5. 緊張と圧

 初めて個室サービスに挑む俺はいつも通りだろうか。緊張で硬くなっていないか? 表情は強張っていないか? 声は震えていないか?


 そんな心の揺らぎを感じながら、俺はお嬢様の待つ室内へと足を踏み入れた。


 「――― 失礼致します。お帰りなさいませ、お嬢様。お待たせしてしまい申し訳ございませんでした」


 挨拶をして軽く頭を下げ、土足厳禁の床を見つめる。そこで一呼吸置き、精神を落ち着かせる。


 (……しっかりしろ。一年間やってきたんだし、有難いことに気に入ってくれているお嬢様方もいるんだから自信を持て。大丈夫、いつも通りやればいいんだ)


 お嬢様が執事モードでないときの自分を知っているというだけでも対応が上手くできるか不安なのに、経験のないサービスまで加わるとは想定外だ。店長がどのように説明したのかは分からないが、まさか本当にこの高額サービスを利用させるとは思ってもいなかった。


 しかし泣き言は言っていられない。新しいチャレンジは絶対に俺を成長させてくれると信じ、頭を上げて本物のお嬢様である雪さんに視線を移す。


 「えっ……?」


 するとそこには、こちらを見ながら目を見開いている白い美少女がいた。制服姿で豪華な装飾の施された椅子に腰かける姿が様になっている。


 今更だが、桜森女学院の制服はセーラー服で、夏季が白色ベース、冬季が紺色ベースとなっているらしい。今は冬から春へと移り変わる時期で、お嬢様は紺色ベースに白色のラインが入ったものを身に着けている。胸元の白いリボンが、美しく輝く白銀の長髪と重なって委縮しているようにも見えた。


 そんな感想を抱きつつ、いつもの無表情を崩しているお嬢様に声をかける。見開かれていた大きなサファイアを思わせる双眸は伏せられ、今は何か古い記憶を思い起こしているような思案顔だ。


 「あの、どうかなされましたか? 自分の顔に何か付いておりますでしょうか?」


 「……あっ、いえ、そういうことではありません。ですが……さっきまでと雰囲気が違っていて少し驚いてしまいました……。それに、昔どこかであったことがあるような気がして……。とはいってもその頃は黒菱さんも幼かったはずなので気のせいだと思いますけど……」


 難しい顔をしながらも丁寧に説明してくれるお嬢様は真面目で可愛い。あれだけ無表情しか見せてくれなかったのに、今はコロコロと色が変わっている。それだけ心が揺れているということなのだろうか。そうであれば、やはり無表情が作られたものなのかもしれない。何か事情があるのかもしれないが、とにかく今の純粋で素直な心のまま成長して欲しいと、謎の目線でそう思う。


 ただ、今は仕事の最中だ。ボーっとしている場合ではないため、もう一度気を引き締めなおして返事をする。


 「そうでしたか。自分の見た目に関しては身元が判明しないように偽装していますが、驚いて頂けたなら上手くできているということでしょうね。それと、お嬢様のように綺麗でお美しいご令嬢にお会いする機会があったのであれば忘れられるはずがありませんので、過去にお会いしたことはないかと。世界には同じような顔の人間が三人程度いると言いますし、他人の空似ではないでしょうか」


 「……そう、ですよね」


 まだ引っ掛かりがあるのか、納得できていない様子のお嬢様。このままでは満足いただけないまま時間だけが過ぎてしまう。高額コースなのにもったいない、と思ってしまう貧乏人の俺は金銭感覚が違うであろうお嬢様へと会釈しながら告げた。


 「それと、自分はお嬢様の執事で名前は金剛と申します。敬語も必要ありません。お嬢様の思うように何なりとお申し付けください」


 「え、はい。ですけど、口調はいつもこのような感じですから気にしないでください。……こほん。では金剛。お茶を頂けますか? ミルクティーが飲みたいです」


 ミルク味の飴玉を選んだところからホットミルクも想定していたが、オーダーはミルクティー。紅茶を淹れる腕前を磨いてきた俺としては好都合だ。とはいえ、上質の紅茶を飲みなれている可能性が高い相手に出すのは少々気も引けるが……。


 「はい、かしこまりました。ではそれに合わせて軽食やスイーツはいかがでしょうか? ご昼食を取られていないかと思われますので……」


 「そうですね……。いろいろあったので忘れていました。それではメニューはお任せしますので、ミルクティーに合うものをお願いします」


 「承知いたしました。少々お待ちください」


 丁寧かつ、迅速に準備を始める。ミルクティーとともに出すなら軽食よりはスイーツの方が適しているだろう。ただ、昼食をとっていないことと三時のおやつの時間であることを踏まえれば少しボリュームも欲しいところだ。いや、お嬢様は見た感じ小食なので家での夕食を考えればそれほど量は必要ないか?


 思考を巡らせて行きついた結果は、複数のものから必要なだけ選んでもらうというものだった。


 個室専用のキッチンに入り、慣れた手つきで丁寧にティーポットへと紅茶を仕立てる。冷蔵庫から目的のものをいくつか取り出し、紅茶用のミルクも一緒に準備。ティーカップやお皿、フォークなど必要な食器類を確認した後、それらをお嬢様のもとへ運んだ。


 「アフタヌーンティーという感じでいいですね。家のものとは少し違いますけど、お店の雰囲気に合っています。それに紅茶もいい香りがしていますね。あと、スタンドに乗っているのは……ケーキですか?」


 空腹感がそうさせたのか、お嬢様は青い瞳をキラキラと輝かせているように見える。期待されていると思うと嬉しいが、お家でのアフタヌーンティーがどういったものなのかが気になって仕方ない。まあでも可愛いから今はいいか。というか、ケーキは流石に知っているらしい。語尾に疑問符が付いていて珍しそうに見ているのは、普段食べているものと形状が違ったりするためだろうか……。


 「そうです。いくつか種類をご用意しておりますのでお好きなものをお選びください」


 「むぅ、これは迷います……。あまり食べすぎるといけませんし、でもどれも美味しそうです……」


 「お好きなものを少しずつ食べて頂いてかまいませんよ」


 「で、でも食べ残しは…………。あっ……」


 誘惑と罪悪感のせめぎあいからか葛藤を隠し切れない様子のお嬢様。しかしここで何かに気づいたのか、ハッとした表情になった。……何故だろう、嫌な予感がする。


 「金剛も一緒に食べてください」


 (はぁ、まったくこのお嬢様は……。仕事中じゃなかったらまた怒ってるぞ?)


 「お言葉ですがお嬢様。つい先ほどの件をお忘れになられたのですか?」


 「……で、でも、今あなたは私の執事です。毒見をする立場ですよね? それにケーキならさっきみたいなことにはなりませんし、主人の小さなお願いくらい叶えてくれるものではありませんか?」


 俺の言葉に一瞬怯んだ様子を見せたものの、お嬢様はそこで意見を曲げることなく断りづらい言葉を繰り出してくる。さっきはあれだけ間接キスに狼狽えていたというのに、今はほとんど無表情。微妙に笑みを浮かべている気がして可愛いのだが、いったい何が彼女をここまで強くしたというのか。


 「そ、そうですが……」


 「それでは決まりですね!」


 (な、なんだ? この圧は……? そんなにいろんな種類のケーキが食べたいのか……?)


 動揺してしまった俺はその小悪魔的なお願いを上手く捌くことができず、お嬢様の強引な決定に頷いてしまうのだった。

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