第7話 解析作業
「待たせたね」
「別に、そんなに待ってない」
受付カウンターのアンドロイドから来客用IDカードを受け取ったロバートは、いそいそとそれを首にかけながら、エレベーターの前で待っていたエーデルの傍にやって来た。
ロバートの首の紐の色は、赤。他の市の管理局に勤める人間やアンドロイド、調律師などに発給されるレベルの物だ。このアングヒル支部施設内全体に入ることの出来る権限が、そのカードを身に付けていれば与えられる。
程なくしてやって来たエレベーターに二人と一匹は乗り込み、四の数字と確定の文字をタッチする。
ヴゥンと電子音が鳴ると、エレベーターは上昇を開始する。その挙動にロバートが、「おぉ」と小さな声を零した。
エーデルは視線を左右に動かして、それからロバートのコートの裾を引いた。
「……さっきは、助かった。ありがとう」
「ああいうのが、君から仰せつかった私の役目だからね。構わないさ」
何でもないように言う彼に、エーデルは少しだけ眉を寄せる。
十数秒ほどで調律部のある四階へ辿り着き、エーデルの調律部屋へ直行した。
ロバートがリアンを部屋へ下ろしたのを見ながら、ケープから白衣へと服装を変える。それから、仕事用の端末をタップしてタスクを開く。タスクの一番上、今日の仕事の中で最も重要であるとされている仕事内容の文字を読み、エーデルは目を見開いた。
「エーデル?」
「……だから、君にそのIDカードを渡してもいいって主任は判断したわけか」
ぼそぼそと呟くエーデルに、ロバートは小さく首を傾げた。
「リアン、いい子で待ってて。それで、
「あぁ。行くのは構わないけれど、どこへ君を連れていけばいいかな?」
「は、連れていくって」
エーデルが問いかけるよりも早く、ロバートが彼女の身体をさっと抱き上げる。突然のことに、声も出せなかった。
「ずっと立って応対していたから、疲れていただろ?」
ロバートの言葉に、びくっとエーデルは肩を震わせる。「おや図星かな?」と軽い口調で彼は言葉を足した。
エーデルはぐっと奥歯を噛み締めて、ふいっとロバートから視線を逸らして唇を動かした。
「いつから、気づいてた」
「そうだね……。君は歩くのにも杖がいるだろう。立つのも大変だと考えるのは、当然の思考だとは言えないかな。それで、どこへ行くんだい?」
エーデルを見下ろしてくるロバートは、にこやかな笑顔でそう言う。その表情に彼女は、小さく息を吐き出した。
「……三階。第二特別保管室」
「了解」
リアンを置いて部屋を出たエーデルとロバートは、再びエレベーターへと乗り込み、照明の落とされた薄暗い三階へと降りた。
しぃんと静まり返った廊下は、物々しい雰囲気が漂っていた。人二人がすれ違えるかというほどの廊下には、護衛用のいかついアンドロイドが、等間隔にスペースを開けて何人も立っている。
廊下ですれ違うことは一切なく、目的地である第二特別保管室へと二人はやってきた。
自動扉が開くと、ぱっぱっと同時に部屋の明かりが点いた。
部屋の中に置かれているものは、調律部屋に置かれている機器と大差ないものばかりだ。だが、作業台の上にうつ伏せで寝かされているアンドロイドは、両手両足を鉄の鎖で厳重に拘束されている。
その個体の身体には、まるで点滴をしているようにあちこちにコードが刺さっており、それがいくつものモニター機材にそれぞれが繋がっている。
むわりとした油の匂いが、部屋の中に充満している。
ロバートは、思わず顔を顰めてそっと鼻を押さえる。
「これは……」
「もう下ろしていい」
ロバートは僅かに逡巡しつつも、そっと硬い床の上に彼女を下ろした。
エーデルは怯えることなく、ゆっくりとアンドロイドの元へ寄っていく。
寝かされている男性型のアンドロイドは、酷い有様だった。
左肩、左脇腹、両足には、対アンドロイド・ロボット用兵器——熱線銃で穿たれた大きな穴がぽっかりと開いている。左腕もレーザーで切り落とされ、なくなっている。皮膚の質感投影の出力がなされていないため、普段は見えなくなっているはずの銀色の金属部分が見えていた。
テーブルの上のトレイには、アンドロイドの心臓ともいえるポンプが置かれていた。
恐らく、直すことは出来ないだろう。一目でそう分かってしまうほど、それは壊れてしまっていた。
「エーデル」
ロバートは、自身の問いかけに対して答えないエーデルへ、もう一度声を掛けた。
「………これは、暴走アンドロイドの死体だ」
「……今朝のニュースで特に聞いていないが」
「アングヒルでは、まだアンドロイドやロボット犯罪は起きてないから、多分別のところから回ってきたものだと思う。設備的に、ここは本部と同じくらいに充実してるから」
エーデルは、テーブルの上に置いてある端末に触れる。そこには破壊されたアンドロイドに関する情報と、具体的な内容などが記されていた。
「基本的な骨組みはグランディア社製、GR-MACS25型。……オートマタの改造版か」
書かれているないように目を通しつつ、エーデルは小さく呟く。
アンドロイドとロボットは、人型が動物型かという違いがあるが、アンドロイドとオートマタには明確な差はない。強いて挙げられる違いは、使われる場所と能力値によって名称が変えられていることだ。アンドロイドが人の暮らしのサポートや手助けに特化しているのに対し、オートマタは戦地に赴く兵士として使われるものだ。
現在、アルスリア国は戦争をしていないため、不用品となったオートマタはアンドロイドへと改造され、工事現場や作業場といった力仕事の場に駆り出されたり、この国ではメジャーなギャンブルの一つ——
エーデルは端末をテーブルに置き、その死体へと近づいていく。首に繋がっているコードに振れれば、冷たい温度が指先へと伝わってきた。
「……イルグレーゼの工事現場で急に制御不能状態に陥り、暴れ回った。通報を受けた保安部が停止命令を掛けたものの、止まる様子がなかったために止むなく発砲。被害者はなし」
「怪我をした人間はいないのに、ここまで……」
「別に、おかしくない。普通だよ」
エーデルはコードの先を目で追い、それが刺さっているモニターを見つけると、その近くに椅子を手繰り寄せ、腰を落ち着けてモニターに向き合う。
そこからコードを抜き取り、端末に差し込んでから、エーデルは端末の操作を開始する。
流れていく数字と言語を、エーデルは一つも見落とさないように注意を払いながら、視線をゆっくりと動かしていく。
「……話しかけても、大丈夫かな?」
「構わない。そこまでの作業じゃないから」
「ありがとう。……君は、この仕事をいつもしてるのかい?」
「まぁ、誰も好んでやりたがらないから。油臭いのが服に付くし、眠っている彼が予期しない行動を動かすかもしれない。……例えば、ポンプが入ってないのに勝手に動くとかね」
「そういう事例が、実際に?」
ロバートの問いかけに、エーデルは何も返さなかった。だが、ポンプを抜いて寝かされているアンドロイドの両手足を縛っていることや、廊下に立たされている警備用のアンドロイドの多さ、エーデルの例えの具体性を考えてみれば、すぐに理解できるものだ。
「……そんな危険な仕事を、一人でやっているのか」
「何が危険なのかは、私が判断する。少なくとも今までやった解析作業の中で、リアンの電気ショックに頼ったことはない。あと一人なのは、横からワァワァ言われるのが好きじゃないだけ」
基礎中枢のプログラムコードそのものの不備がないことを確認し、アンドロイドにとってのプライベート部分でもある情操領域へ、エーデルは踏み込んでいく。
この個体が見聞きしたことや積み重ねてきた学習内容、経験などが、文字表記という形で、エーデルの目の前に次々と鮮明に紡がれていく。それと同時進行で、記憶にあたる彼のメモリ領域も開示し、二つの目でそれらを流れるように見ていた。
彼女の細い指は、まるで最初からそういった動きをすることが決められているかのように、端末の上を止まることなく滑らかに動いている。
「エーデル。どうして君は皆が嫌がるような仕事を、引き受けているんだ?」
その問いかけに、エーデルの手の動きが止まる。そして、そっと彼女の指が端末の画面から離れ、鮮やかな糖蜜色の瞳がロバートの目を射抜く。
その目は少しだけ迷うような雰囲気を見せ、しかししっかりとロバートを見据えた。
「私は、暴走アンドロイドがどうして生まれてしまうのか、どうしてその行動を引き起こしたのか、それが知りたい」
エーデルは、ふっと短く息を吐き出し、横たわっているアンドロイドへと視線を移動させた。
「だから、彼らを調べる仕事を選んだ。ただそれだけ」
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