オプがひとりソファに寝そべっている。テーブルを挟んで向かいには馴染みの情報屋ソースと、その隣には白いワンピースに無表情の少女。不意に情報屋が書類を投げ、受け取った探偵が読み出す。最新技術の塊である「スペックス」が流失した。企業関係者が必死になって捜索しているが見つからない。どうやら地下にもぐったようである。

「もぐった?」

 探偵は訊き返した。探偵はグッドマンと呼ばれている。部屋は差し込む西日で赤く染まっていく。グッドマンはソファに寝そべり、胡乱気な視線は手元の書類に向けられている。彼はいま、まさに起きたばかりだった。起こしたのは彼らだった。情報屋と少女だ。依頼――そうだ、依頼だ。グッドマンの意識が覚醒する。

「だからおまえに持って来たんだ」情報屋は肩をすくめる。「この界隈で一番融通が利くし、なにより荒事は得意だろう」

「それで、そっちは?」

「飛び級の研究員さんで、依頼主様だ。」

 グッドマンは肩をすくめ、書類に火を点ける。吸殻が山盛りになっている灰皿の上に乗せると、紙片が幽鬼のようにゆらめいて消えうせる。

「明日の同じ時刻にまた来てくれ」

 それまでに結果を伝える、とグッドマンは立ち上がり、窓のブラインドを下ろした。部屋は暗くなる。情報屋と少女の顔がはっきりと見えるようになる。情報屋の表情には特に気にする点は見当たらない。彼のにやけ面はいつものことだ。これでよく信用を勝ち得ているなと思うに、しかしそのひとりに自分が含まれていることも、グッドマンは自覚している。信頼や友情は願っても得られるものではない。行為の結果として偶然手に入る得難い報酬だ。グッドマンは情報屋の馬鹿馬鹿しいまでに良心的な仕事ぶりを知っている。今回もおそらく隣の少女に泣きつかれたのだろう――そして、グッドマンは警戒する。情報屋の隣に座っている少女は、おとなに泣きつくような表情を見せる、そういう雰囲気を少しも持ち合わせていない。焦点の定まっていないような彼女の瞳は、グッドマンにも、突然暗くなった部屋にも、保護者然とした情報屋にも向けられることはなく、確実に自分の内側に向けられていた。心ここにあらず。リアルじゃなかった。もぐっているのはこっちもか、とグッドマンは思う。「スペックス」はおそらく――いや、いまは予断を持たない方がいい。グッドマンは自制する。調べればいずれわかることだ。

 グッドマンは細身のコートをはおり、目深に帽子をかぶる。部屋を出て行こうとする。

「待って」

 グッドマンは振り返った。少女が立ち上がってこちらを見ていた。

「連れて行って」

 情報屋は素知らぬ顔をしている。この件はすでにグッドマンに依頼されているのだから、君自身でこの問題も解決してくれ、と。

「危険だ」

「知ってるわ」

「そうか」

 グッドマンはうなずいた。了承だった。目が醒めることを期待していた。守れる自信もあった。少なくとも「女の子」がそんな表情をしていることについて無関心でいられるほど、世を儚んでいるわけでもなかった。

 表情を変えることなく少女が、グッドマンのそばにやってくる。

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