第3話 いざ航海

 セイ国の都であるリンシ城内では、いつにも増して巡邏じゅんらの警吏がそこかしこを歩き回っていた。警戒の度合いが上がっている。その理由が犬人族に対するテロルへの対策であることは、どんなに頭の悪い者でも理解できることであった。


「久しぶりにユウシン兄さんと茶でも飲みたいのですがねぇ……それまでに下手人が捕まればいいのですが」


 近々、兄であるユウシンがリンシを訪れることとなっている。そのことを思いながら、リョショウは私室でぼんやりと南の窓の外を眺めていた。

 ユウシンは魔族国家の中で最も南に位置するソ国の王であり、兄弟の次男である。荒っぽい性格の兄であるが、リョショウは兄たちの中で一番ユウシンのことを気に入っていた。逆に、年が一番近い相手であるにも関わらず、四男のギ国王ギヒョウとはあまり折り合わなかった。規則に厳しく保守的な所のあるギヒョウと、型破りを好むリョショウとは性情的にぶつかる部分が多いからである。

 南方の国であるソ国は領土面積がシン国に続いて二番目に広く、その分国境線も長い。他の魔族国家に接している部分はいいのだが、ソ国の南方には南に逃れた人間たちの立てた王国があり、ソ国の侵略に粘り強く抵抗しているという。絶えない兵事がユウシンの国王としての職務を多忙なものとしていることは想像に難くない。


 窓の外には、リンシの喧騒があった。魔族たちがせわしく往来し、袖と袖とが触れ合おうほどにごった返している。東方の最大都市に相応しい殷賑いんしんぶりがそこにはあった。


***


「あれが海かぁ……」


 目の前に広がる大海原を見て、リコウは無邪気に関心していた。


「……何だか、果てしなく大きな川みたいだ」


 リコウに続いて、エイセイもまた、大海の広大さに圧倒されていた。 

 この場にいる者で、海を見たことがあるのはトウケンを除いていなかった。トモエもリコウも、シフもエイセイも、皆内陸育ちである。水場といえば川や池ぐらいしか目にしたことはない。


 トモエたちは、使者のセルキーたちとコンタクトを取った。犬人族からのオファーを断ってしまった以上、長居するのも気まずい。それに、自分たちの目的を考えれば、彼らの誘いに乗るよりほかはない。

 そうして今、トモエたちはセルキーたちの小型木造船に乗っている。


「へぇ、お客さん、海を見るの初めてなんですかい」


 男女一組のセルキーの内、男の方が話しかけてきた。褐色の肌をしたこの美形の男は、何処か飄々ひょうひょうとした、掴みどころのない雰囲気を感じさせる。顔の作りは良いのだが、トモエが「育ちすぎている」と思うほどには青年じみた容貌である。もっとも、セルキーはエルフやケット・シーなどと同じく妖精族であるため、実際の年齢を容姿から推しはかることはまず不可能であるのだが。


「大陸のずっと西の方には高い山が連なってたり、岩や砂だらけの土地があるっていうじゃないですかい。あっしらそういうモンにはあんまり縁がねぇですからなぁ……それと同じ感じなのかいね」


 妙にくだけた物言いだ。これが彼の素なのだろう……トモエは率直にそう思った。


「山脈と砂漠のことね……砂漠は見たことないけど」


 トモエやリコウらの村落は普通に雨も降るし、やや寒冷ではあるが農耕もできる。もっと北西の方へ行けば岩と砂ばかりの不毛の地、つまり砂漠があるということは聞いたことがあるのだが、あくまでそれは耳で聞いただけのこと。実際に見たわけではない。それはトモエだけでなく、同じ北地出身のリコウやエルフたちも同じであった。


「さぁて、こっから飛ばしていきますぜ。姉さん頼んだ」

「よっしゃ任せろぉ!」


 言うと、セルキーの女が木製の杖を掲げた。すると、急にぶわりと強風が吹き寄せ、トモエの髪が揺られた。

 帆に風を受けた船が、ぐいぐいと進み出した。これは、セルキーの女が起こした、魔術による風である。これによって船の進む速度を速めたのだ。


「早く行かねぇと敵さんに見つかっちまいやすから……あっ、もうおいでなすった」


 セルキーの男が、西の方角を見て舌打ちをした。それにつられて、トモエたちも同じ方向を向く。


 その視線の先には、青い旗を掲げた大小の船がへさきを連ねていた。

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