15. メイドと令嬢
――――――――――
白宮守家別邸、その一室。立派なキッチンの併設された食事用の部屋だが、屋敷の住人が少ないこともありそれほど広くはない。そこで食事を終えた二人の乙女、主とメイドが言い合いをしている。
「雪華お嬢さまぁ、そろそろどこにお出かけになられていたのか教えてくださいよー」
「……喫茶店だと先ほどから言っていますよね」
高校を卒業したばかりの年上メイドが駄々をこねるように問いかけ、年下の主がその繰り返される質問に対してため息交じりに同じ回答を返した。主、雪華が一人で出かけた先は執事喫茶なので間違っていない。広義では喫茶店に入るのだから。
しかし、そこは雪華と何年も一緒に過ごしているメイド、美桜。主の様子から何かを察していた。
「ウソです! 美桜には分かります! だって表情にいつものキレがないじゃないですかっ! どこか楽しいところに遊びに行ってたんですよね!? 美桜をおいて!」
一人称が「美桜」のこのメイドこそ、雪華の悩みの種である人物だ。
事実、雪華のこととなると周りが見えなくなる彼女は、年齢やその女性らしい身体つきほど大人ではないと雪華も分かり始めている。今も放っておけばいいものを何かを諭すかのように説明しているのがその証拠だ。ただ、表情から楽しんできたことを見破られたせいか返答までにわずかな間ができてしまう。
「……嘘ではありません。それに、私に一緒に遊ぶ友人がいないことは分かっているでしょう?」
「
雪華にとって友人と言える人間は二人だけ。名前の挙がった紫乃藤という名家のご令嬢で、双子の姉妹である。そして彼女たちの頼みで雪華は執事喫茶へと足を運んだという経緯があった。双子姉妹の好奇心がすべての始まりだったと言える。
そんな二人の友人にも連絡をしなければならないと考えながら、雪華は淡々と事実のみをメイドに伝えた。
「紫乃藤さんたちも忙しいですし、それこそ三人で出かけようものなら付き人なしとはいかないですよ……。何度も言いますけど、一人で喫茶店に行っていただけです。そして昨日美桜を眠らせたのは爺やの判断です。私はただ邪魔されないようにして欲しいと頼んだだけですから」
「こ、これが反抗期……? 今朝も自由にお一人で出かけたいと仰って美桜の教育方針を否定なされましたし……」
世界の終わりかのように頭を抱えてガタガタ震えている大げさなメイドに、その主は思わずため息を零した。
「はぁ……話し合ってお互いに納得したことですよね、それは」
「……でもでも、お一人でどんな輩がいるかもしれない喫茶店に行ったのは美桜の淹れるお茶に飽きたからですよね?」
「違います。美桜の淹れてくれるお茶はとても美味しいですし、好きですよ。理由としては外の世界、つまり一般常識を知るために良さそうだと思ったからです。私のことを大切に思ってくれるのは嬉しいですけど、美桜もそれほど常識人ではないと分かりましたから……」
美桜もまたエスカレーター式の桜森女学院でずっと過ごしてきている。四月から通う大学も敷地こそ違えど同系列の大学で、これが使用人として白宮守家に仕える彼女の定められた道であった。
ただ、美桜に教育を施したのは本邸に仕えている実の祖母と母であり、本当のところは大体の一般常識を理解しているのだ。そのうえで間違った教育をしているのだからそれこそ問題なのだが、純粋で真面目な雪華はその彼女の根底まで疑うことができない。
それが分かっている美桜は少し困惑したように頷くしかなかった。
「そ、それはそうですけど……」
「はい。もうこの話を終わりにしましょう。私は部屋に戻ります。お風呂の準備ができたら教えてください」
「……かしこまりました。あ、宜しければご一緒に――――」
「嫌です。一人で入ります」
「そんなぁ……」
素っ気ない態度で断られてがっくりと肩を落とす美桜に、雪華は多少の罪悪感を抱いたのだろう。主として使用人を褒めることにしたようだ。
「今日も料理美味しかったです。流石美桜ですね。ごちそうさまでした」
「はい! 明日も頑張りますっ!」
お嬢様大好きな美桜はその温かく優しい声音で掛けられた一言によって完全復活を遂げる。その姿を見た雪華は小さく微笑んでから自室へと歩き出した。
美しい白銀の長髪が揺れる様子を見つめるメイドの顔は恍惚としており、少し危ない色を含んでいる。小さな背中が視界から消えるまで、美桜は微動だにせず雪華へと視線を向けていた。
しかし、主が見えなくなるとその表情がスゥっと消え、瞳からも光が消える。
「……やはりお嬢様はお変わりになられた。おとなしくて従順で良い子だったのに。ずっとこの狭い世界で一緒にいられると思っていたのに。美桜の、すべてだったのに……」
ブツブツと独り言を呟き、虚空を見つめている美桜。
かと思うと、突然楽しそうな笑顔を浮かべ、今にも踊り出しそうな明るい声で自分に言い聞かせ始める。
「まあいっか! おじいちゃんもそろそろ引退で、新しい使用人が入ってくるのは避けられないし。それに、今の雪華お嬢様もすっごく可愛いし! 今は変化の原因が先ね。お嬢様の話を信じるとして、どこの喫茶店で何があった? うーん、分からないことは調べないとね! これもお嬢様のため、メイドとして当然の仕事。うん」
頷いたメイドの表情が、変態的で下品なものに変わった。
「さぁて、一緒に入れないなら覗くしかないですよねぇ……ぐへへ。お嬢様の発育を確認するのもメイドの大切な務めですし!」
自身の身にヤバいメイドの魔の手が迫っていることなど知らない雪華は、今日もベッドの上でごろごろしていた。金剛にお願いをしてもらった棒付き飴を握りしめて。
「……これをねだった理由。そんなの答えられるわけないじゃないですか」
白い肌を桃色に染め、身体の熱さで飴玉が溶けてしまわないかと心配になりながら手中のそれを見つめ、呟く。
「金剛だけじゃなくて黒菱さんとも一緒に過ごした証が欲しかった……。そんな曖昧で利己的な理由、言えないですよ……」
それでもこのワガママをこれからも貫きたいと、雪華はボーっとした頭で思った。それと同時に、胸につっかえている違和感が気になる。
「でも最後、少し様子がおかしく見えたのは気のせいでしょうか? ……はぁ、ダメですね。また表情が崩れています……」
鏡で見なくても分かる、表情の乱れ。これまでの短い人生で彼女が己に課した無表情という仮面。それが綻んでいた。
仮面の下にある素直で色とりどりの表情。それが彼に与える影響を、彼女はまだ知らない。
―――美桜の覗き計画、その後。
雪華が脱衣所に入った後、時間を見て美桜も突入。しかしそこには服を着たまま仁王立ちで待ち構えている雪華の姿が!
「お、おじょうさま? どうして……?」
「……この件は美樹さんに報告ですね」
「え……そ、そんな! そ、それだけはご勘弁を! お母さんのお仕置きはイヤ――!!」
自分を呼びに来たメイドの鼻息の粗さや興奮気味な様子から普通にその行動を察した雪華。現行犯の美桜に処罰を言い渡し、爺やに命じてメイドを捕縛した。
「すみませんでしたぁ! もうしませんから、なにとぞ寛大なご処置をっ! おじょうさまぁ―――」
縄で吊るされたメイドの悲痛な叫びに耳を傾ける者はいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます