第39話 休戦。そしてエルフ少年の懊悩

 この会戦に繰り出された犬人族軍二万は、文字通り虎の子の部隊であった。この戦いに負ければ、犬人族に未来はない……そういった戦いであった。決死の覚悟で挑んだ犬人族は、勝利をもぎ取り命脈をつないだのである。

 対するセイ国軍は、この会戦で多くの兵を失った。特に戦車部隊の被害は甚大で、機動戦力の殆どを失ったといってよい。戦車が運用できず歩兵のみとなれば、取りうる戦術オプションは必然的に少なくなる。加えて主力の弩兵隊も矢弾の供給の滞りによって頼れる戦力ではなくなってしまっており、犬人族の得意な接近戦に持ち込まれざるを得ないところが痛かった。

 総崩れになったセイ国軍は南西に逃れていったが、犬人族軍の追撃能力にも限界があり、一部の占領地は依然としてセイ国軍が確保したままとなっている。犬人族にとって、予断を許さない状況はまだまだ続きそうだ。


***


 エルフの少年、エイセイは、部屋の露台で風を浴びていた。さらさらとした水色の髪が、流れるようになびいている。

 エイセイは、兄ヒョウヨウや姉シフと同じ色をしたこの髪が好きだった。まるで青空のようなこの色は、三人の結びつきを象徴づけるものであった。

 戦いがひと段落したことで、エイセイに思考の余裕が生まれた。そのためか、彼は外の空気を吸いながら考えごとをすることが多くなっていた。


 シフがあのニンゲンの女――トモエのことである――にあっさりなついてしまったことは、エイセイを少なからず苛立たせた。元々シフはエルフの中では珍しく社交的で人懐っこい方であり、同性の気安さから種族の違うあの女と親しくなるのは予想できたことである。それでもエイセイの胸中には、自らの血を分けた姉を得体のしれないニンゲンの女に取られたという不満があった。


 それに加えて、エイセイの胸をざわめかせていることがある。先日の、トウケンに対するトモエの発情である。

 エイセイにとって、トウケンが仲間に加わったことは何かと都合がよかった。トモエが何かとまとわりついてくることは、この警戒心の強いエルフ少年にとって甚だ不快であり嫌悪の対象であった。だから、エイセイにとってあのケット・シーの少年はある種の盾のような存在ともいえる。

 けれども、何故なのだろう……いざ自分以外の者がトモエの愛を受けている様を見せられると、却って調子が狂ってしまう。決して、自分があのようにはちゃめちゃに愛されたいわけではない。寧ろ御免被る、というのが偽らざる感情であり、自分が標的から外れたのであればこれ以上に喜ばしいことはない。

 なのに……どうしてこうも調子が狂ってしまうのだろうか。


「エイセイ」


 後ろから声が聞こえる。リコウだ。変声期を終えた男子の声を出すのは彼しかいない。


「隣いいか?」

「うん」


 エイセイにとって、リコウは信頼に足る数少ない異種族である。いや、信頼に足る、などという表現が生ぬるく思えるほどに、彼の心はリコウに心酔しているのであった。そのリコウはどうやらトモエに気があるらしい。そのことも、エイセイの心にアザミのようなトゲを突き刺している。

 リコウは何をするでもなく、一緒に風を浴びていた。エイセイがその横顔をちらと見やると、凛々しい横顔は何処か哀愁のようなものを帯びていた。

 

 ――彼も、重い荷を背負ったニンゲンなのだ……


 聞けば、リコウは生まれ故郷を焼かれた後、居を移した第二の故郷も襲われたのだという。自分とシフだけではない。トモエ、リコウ、トウケン、皆が皆、魔族がために苦しめられた結果、ここに集まっているのだ。

 

「……魔族たちとの戦い、いつ終わると思う?」


 唐突に、エイセイは隣のリコウに尋ねた。リコウは意表を突かれたかのように、動揺を顔に浮かべている。


「ああ、実はそれ、オレもこの間考えてたんだよな。この戦い、いつまで続くんだろうなって……」

「……魔族がいる限り、エルフの森に真の安寧は訪れないだろう。けれども、それじゃあ魔族を滅ぼすまで延々と戦い続けることになる」

「オレも同じこと思った。魔族の国を全て潰すまで戦わなきゃいけないんじゃないかって。でもそれ、無理だよな」


 そう、それがどだい不可能であることは二人ともよく理解している。これまでずっと彼らと戦ってきたからこそ、彼らの強大さは思い知っている。確かにこの五人、特にトモエは傑出した戦闘能力を持っている。けれども個の力というのはどこまで行っても個の力でしかない。戦争に勝つには、兵力と組織の力が必要だ。


「……ボクは戦い続けるよ。魔族のせいで苦しむ者たちがいる限り。でもリコウはニンゲンだ。自分に残された時間をもっと大事に使ってほしい」

「どういうこと?」

「……リコウには、戦いに人生を費やしてほしくないんだ。だって、リコウはボクたちよりもずっと早く死んでしまうのだから」


 そう、リコウに残された人生は、自分よりもずっと少ない。自分が戦死などで命を落とした場合は別にしても……いずれ自分はリコウを失って取り残される。そう思うと、エイセイの胸はずきずき痛んだ。

 リコウは一瞬、はっとした顔をした。けれども、その後すぐに、顔には笑みが浮かんだ。


「ありがとうエイセイ。でも大丈夫。オレの戦いは自分自身が選んだ道だから、後悔はないし、これからもしないつもりだ」


 そう語るリコウの顔は、太陽よりも眩しく見えた。

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