番外編 

第1話


「なぁ、ジャネット。鑑定士のお前が俺たちと一緒に迷宮探索にこられるなんて奇跡以外のなにものでもないよなぁ?」

 意地悪く眉を上げた戦士ウルズは俺の肩を乱暴に叩いた。第1部隊の花形戦士のこいつはこのエンドランドで最強を名乗る戦士……3戦士の序列第1位。

 俺とは比べものにならない筋骨隆々の、腰には魔法剣が3本。最高級オーダーメイドの鎧はセンスの悪い配色で光っている。

「お前は俺のお隣さんで幼馴染だからぁ……わかるよな?」

 ウルズはせっかくの美男が台無しになるくらいバカにしたような表情で俺を見下ろす。

 がはは、と笑ったウルズはニヤリと嫌な笑いを浮かべるといつものアレをはじめるつもりのようだった。

「ほら、ジャネット。俺に言うことがあるだろう?」

 ギルド内の酒場、大衆がウルズの一声にシンとする。俺はがくんと膝をつく。そして両手を前について四つん這いの体制になるのだ。

「俺は……ウルズ様に命を救われた哀れな男です」

 俺の消え入るような声にウルズは不満そうに鼻息をならす、そして俺の首筋に触れる。俺の首筋には大きな傷がある。

「お前、S級パーティーにいたのに下級コボルトに殺されかけたんだったよなぁ??」

 ウルズの張り上げるような声に酒場はワッと歓声があがる。コボルトはダンジョンの中でも最下級のモンスターだ。そんなモンスターにすら太刀打ちできない俺をバカにしてウルズたちは笑っていた。

「ほら、まだ続きがあるだろう……?」

 いやに優しい声色、ウルズへ女たちが黄色い声を上げる。

「ウルズ様の料理番として……一生恩返しさせてください」

 俺は体を小さく折り畳むようにして額を床にくっつけた。これは「ドゲザ」というウルズの前世の記憶?の風習らしい。

「お前は俺の幼馴染だからな! 俺が一生雇ってやってるんだ」

 クスクスと笑うパーティーの女たちの声、見て見てぬふりをする他パーティーのやつら。毎晩行われるこの儀式、俺は生まれた瞬間から……「鑑定士」という天職だった瞬間からこうなる運命だったのだ。

 ウルズが俺の後頭部を掴んでぐっと床に押し付ける。冷たい床に額が擦れて熱い。

「んだよ、今日は盛り上がりにかけるぜ」

 ウルズが乱暴に俺の後頭部を離したせいでゴンと嫌な音を立てる。じんわり、暖かい。鉄の匂いと不愉快なくらい顔をつたる生ぬるい汁、あぁ、血が出たな。

「ジャネット、明日は俺たちが例のダンジョンに入る日なんだ。しっかり準備しておけよ」

 顔を上げた俺の前にウルズがしゃがみこんだ。

「そうそう、とっておきの発表もあるからさ、楽しみにしておけよ?」


 ぞろぞろと酒場から人が出て行く。俺は「ドゲザ」の姿勢のまましばらく動かないでいた。ウルズがいなくなったのを確認してから顔を上げると厨房から元鑑定士の料理人が暖いナプキンを俺によこしてくれた。

「ジャネット、さんざんだったな。まぁ座れよ」

「見ているだけで申し訳ないよ、毎度毎度」

「いいんだ、ロマーリオにまで被害が行くほうが嫌だ」

「どうしてジャネット、お前はそんなにお人好しなんだ、お前の性格がウルズにあればな……」

 といったのは同じパーティーで薬師をしているロマーリオだった。薬師は医師の下位互換……と言われているが鑑定士よりは立場がいい。何かと協力してくれるいいやつだった。

「やべぇ……血がとまんねぇ」

 じんわりとナプキンが血で染まる。

「ウルズも気がたっているようだった。なにせ俺たちはあの未踏のダンジョンの調査に入るんだ」

 ロマーリオはごそごそとカバンを探る。

「血止め……血止め……」

「すまない」

「このダンジョンの調査を終えたらパーティーなんか抜けて引退してさ、僻地で一緒に商売でもしようぜ」

 ロマーリオは優しく微笑むと

「お前の親父さんの夢だろ?」

 といった。俺は胸ポケットに入っている小さな羊皮紙の束にそっと手を添える。鑑定士だった父さんが俺に語った夢は俺の夢になった。若いうちに冒険をたくさんしてそこで得たたくさんの知識を学び、自分の店をもつこと。たくさんの鑑定士や薬師、ギルドでは「下級」とされる天職を持つ人間のオアシスになること。

 差別も軽蔑もない穏やかな食事処を作ること。

「あぁ、よっと」

 ロマーリオがやっと血止めの薬を取り出した時だった。カランと来客を告げるベルの音。俺はウルズが戻ってきたんじゃないかと体をビクつかせた。

「お兄ちゃん、あぁジャネットさんすぐに治してあげるね」

 駆け寄ってきたのはシルバーの長い髪をなびかせ、ロマーリオとそっくりな整った顔をした回復術師だった。

「ミザリア」

 ロマーリオが声をかけると

「兄さん、薬じゃ治りが遅いでしょう」

 とミザリアが俺の額に回復魔法をあてる。ミザリアはロマーリオの妹で俺たちパーティーの回復術師だった。心の綺麗な女性だ。彼女は何度か俺をいじめるウルズに文句を言おうとしていたが俺がやめてくれといっていた。

 俺はたとえいじめられていたとしてもあと少しの辛抱だとわかっていたからだ。俺は明日、調査を終えたらパーティーを抜けてロマーリオと二人で遠くへ旅立つのだ。

——薬じゃ治りが遅いでしょう?

 心の綺麗なミザリアですら差別感情が根付いている。ロマーリオの薬は医師……いや回復術にだって負けないくらいの即効性がある。正直、コスパだって薬の方がいい。でも、薬師や下級、使えない。そういう固定概念がミザリアにもあるのだ。

 彼女は差別をしていないんじゃない。

 差別を理解した上で慈悲深く接してくれているだけなのだ。

「ねぇ、ジャネット。私、あれが食べたいな」

 ミザリアは俺の手を取ると厨房まで誘導する。女神のような笑顔で俺に「ジャネットの料理が食べたいな」と言い直すと料理長まで説得して風のような早さで俺にエプロンを着せた。



「ねぇ、ジャネット。私ね、あなたの料理が一番好き。兄さんからあなたたちがパーティーを抜けてしまうことを聞いた時思ったの」

 ミザリアはもぐもぐと料理を頬張りながらいった。

「私もパーティーを抜けようかなって」

「え?」

 俺は思わず声が出た。ミザリアはウルズのみぎ……いや左腕レベルの回復術師だ。報酬だっていい。パーティーを抜ける意味などない。

「うんざりなの。ウルズに……。だからさ、私も仲間に入れて欲しいなって」

 ミザリアの真っ赤な目がキラキラと輝いた。俺は吸い込まれそうになって口角が緩むのがわかった。

「ミザリアでも……」

「ちょっと、失礼」

 ロマーリオが慌ただしく席をはずす。去り際に俺に向かって瞼を閉じやがった。なんの合図なんだ全く。

「私を……その、ジャネットのお嫁さんにしてくれない……かな」

「俺は……鑑定士だよ?」

「そんなの関係ないよ。私はジャネットみたいな誠実な人が好き。私も静かな場所で平和な場所で生きたいって思った」

 ミザリアはカウンターに手をつくと片ひざをカウンターに乗せ俺の方ににじり寄ってくる。

 俺が動く間も無く唇をうばわれて、それで俺は首を縦に降った。ミザリアは真っ赤な瞳を潤ませて、また女神みたいな笑顔になった。

「私の勇者様、必ず一緒にね」


 小さく拍手する厨房の元鑑定士たち、俺はこれまでの努力が報われた気がした。

(親父、俺きっと、きっと幸せになるよ)


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