236. 教師と同士


 三大名家と呼ばれる白宮守、紫乃藤、橙宝院の本家に連なる若者たちが一人の一般市民である男子高校生のために会議を開いていた頃。財布の窃盗という重大事件が起きたことでどこか落ち着きがなく、そして好き勝手な噂が飛び交う酷い状態となった校内を冷静な様子で歩いていた瑠璃は、担当クラスで聞いた情報を元に保健室へとやってきていた。


 扉をノックして独特な香りのする部屋へ瑠璃が足を踏み入れると、そこにいるはずの養護教諭の姿はなく彼女も見知った一人の女子生徒がいるだけ。真っ白なカーテンで隠された背後を気にする様子から、部屋に一人だけということではないと判断した瑠璃はその女子生徒、南川朱音に探している生徒のことを尋ねる。


 「―――――――――南川さん、黄波さんがここにいると聞いて来たのですが・・・・・・」


 「えっと、今は話せる状態じゃないと思います」


 「そうですか・・・・・・」


 どうして今、問題となっている生徒の担任教師がわざわざ保健室まで脚を運んでまで友人と話したがっているのか、その理由が分からない朱音は若干困惑していたが、好きな人があのように断罪される映像を見せられて、しかもその原因が自分自身かもしれないという酷な状況に置かれている友人のことを守るために拒否という形を選んだ。


 瑠璃としては大也との関係など詳しい事情を話すわけにもいかないため、仲間思いの生徒を押しのけてまで自身の目的を達することはできない。どうしたものかと瑠璃が悩んでいると、カーテンが揺れて具合の悪そうな菜月が顔を出して友人へ声をかける。


 「青星先生なら、大丈夫。朱音、ごめん。少し先生と二人で話してもいい?」


 「・・・・・・うん、わかった。教室戻ってるからまた後でね」


 「ありがと」


 本当は心配で一緒にいたいというのが朱音の本心であったようだが、菜月自身から『二人で』と言われてしまえば引かざるを得なかったらしい。そうして若干悩む様子を見せてから保健室を後にした友人へと感謝しながら、ベッドの上に座った菜月は担任教師へと向き合った。


 運良く二人きりとなったが、もしこの場に養護教諭がいたなら場所を変える必要があると考えていた瑠璃は、いつ誰が部屋に入ってきても良いように警戒しつつストレートに菜月へと問いかける。


 「私はまだ概要しか知りませんけど、それほどショックでしたか?」


 「・・・・・・見てられなくて、逃げ出しちゃうくらいには」


 そこに目的語はなかったものの、何のことを言っているのかは菜月にもすぐに分かった。この状況で二人が話すことなど大也絡みのこと以外にはあり得ないのだから。


 綺麗な顔に暗い影を滲ませながら発せられた小さな声を聞いて、瑠璃は簡単にその心情を読み取ることができたのか遠慮などせず再度問いかけた。


 「もしかして今回の件を自分のせいだと思っていますか?」


 「その通りじゃないですか・・・・・・。アタシがはっきり断ってれば、こんなことにならなかったんですから」


 まだ振られてもいないのに感情を先走らせてこんなことをやらかしている以上、もしはっきり断っていたとしても何かしらの形で事件を引き起こす可能性は高いし、もしかしたら菜月自身が被害を受けていたかもしれない。


 そんなことを考えた瑠璃だったが、それを言ったところで「代われるなら代わりたい」といった感じで反論されるに違いない、と菜月の性格から予想した彼女は別の言葉を選択した。


 「私は、黄波さんのせいだとは思いません。悪いのはすべて行動を起こした人間です。動機が何であれ、こんな真似は許されません。でも、だからといって黄波さん自身が自分を責めることまで否定はしません」


 「・・・・・・どういう意味ですか?」


 自責の念に追い詰められている菜月は、矛盾したことを言われていると感じたかもしれない。それが分かっているからこそ、瑠璃はその言葉の意味をきちんと説明した。


 「人は失敗して強くなります。取り返しのつかない重大な失敗を進んでしろ、とは言えませんけど、今回はどうにかなる失敗なんですから塞ぎ込む前にできることをするべきです。そして、それを過ちだと思うのならもう二度と繰り返さないように反省して、学んで、次に生かす。それができればきっと大丈夫です」


 「でも、大也くんが傷ついた事実は変わりません。アタシのせいで、百合花さんのことまで悪く言われて・・・・・・。なんとかなったとして、これからどんな顔で接すればいいんですか」


 もしも大也が頼りにできる人たちと出会っていなかったら、たしかに救いはなかっただろう。けれどそんな仮定には意味がない。現実として彼を助けてくれる人たちがいるのだから。


 ただ、この事実は菜月にもすんなりと伝わったものの、結果として事なきを得てもそこまでのすべてを無かったことにはできないという考えから、大也や百合花への自責の念を積もらせているらしかった。


 それを察した瑠璃は、本来であれば大也が直接声をかけるべきであり菜月もそれを望んでいると理解しながらも、今はそれが難しいことから教師として、同じ人を好きになった同士として力になろうとする。


 「黒菱くんが黄波さんのせいだと考えている、と本気でそう思ってるんですか?」


 「そ、そういうわけじゃないですけど・・・・・・」


 「それならちゃんと好きになった人のことを信じなさい。それと、もっとポジティブに考えること。一夫多妻を認めてあげてるんだから、たとえ自分のせいだったとしてもこれくらいは許してくれるよね、って」


 「・・・・・・先生もそんな冗談言うんですね」


 真面目な言葉に続いたどこまで本気か分からない言葉に、菜月は一瞬だけ虚を突かれたような表情を見せてから小さくそう呟いた。


 他に素敵な女の子たちから好意を向けられている大也の心が離れていかないようにしなくてはいけないと思って大也を自分より上に位置づけている菜月とは異なり、瑠璃は対等な関係性でお互いに譲歩しながら付き合っていくことを考えている。


 そんな考え方のギャップがあったせいで、菜月は瑠璃の『認めてあげている』という部分を冗談だと思ったのかもしれない。ただ、言った本人からすればそれが当たり前なので何を冗談だと思われたかと小さく首を傾げてしまう。


 「割と本気でそう思ってるけど・・・・・・」


 「・・・・・・えっと、途中からタメ口になったの気づいてます?」


 短い沈黙の中で二人とも意見の相違があることに気づいたようであったが、それよりも気になることがあったらしい菜月は瑠璃の話し方について言及した。


 「もちろん。だって今は教師として接してないし」


 「なんか調子が狂うんですよね」


 「それはこっちも同じ。いつもの元気はどこに行ったの?」


 砕けた口調になった瑠璃は意識して話し方を変えたわけではなかったものの、話をする中で教師ではなく同士として言葉を交わすべきだと無意識のうちに判断したのだろうと自己分析する。


 もっとも、普段が丁寧な言葉遣いなだけに菜月からすれば違和感が強いらしい。以前も紫乃藤家の別邸で姉妹として接したことはあったが、初めて故の初々しさを面白がっていたせいかそのときの菜月は気にしていなかったというのに。


 まるで姉の風莉から色々口出しされている気分になってきたのか、先ほどまで泣きそうになっていた暗い雰囲気が表情から完全に消えた菜月は、どことなく楽しそうな色を含んだ苦々しい顔になって不満を口に出した。


 「うへぇ、なんか口うるさいお姉ちゃんがもう一人いるみたい」


 「お姉ちゃんって呼んでくれてもいいよ? 豆腐メンタルの菜月ちゃん?」


 そんな様子が面白かったのか、瑠璃も学校ではほとんど見せることのない笑顔で菜月をからかう。


 メンタルが弱いことは自覚しているため反論しない菜月であったが、言い方が若干気に障ったのか小さく頬を膨らませながら言い返した。


 「教師が生徒にそんな煽り方してもいいんですか?」


 「いまは教師じゃないから問題ないかな」


 「ここ学校なんですけど・・・・・・。教師じゃないと思ったら大也くんともイチャイチャするってことですよね」


 まさに無敵の論法かに思える教師否定法を使う瑠璃に対し、ジト目になった菜月は自分だけでなく大也の場合でもそれを使って好き勝手やるのかと尋ねる。そうすると効果抜群だったようで、先ほどまでの強者感はどこへやら。瑠璃は周囲を気にしながら弱々しく返すことか出来ない。


 「・・・・・・そ、それは流石に無理です。誰かに見られたら終わりですし」


 「あ、戻った」


 「こほん。私と違って黄波さんはいつでも自分の思い通りに黒菱くんと関わることができるんですから、私と黒菱くんの関係が怪しまれないためにも早く付き合っていることにしてください」


 わざとらしく咳払いしてから、気持ちを立て直した瑠璃は今後のことについて真面目な表情で提案する。文化祭で公表する予定だが、今回の件があった以上前倒しすることを検討するべきということだろう。今回暴走してしまった生徒と同じような考えに至って第二・第三の事件が起こっては元も子もないのだから。


 「・・・・・・でも今回みたいなことがまた起きるかも――――――」


 「むしろ、だからこそです。関係を明らかにすれば周囲の目が暴走を抑えてくれるでしょうから。それに、黒菱くん自身も強い子ですし、その後ろには国家権力が控えているんですから問題はどこにもありません」


 関係を公表することでさらに大也に迷惑がかかるのでは、と後ろ向きな考えが口に出た菜月に対し、瑠璃はそれを否定して心配する理由などないと言い切った。


 今回の一件にしても、大也と菜月が付き合っていると周囲が分かっていれば教室内で大也を吊し上げるような雰囲気にはならなかっただろう。草野が横恋慕で大也を陥れようとしているのだと、草野の気持ちに気づいている人間はすぐに察することができる。草野自身もそう思われるのは避けたいはずなので、大胆な行動を起こすこともできないはずということだ。


 もっとも、それがなくても冤罪を着せるという犯罪行為までやってしまうのはどう考えてもやり過ぎで、大也の人脈がなければ取り返しのつかない事態になっていた可能性が高い。そういった意味では、瑠璃が最後に言った『国家権力』というワードが一番安心できるものだったに違いない。


 「国家権力って・・・・・・でもそうですよね。ありがとうございます」


 「いえ、共犯関係の仲間ですから」


 改めてそう言われた菜月は、あの三大名家が味方というだけで何でもできる気になったのか、いつもの満月のように明るく綺麗な笑顔で瑠璃へと感謝を伝えた。


 現状では一夫多妻が認められていない以上、この関係性が珍しいのか当たり前なのかは判断できない。けれど女性同士も男女間と同じようにお互い様の精神で支え合っていければいいな、と瑠璃はそんなことを考えながら感謝を受け取る。


 「でもこういうのは大也くんにやってほしかったなぁ」


 「・・・・・・今まさに大変な状況にいるのに黄波さんを慰める余裕があると思ってますか?」


 そうして不安の種がなくなって気が楽になったのか、菜月は冗談っぽく瑠璃への文句を呟いた。ただ、それは話をする前に瑠璃自身が自覚していたことである。それを理解していながら行動したのは、いくら助けがあるといっても窃盗の容疑者として見られている大也の手を煩わせないためなので、彼女は手のかかる妹のような生徒を甘やかすことなく正論で返した。


 「むぅ、そうやって急に突き放す」


 「風莉さんも同じような感じではないですか?」


 これくらいの文句はいいじゃん、という雰囲気で頬を膨らませた菜月に、瑠璃はため息を我慢しながら話を続ける。


 「お姉ちゃんはそんなこと・・・・・・しますね」


 「これはきっと同じ理由ですけど、黄波さんのことを大切に思ってるからこそですよ」


 「そうやって言えば納得すると思ってません? たしかにそういう風に感じることもありますけど、遊ばれてるだけな気もするんですよね」


 大切だったら何をしても言ってもいいのか、と常に上下関係で下にいる妹の立場から反論する菜月。それに対して、瑠璃は綺麗な瞳でまっすぐ菜月のことを見つめながら、優しい笑みを向けて答えた。


 「それだけ大切で可愛いってことですよ」


 「・・・・・・そういうことにしておきます」


 あまりにまっすぐな言葉に、菜月は恥ずかしくなったのか視線を彷徨わせながら、素直じゃない言い方で納得したことを伝える。ただ、彼女の表情には明らかに喜色が滲んでいて、それを見て取った瑠璃は小さく微笑むのだった。


 『―――――青星先生、森岡先生の両名はお話しを伺いたいので校長室まで来てください。繰り返します――――――』


 話を始めたときとは一転して和やかな空気になってきた二人だけの保健室に、呼び出しを告げる校内放送の音声が響く。一緒に呼び出された教員の名前からして、その理由と目的は菜月にもすぐに理解できたらしい。


 「大也くんのこと、ですよね?」


 「間違いなくそうでしょう。行ってくるので待っていてください」


 「アタシも行きます!」


 緩んでしまった緊張感を取り戻しながら校長室へ向かおうと立ち上がった瑠璃だが、間髪入れずに菜月から同行を希望されて、露骨に困り呆れたような顔になる。


 「・・・・・・どう考えても不自然じゃないですか」


 「でもアタシだけ何もできずに待ってるだけなのはイヤです!」


 大也のことを同じように大切に思っているからこそ、そのあふれ出す気持ちと決意を聞いた瑠璃は、菜月を止めることはできないと考えて同行を許可するしかなかった。


 「仕方ないですね。でも何か聞かれたときには自分でなんとかしてくださいよ」


 「えー、そこは一緒に考えてよ。瑠璃お姉ちゃん」


 「・・・・・・やっぱり残っていてください」


 しかしながら、簡単に同行を許されて調子に乗ったのか軽い感じでお姉ちゃんと呼んで甘えてきた菜月を見て、不安になった瑠璃は前言撤回するのだった。


 

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