233. 校内とその裏で
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ジメジメした暗い雨空とは対照的に、カラフルな香りに満たされた女子の更衣室となっている教室。体育館での授業を終えて制服に着替えた菜月は、いつものメンバーで集まって雑談に興じていた。
「――――大也くんかっこよかったなぁ」
「休憩中? 気づかなかったけど」
本当に隠す気があるのか、恋する乙女の表情で大也のことを思い出している菜月に、同じチームだった葵が問いかける。彼女の言うように、菜月は持ち前の運動神経を発揮して攻守に大活躍。とてもではないが男子のバスケットボールを観戦する余裕などないように思えたのだろう。試合をしていない間も、基本的に仲良しメンバーで会話をしていて不自然なところはなかったらしい。
「うん。合間にチラッと?」
「なして疑問形」
眞白が小さく呟いてツッコミを入れる。それに対してどこか自信なさげな菜月は、本当にチラッとだけで済んでいただろうかと不安だったのかもしれない。
「他の人に気づかれないように気を遣ったつもりだけど実際どうか分からないし」
「ウチらは全然気づかなかったし大丈夫でしょ」
そんな可愛い様子に、朱音は嬉しそうに笑いながら菜月の褒めて良いのか分からない芸当へと太鼓判を押した。
その後も、菜月の思い人は遅刻ギリギリだったこともあって片付けを手伝わされているため、返ってくるのは遅いかもしれないなどと話していた彼女たちであったが、授業が終わってしばらく経っているのにまだ誰も男子が戻ってきていないことに気がついたらしい。
「そういえばさ、なかなか男子たち返ってこないね」
「ホントだ。どうしたんだろ」
翠がふと呟き、大也のことで頭がいっぱいの菜月もそのことに気づく。
「――――マジでこんなことするやついるんだね。すぐバレるってわかんないのかな」
「ほんとそれー」
それとほぼ同時に、自分たちの教室に戻ったはずの別クラスの女子生徒たちが戻ってきた。その雰囲気は若干ざわついていて、おそらくはそれに関する不満や文句を零しているのだろう。
「逆にこっちで着替えてた女子が戻ってきたけど」
「ねえ、何かあったの?」
代表して朱音が事情を確認するために話しかけると、別クラスの女子生徒はどこか呆れたような雰囲気で状況を語った。
「なんか男子の方で財布がなくなったらしくて、先生来て教室出入り禁止になってたんだよね。女子はこっちの教室で待機しとけってさ。はぁ、誰か知らないけどホントに迷惑。ホームルームいつ始まるか分かんないし、帰るの遅くなりそうだし」
愚痴混じりなのは、自身たちはまったく関係がないのに放課後への影響が出るためだろう。ただ、それを聞いた菜月は他人事だとは思えなかった。何の確証もないのに、悪い予感を消し去ることができない。
「そ、それって誰の・・・・・・」
「草野くんらしいよ。まあお金持ちって言われてるしね。親が社長なんだっけ?」
思わず詳細を尋ねてしまった菜月は、その名前を聞いて表情を凍り付かせる。後ろの追加情報は耳に入らず、大きくなった自身の心臓の音だけが全身に響いているようだった。
「へー、誰が取ったとか分かってるの?」
「さあ。詳しいことは聞けないまま追い出されたし」
菜月の変化を感じ取った友人たちもまた、なんとなく状況を察したのだろう。葵が話を続けながら、顔色が悪くなった菜月を隠すように全員で周囲を固め、他の人の視界に入らないようにして声をかける。
「・・・・・・菜月? 大丈夫?」
「う、うん。ちょっと悪い想像しただけだから」
まだ、そうと決まったわけではない。そう言い聞かせているように大丈夫だと頷いた菜月の不安に揺れる大きな瞳を見て、朱音はどうするべきか悩んだ。適当に楽観的な言葉をかけるのも違うし、一緒に悲観的になるのも良くない、と。
「あ、クラスのグループチャットで配信はじめたバカがいる」
「ホントだ。バレたら怒られるっしょ、これ」
ただ、状況がはっきりするような状況になったのなら、それにはきちんと向き合った方がいいと考えた朱音は、菜月にとって酷なことかもしれないとは理解しつつも、スマホ片手に盛り上がっている女子生徒へと声をかけた。
「ねえ、それウチらにもちょっと見せてくれない?」
「い、いいよ」
学年内でもカースト上位として知られている朱音のお願いを断れる女子生徒ではなかったようで、菜月も覚悟を決めて画面に向き合うのだった。
――――――――――――――――――――
「――――あっ、青星先生! 大変です!」
「・・・・・・何かあったのでしょうか?」
英語の授業を終えて担任クラスに向かっていた瑠璃のもとにも、当然ながらその知らせはやってきた。なんとなく生徒たちがざわついているような気がしていた瑠璃も嫌な予感はしていたのか、同学年のクラスを担当している女性教師の慌てた様子にそれが起こってしまったことを確信する。
「は、はい。青星先生のクラスの生徒が、その・・・・・・」
「とりあえず現場に向かいたいのですが、案内していただけますか?」
周囲の生徒の耳を気にしてか歯切れの悪い同僚に配慮し、場所を変えながら話を聞くことにした瑠璃は大まかな情報を教えてもらいながらその教室へとたどり着いた。
「――――あら、青星先生も来たんですね」
「お疲れさまです。森岡先生」
そこにいたのは、そのクラスを担当している森岡という女性教師。瑠璃にとっては同僚の一教師だが、相手は自分よりも若くて綺麗な瑠璃へとやっかみを持っており、それで度々嫌みを言ったり突っかかったりしているというのは教師陣全員が認識している。今のご時世ハラスメントと言われてもおかしくないが、瑠璃自身がどこ吹く風という様子で気にしていないせいかあまり問題になっていないという現状があった。
ただ、今はそんな無自覚な森岡にとって瑠璃を責め立てることができる絶好の機会。ここぞとばかりに口撃を繰り出す彼女の表情は愉悦に染まっているようにも見える。
「まったく、とんでもないことをしてくれましたね。青星先生の教育が行き届いてないんじゃないですかぁ? 普通に警察沙汰ですよ、これ」
「確証もないのに生徒のことを疑うのですか?」
「動機も、状況証拠も、証言だってあるんだから決まりでしょう」
「それでも、彼がそういうことをする生徒だとは思いません。黒菱くんと話をさせてください」
瑠璃のことを嫌っているとはいえ、公平に判断するべき教師が既に大也を悪だと断定している現状に、瑠璃は想像以上に計画的な犯行だと心の中で唇を噛んだ。
それでも、このまま何もせず黙っていることはできないと、教室のドアの前に立ち塞がっている森岡教師に抗議しようとしたが、既に思い人はこの場所にいないらしい。道を塞いでいるように見せているのはポーズで、勘違いさせるための嫌がらせだったのだろう。
「もう当事者たちは校長室に移動してますよ。もう少し早くくればあの生徒の本性を聞けたかもしれなかったのに、残念。まあでも録画とか配信した生徒がいるみたいなので、見せてもらったらどうですか? ホント、ああいう地味な感じの子って酷い人間性を隠したりしてるから怖いですよねぇ」
「・・・・・・そうですか。少し用事ができたので失礼します」
どんなことを聞いたのか、なんとなく想像ができた瑠璃は強い憤りを覚えながらも冷静にこの後どうするべきか考えながらその場を立ち去ろうとする。
「あ、校長室に行っても無駄ですよ。生徒指導の先生とか校長先生とか、上の人たちで対応するみたいなので」
(黒菱くんは心配ですが、私ではどうすることもできません。それでも、私に何かできるとしたら―――――)
嫌みったらしく声をかけてきた、情報の精査をすることすらしない反面教師のことは無視して、瑠璃は自身が担当するクラスへと向かった。
「あ、瑠璃先生! 黒菱くん大丈夫なの?」
「すみません、それは私にも分かりません」
瑠璃が教室に戻ると、親しげに下の名前に先生をつけてくる葵から声をかけられる。喧騒に包まれ落ち着きのないクラス内の雰囲気や、その問いに対する答えを全員が気にしていることからも、この一件は大きな影響を与えるものだと分かる。
もっとも、言えることは何もないのだ。今の彼女にどうこうできる力はない。
回答する一瞬だけシン、と静まりかえったものの、再びざわつき始めたことを良いタイミングだと捉え、瑠璃は葵へと小さな声で尋ねた。
「ところで、黄波さんはどこにいますか?」
「・・・・・・さっきの配信見て、その、体調悪くなったみたいだから朱音が保健室に連れてったよ」
「そうでしたか。ありがとうございます。――――皆さん、色々な情報が行き交っているかと思いますけど、この件はまだ何も確定していません。きちんと事実が明らかになるまで、不透明な噂を流したりしないように」
心配そうな様子の葵、翠、眞白の三人に感謝を伝えた瑠璃は、教室内に響くよう大きな声で注意を促してから教室を出る。
きっと大也の個人情報はプライバシーを無視して広められているのだろう。同級生の財布を盗んだ犯人として、まだ容疑者の段階なのにも関わらず。それもこれもすべては一人の生徒の身勝手な感情が原因で。だからもう既に、教師として彼を守ることはできなかったのかもしれない。けれどこのままこれを事実にすることなどできるわけがない。本当は、学校での出来事は自分たちだけでどうにかしたかった。けれどもうそんなことを言っている場合ではなかった。
たとえどんな力に頼ってでもこの状況を覆す。瑠璃はそう決意して、同じ人を愛する同士たちに連絡を取ってから、きっと自分を責めているであろう生徒であり同士であり妹のような存在でもある少女のもとへと向かうのだった。
―――――――――――――
校内での窃盗事件。この情報は瞬く間に全校生徒へと広がっていった。噂される情報には尾ひれも背びれも腹びれもつきまくり、あることないことすべてが拡散されていく。
当然ながらそれらの噂話は一年生のもとにも届いていて、情報通の沙優はその中でもいち早く情報を入手してすみれに伝えていた。伝えない方が良いかもしれない、と沙優は一瞬思ったようだが、どちらにしてもすぐに耳に入るのだから教えない方が後が怖いと考えたらしい。
「―――――ねぇねぇ、聞いた? 二年生の教室での事件」
「え、何かあったの?」
「うん、それがね――――――」
実際に帰りのホームルームを待つ教室内でもあちらこちらで噂する声が聞こえてくる。犯人扱いされている大也への聞くに堪えない言葉ももちろんあって、すみれのことをよく知る沙優は気が気ではない。
「えっと、すみれ? 大丈夫?」
「わたしのことはどうでもいいでしょ。あ、でもちょっと体調が悪いから保健室行ってくるね」
沙優は菜月につきまとう草野の存在を知っているため、その草野が学校全体でも有名な翔斗に手を出せない代わりに大也を陥れたかもしれない、と鋭い推察で真実に近づいている。だからこそ、大也を大切に思っているすみれがそれを許容するわけがないとも理解していた。
「・・・・・・何するつもり?」
「たぶん沙優は知らない方が良いよ?」
「じゃ、じゃあやめとく。いってらっしゃい」
沙優に見送られて教室を出たすみれは、あまり人には見せられないような冷たい無表情で人気のない場所に早歩きで向かう。そんな表情とは対照的に、彼女の心の中は活火山のごとく怒りで燃えさかっていた。
(許さない許さない許さない許さない―――――――このやり方だけは、ぜったいに)
このまま草野を探し出してひねり潰してしまいそうな勢いではあったが、紫乃藤家への報告は彼女の仕事であり義務でもある。周囲に人がいないことを確認して、以前の主である紫乃藤藍葉へと電話をかけた。
『――――報告ありがと。あとはこっちに任せて、すみれは待機ね』
「な、何故ですか!?」
自分にできることは何でもやろうと、やる気満々だったところに待機命令。すみれは思わず大きな声で意見してしまった。しかしながら藍葉がそれを咎めることはなく、落ち着いた声で武力行使を否定する。
『暴走してその生徒が大変なことになるかもしれないでしょ?』
「・・・・・・ふさわしい末路かと思いますが」
大也の心の傷を考えればそれで終わらせる気も無いすみれだが、あくまで彼女は紫乃藤家の使用人。ダメだと言われれば逆らえない。それに、まだ藍葉の案は聞いていないのだ。身内への謀略に対し、どこまでのことをするのかはすみれにとっても気になるところであった。
『ダメダメ。そんなんじゃ足りないって。紫乃藤の人間に手を出したんだから、一族郎党まとめて罪を償わせないとね』
「・・・・・・他の二家にはお伝えするのですか?」
通話口から、口調は穏やかなのに何故か剣呑な空気を孕んだ声が聞こえてきて、背筋が凍り付くような感覚に陥ったすみれは、詳しいことは聞かずに他家への共有について確認した。
身内の紫乃藤家が対応するのは当然として、この一件を他家に伝えるか否かは今後の関係性に影響するかもしれない。大也はまだ正式に紫乃藤家の人間として認められているわけでもないし、雪華や茉梨衣と婚約しているわけでもないが、このまま心変わりや大きな障害がなければ一夫多妻は実現する可能性が高い。その中心となり得る大也が貶められ、罪を着せられたとなれば白宮守と橙宝院も黙ってはいないだろう。
今この一件を伝えず、解決後に知ることになれば後から何を言われるか分からない。そんな心配をしていたすみれであったが、それは杞憂であった。
『別にこっちから連絡しなくても、橙宝院は大也くんに護衛つけてるし把握してるでしょ。白宮守はえっと・・・・・・瑠璃さんから連絡があったみたい。これから三家で対応を協議するみたいだから、すみれは待機しておくこと。それじゃ』
(これは流石に、オーバーキルなのでは? 主家の力は紫乃藤家だけとはいえ、この三家が敵に回ったらこの国で生きていくの無理なような・・・・・・)
通話の切れたスマホを片手に、すみれは改めて自身が仕えている主人の立場を理解した。愚かな行為をした生徒は何も知らず龍の逆鱗どころではないものに手を出してしまったわけで、やらかしたことを絶対に許すつもりのないすみれからしても、その代償は同情してしまうほどである。
これでは自分の出る幕はないだろうし、おとなしく言われた通り待機していようとすみれは教室に戻るのだった。
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