告白五日目
金曜日の放課後は開放的な気分になる。
教室のざわめきにも明るい活気がある。
カラオケに誘う者、明日の約束をしている者、そして告白の練習に出かける高志と遥。
「お待たせ」
遥に声をかけられて、高志は席を立つ。
いつもの撮影とは異なる緊張を高志は感じていた。
遥が女の子に見える。
いつもの制服姿なのにどうしてだろう。
「今日は観覧車に乗るから」
そう言う遥と並んで歩く。
いつもだと先を行く遥についていくばかりなのに。
距離が近い。
「いい匂いがする」
高志は思わずつぶやいた。
遥の頬が朱に染まり、
「告白らしくしようと思って」
高志の心臓が強く打った。
高志は自分がなぜ緊張しているのかに気付く。これってデートみたいだ。
観覧車があるのは都市部の港湾に作られた観光港広場。
電車に乗って二人は向かう。
電車は空いていて、二人は並んで座った。
遥のブレザーやプリーツスカートが高志の服に触れて、いつもとは違う距離感に高志は困惑する。体温まで伝わって来そうな気がする。
いつもの調子に戻そうと高志は、
「港広場って行ったことあるのか?」
「高志と行くのが初めてだよ」
むしろデートっぽさが高まった。
高志は言葉少なに過ごす。
でも気まずくはない。遥が高志を気にしているのが伝わってきて、高志が遥を気にしているのもきっと伝わっている。
二人のいる空間が暖かい。
電車が目的の駅に着いた。
高志が先に立ち上がる。
遥は名残惜しそうに立つ。
駅を出ると観光港広場までは徒歩だ。
夕方の道を二人で並び歩く。
遥は撮影機材が入ったバッグを提げているが、いつもと違ってビデオカメラは取り出していない。
「俺が持つよ」
高志が手を伸ばしてバッグのハンドルを持つと、遥の手に当たった。
「いいのに」
遥は断ろうとするが、高志はバッグを強引に受け取る。
こんな重いものをよくいつも持ち歩いていると感心する。遥はいつでも元気過ぎて軽々と動き回っていて、重さに思い至らなかった。
歩いていくと、観光港広場の観覧車、それに観光タワーが見えてくる。
日が落ちてきて、観覧車の灯りが目立つ。
「あれだな」
「先にタワーを上ろうよ。観覧車を外から撮ったカットも欲しいからさ」
遥が早口にそう言って先を歩き始める。
いつものようなセリフなのに、どこか上の空な様子だ。
人気の時間とずれているのか、他にはタワーに上ろうとする人が見当たらない。
エレベーターも高志と遥の二人だけ。
最上階の展望台も貸し切り状態だった。
「撮影にちょうどよかったな」
「……うん」
遥はバッグから三脚を出してビデオカメラを設置する。
展望台の窓からは観覧車がちょうどいい位置に見えている。
遥はビデオカメラの録画ボタンを押した。
そしてその前に立った。
もう日は沈んでいる。
観覧車を背にした遥は輝きに包まれて、高志の目を奪う。
遥は深呼吸をしてから、高志に向かって真っすぐに話し始めた。
「高志、いつもありがとう。撮影に付き合わせてばかりでごめんね。あたしはむちゃくちゃばかりしてるけど、高志が気を配ってくれて本当に助かってる」
いつになく遥の真剣な言葉を、高志は身じろぎせずに受け止める。
「でも、楽できるから頼んでたんじゃないよ。高志と一緒にいると、楽しくて、うれしくて、元気が出るんだ」
遥は両拳を握りしめて、
「だから…… あたしたちもすぐ三年になって、今度の文化祭で映研も引退しちゃうけど…… これからもずっと付き合ってほしい」
遥の肌は朱に染まっている。
高まった体温が展望台の冷えた気温を上げそうだ。
高志も同じだった。体と心が熱い。
「もちろんだ、ずっと付き合うよ」
遥はほっとした顔になり、
「あ、先輩とうまくいったら、そっち優先なのは分かってるよ」
照れ隠しに笑った。
「俺は……」
高志はなにか大事なことを言わねばならないと思った。
だが、そこで遥はカメラの前を外れてビデオカメラの録画を止めた。
上ずった声で、
「ほら、告白しろって言われても、告白されたことがないと難しいじゃない! だから告白される練習をしてあげたの!」
「そ、そうか。そうだよな」
二人で照れ笑いをする。
元のペースへの戻し方が分からなくて、二人はエレベーターに無言で乗り込み、そして観覧車に向かう。
遥がチケットを二人分買って、一枚を高志に渡した。
高志は驚いて、
「払うよ」
「いつも出してもらってるからいいって」
ここにいるのは本当に遥なのかと高志は戸惑う。
恥ずかしそうな顔をしてこちらに目を合わせてくれず、でも、ちらりと目をやってくる女の子。
その子から目を離せない自分もまた本当に高志自身なのだろうか。
カメラの嘘はすべてを許すという。自分はカメラを通って嘘の世界に迷い込んでしまったのかもしれない。
観覧車の番が回ってきた。
係員が扉を開けて、遥と高志は乗り込む。
観覧車はゆっくりと回って高度を上げる。
しばらくはきしむ音だけがゴンドラに響いていた。
遥がぽつりと、
「高志は告白がトラウマだって言ってたじゃない。映画で克服できないかなって思ったんだけど、無理させてないかな」
高志はくすりとして、
「長距離走とか、一晩で料理を覚えろとか、無理なんてものじゃない、でたらめだよ。でも、トラウマか…… 本当はそんな大したことじゃない」
高志は静かに語る。
「幼稚園のときにかわいい子がいたんだ。好きだって言ったら全員に言いふらされて、保母さんや校長先生、俺の親にまで言うんだぜ。あげくのはてに嫌いだと。子どもながらにつらかったなあ。あれ以来、告白しようとしても言いふらされそうな気がしてだめだったんだ」
遥が辛そうな顔をして、
「だったら映画での告白も辛かったんじゃないの」
「逆だよ、逆! 映画での告白はさ、嘘なんだろ。みんな分かってるから言いふらされていい。むしろ過去が上書きされて気が楽になるってもんだ」
「そうなの……?」
そこで高志は気楽に言ってしまった。
「カメラの嘘はすべてを許す、だろ。映画で撮影したことは嘘なんだ。告白しようとしたのも、さっきの撮影も、全部」
はっとした表情を遥は浮かべて、
「あ、うん、そうだよね、さっきのも嘘だし」
慌てたように言う。
そこから遥はしゃべらなくなり、ゴンドラの床を見つめていた。
遥の雰囲気は一変している。
高志は戸惑うが、理由が分からない。いつもの口癖を真似しただけなのに。
ただ、二人にかかっていた魔法が解けてしまっていることだけは、はっきりしていた。
観覧車が回り終わり、無言で二人は降りる。
夕食を食べることもなくそのまま駅に戻り、電車に乗った。
駅で降りて帰り道、
「明日は観覧車で本番撮影なんだよな」
「……うん、よろしくね」
それだけ話して二人は別れたのだった。
土曜の朝、いつもだったら高志の家に迎えに来るはずの時間にも遥は現れなかった。
携帯でメッセージを送ってみても返事がない。
高志は家を出て、遥のアパートまで直接出向いてみた。
アパートの呼び鈴を押す。反応がない。
扉を叩く。向こうで動く気配。
「ごめん、今日は無理っぽい」
遥とは思えない、疲れて元気のない声。
「どうしたんだよ」
遥が扉の向こうに座り込んだらしい音。
「あたしの父さん母さんが海外に行ったのって、あたしのせいなんだ」
唐突な話に高志は戸惑う。
「そんなことないだろ」
「本当なの。……あたしたちの近所にさ、あたしが懐いてたお兄さんがいたのを覚えてない?」
「いたな、そういえば。いきなりいなくなったけど」
「あれさ、うちに詐欺をしようとしてたのがばれて、捕まっちゃったんだ。お父さんお母さんは近所の人にだまされたのがショックで日本を出ていっちゃった。あたしのせいだ」
「いや、そんなの悪いのはその人だろ」
「……あたしがお兄さんと仲良くしてたから、お父さんを信用させちゃったのよ。あたしはお兄さんが嘘つきだったって知って、本当の嘘が気持ち悪くてたまらなくなった」
高志はどう慰めればよいのか分からない。遥のせいではなかったと言っても、好きな人に嘘をつかれて傷ついた彼女の心は癒されないだろう。
「だからあたしはカメラを使ってなにもかも嘘にしようと思ったの。映画の中ならどんな悪いこともただの嘘だから。でも、そしたら、あたしも嘘になっちゃった」
高志は自分が彼女をさらに傷つけてしまったのだとようやく気付いた。
彼女が勇気を出して告白してくれた本当の気持ちを嘘にしてしまったのだ。
でもどうしたら。ここで言い直したってそれもまた嘘と言われてしまいそうだ。
「……もうカメラが怖くて撮影できないんだ。先輩には中止って連絡しておくから」
遥が絞り出すように言う。
「いや、俺が直接伝えるよ。先輩には言わなきゃいけない大事なことがあるから」
「……そうだよね。ごめんね高志」
「行ってくる」
今の高志には彼女を救う言葉がない。だから先輩に会わねばならなかった。
観光港広場で待っていると、いつものように高級車で送られて先輩がやってきた。
今日の先輩は黒のスキニーパンツに白トップスとトレンチコートをスタイリッシュに着こなしている。
「あら、遥ちゃんは?」
「今日は俺だけです」
にこやかだった先輩が高志の顔を見て表情を引き締める。
「どうしたのかしら」
「今日は先輩に大事な話があるんです」
「立ち話には向かないわね。行きましょう」
先輩は観覧車の券を十枚まとめ買いして、係員に「五周お願い」と渡す。
係員は困っていたようだが先輩の勢いに押し切られて受け取った。
「チケット代を」
「おごるわ。食事のお礼よ」
二人でゴンドラに乗り込む。
ゴンドラがゆらゆらと動いていく。
今日の天気は曇りだ。
高い位置からの眺めも灰色に染まって見える。
一周回ってから高志は話し始めた。
「今回の撮影は、先輩に告白できるからと誘われて参加したんです。でも、どうしても告白のセリフが言えなくて」
「そうだったわね」
「昔のトラウマのせいかなとか、俺の勇気が足りないからとか、タイミングが悪いだとか、いろいろ考えてたんですけど、そうじゃなかった。すみません、俺が本当に告白したい人が別にいるからだって今さら気付いたんです」
先輩は高志をまっすぐに見つめる。
「やっと気付いたのね」
「でも、遥が言ってくれた本当の気持ちを俺は嘘にしてしまった。どうすればいいのか……」
先輩は名探偵のように手を顎に当てて考える。そして、両手を軽く打ち合わせた。
「嘘つきの高志君に嘘つきの遥ちゃん。だったら嘘を本当にすればいいんじゃないかしら」
「嘘を本当に?」
「ふふっ カメラの嘘はすべてを許すんでしょう?」
先輩はいたずらっぽく微笑んだ。
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