49. 令嬢と老執事の帰り道 -1
―――――――――――――
茜色に染まった春の夕空が、徐々に青っぽい色を含みながら暗くなっていく。同じ空の中で起こる色の移り変わりは人々の視線を奪うだけの魅力を持っているが、それはタイミングを逃すと視界には入らない特別なものだといえる。
そんな色の変化を美しく反射して映し出す、白塗りの高級車。その広い車内には運転手の老執事とその主人だけ。いまや常連となった執事喫茶から帰宅するときはいつも緩んでいる主の表情をいつも通りミラー越しに確認した老執事は、いつもの柔和な笑顔で、けれどわずかに嬉しそうな様子で口を開いた。
「―――― 雪華お嬢様。本日もご機嫌がよろしいですね。黒菱様との逢瀬の時間が今回も良いものとなったようで何よりです」
「や、やはり顔に出ていますか……?」
屋敷へ帰るまでに表情をきちんと無色にしようとしていた主、白宮守家の令嬢である雪華は、頑張っているのに老執事から表情を指摘され、焦ったように自分の顔を触りながら確認する。
ときどき美しい顔をおかしなものに変えるという可愛らしい仕草をしながら尋ねる主人に、老執事は優しく答えた。
「ええ。ですが屋敷の中では完璧な無表情をおつくりになられていますので大丈夫かと」
「大也さんとお母様を守るためですから!」
「恋の力というものは素晴らしいですね」
「は、恥ずかしいのでその言い方はやめてください……」
嬉しそうに頑張る理由を語ったかと思えば、冗談っぽく指摘されたことに顔を赤くするご令嬢。先ほどまで一緒にいた思い人のことを脳裏に浮かべているのかもしれない。
友人の話を思い出して言うはずのなかったお願いを口にしてしまった本日の彼女であったが、お願いされた思い人の対応がよほどよかったのだろう。今の雪華はそれを気にしている様子もなく薄いながら嬉しそうな色を見せている。
それを見た老執事は少々複雑な気持ちになって話を切り出した。
「申し訳ございません。……そしてお嬢様、一つ残念なお知らせがあります。美桜の動向についてですが、やはりあの日黒菱様の情報をある程度手に入れたようです。確証がなかったのでお伝えが遅くなってしまったこと、重ねてお詫びを申し上げます」
「……そうですか。やはり橙宝院
老執事の報告と謝罪に対し、驚いた様子もなく真剣な表情で確認を取った雪華。ただ、自分の予想が正しかったのか気になっているという感じではない。
むしろ話を円滑に進めるための問いなのだろうと考えた老執事は主人の意向に沿って話を続けた。
「はい。しかし、美桜と橙宝院のご令嬢とでは目的が異なるようです」
「美桜の目的は大也さんたちを私に近づけさせないことだと思いますけど、茉梨衣様は……?」
「……確証はございませんが、それでもお聞きになられますか?」
「珍しいですね、爺やがそこまで表情を曇らせるのは……。ですけど、せっかく手に入れてもらった情報なので聞かせてください」
主人に促された老執事は若干渋りながらもきちんと言葉に出した。
「かのご令嬢の目的は、おそらく黒菱様を我が物にすることです」
「…………えっ?」
完全にふいを疲れた様子で呆然となる雪華に、老執事は自身の調査結果から追撃となる情報を繰り出す。
「伝手を使って色々と調べてみたのですが、かの令嬢は美桜と同じレベルの精神性を持ち合わせています」
「ど、どうしてわたしの周りにはそのような人ばかり……」
残酷な現実を突きつけられ、雪華は頭を抱えて俯いてしまった。老執事はそれを確認して同情したが、それでも抽象的な情報を具体的に補足しておく必要があると感じたらしい。
「……おそらく、ここしばらく無表情を貫いておられた雪華お嬢様の変化を美桜から聞かされ、その原因となった人間がお嬢様にとって特別な人間だと判断したのでしょう。その特別な黒菱様を手中に収めることで、雪華お嬢様の注意を自分に向けさせることが目的かと思われます。そして……いえ、これはやめておきましょう」
しかし、その補足は途中で終了した。言葉にしながら話すべきではないと判断したのかもしれない。
「もうここまできたら隠さなくてもいいです。言ってください」
絶望の淵にでも立っているかのようなオーラを発しながら半分諦めた様子で投げやりに続きを促す雪華に、老執事は少々迷いを見せつつも現実を突きつけるしかなかった。
「はい……。注意を向けさせたうえで黒菱様を利用してお嬢様の御心をかき乱し、その様子を楽しむものかと思われます……」
「類は友を呼ぶといいますが、これはあまりにひどくありませんか……? 美桜だけでも大変だというのに、どうしてそのような人物まで乱入してくるのですか……?」
青の双眸に光はなく、遠くを見つめながら小さな声で非情な現実に対する疑問を呟く姿はどこか恐ろしさを感じさせる。
絶望に焼き尽くされ灰のようになった雪華。その変わり果てた様子を見かねた老執事はフォローを入れようとした。
「お気を確かにお持ちください、お嬢様。それなりに精度は高いですが、あくまで推測です。かのご令嬢も高等部三年で年頃の女性ですし、純粋にお嬢様を変えた黒菱様が気になっているだけという可能性も――――」
「それはそれで問題アリですっ! あの方は学園の生徒からすごく人気のある女性なのですよ?」
ある意味では成功したフォローであったが、おかしなスイッチを押してしまったようだと判断する老執事。彼が何を言おうとどうにもならない雰囲気が、今のお嬢様にはあった。
「女子生徒から人気だとしても、黒菱様がなびくかどうかは……」
「茉梨衣様は天性の人たらしなのです! 私はあの方に迫られていたので苦手意識があって助かりましたけど、崇拝すらしている生徒もいるほどで……」
「学院内のことは流石に調べられませんでしたが、そのような一面をお持ちだったとは……」
二人の情報を合わせると相当な危険人物が完成してしまうわけだが、老執事はそんなことよりもすべての情報を調べきれなかったことに対して反省しているようだ。
ただ、雪華としては表に出していない恐ろしい情報を得てきた老執事への疑問の方が大きかったようで、少しだけ冷静になってそのことを尋ねる。
「私は逆に、どのようにして裏の情報を入手したのかが気になりますけどね」
「それは秘密でございます。しかし、そういえばそのご令嬢に弄ばれた方々もどこか嬉しそうで恍惚とした表情を浮かべておいででしたね……」
さらっととんでもないことを言い放った老執事。彼はいったい何を見てきたのだろう。そんな当然の疑問に思考を埋め尽くされてもおかしくない中、雪華にはそれを疑問に思う余裕などなかったようだ。
彼女は最悪の状況を想像して真顔になり、そしてゆっくりと口を開く。
「……わたしません」
「お嬢様?」
「ぜったい大也さんをそのような人には渡しません!」
「その意気です、お嬢様」
結果としてやる気になり、叫ぶかのように決意表明をした雪華。そのこれまで見られなかった様子をミラー越しに確認し、老執事は優しく微笑むのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます