第29話 二正面作戦

 犬人族軍三万は、セイ国軍の布陣する山の目前まで迫った。


「おい、あれ見ろよ……」

「まるで要塞だぜ」


 犬人族軍が到着した頃、山には防塁が築かれていた。セイ国軍は高所の有利に甘えず、防塁を巡らして防御陣地を作り出したのである。

 それを見上げた犬人族の兵士たちに、ぴりりと緊張が走った。

 およそ魔族国家にとって、戦争は狩猟に等しい。だが獣人族たちにとっては違う。彼らにとって戦争とは、国家の存亡のかかった一大事なのである。特に、領土が小さく後背地の乏しい犬人族にとってすれば、一回の会戦での敗北が犬人族全体の滅亡に繋がってもおかしくはない。だから、負けるわけにはいかないのだ。


 東の空に日が昇ったのを合図に、犬人族軍は一斉に攻めかかった。


「来たな。犬どもが。投石機用意!」

「弩兵、連弩兵構え! 敵を寄せ付けるな!」


 セイ国軍は、攻め上る犬人族軍に対して猛烈に反撃を加えた。並べられた投石機から岩石が投射され、やぐらからは矢弾の驟雨しゅううが降り注ぐ。俊足自慢の犬人族兵も、矢と岩石による飽和攻撃を前にしては犠牲を避けられない。


「だ、駄目だ!」

「退却! 退却!」


 犬人族兵が、たまらず山を駆け下りていく。愚直な突撃では、山に築かれた防御陣地の突破は難しそうであった。

 連日、犬人族は山上のセイ国軍に攻めかかった。しかし、防御陣地に立て籠もったセイ国軍はどうにも突き崩せない。犬人族軍の士気は、目に見えて下がっていた。

 

 そうしたある時、犬人族軍の陣中に、急報が伝えられた。


「牛人族軍一万五千、南東から我が国の国境を越えて侵攻中!」

「な、何だと! こんな時に!」


 全く寝耳に水の侵攻であった。主力軍が出払っている間に国土を侵そうなどとは、火事場泥棒もいい所である。急報を聞いた総大将ロセンは顔を真っ赤に染めて怒り狂った。

 目の前のセイ国軍を放ってはおけない。しかし、軍を退かなければ牛人族に領土を荒らされてしまう。国都を落とされる事態になったらそれこそ取り返しがつかない。


「ううむ……」


 ロセンは陣中で唸った。セイ国軍と牛人族軍。非常に苦しい二正面作戦を、犬人族側は強いられることとなってしまった。


***


 牛人族軍一万五千侵攻の報は、ヤユウにも伝えられた。当然、トモエたちの耳にも、それは入る所となった。


 トモエはリコウ、シフ、エイセイ、トウケンの四人を庁舎の一室に集めて話し合いの場を設けた。

 

「牛人族ってこの間戦った相手だよね……あたしたちで行けるかな」


 トモエは、この五人で牛人族を食い止めるつもりであった。というのも、ヤユウの城内には少数の兵しか残っておらず、それは他の都市でも同じであろうと思ったからである。

 他の四人に、異論はないようであった。


 犬人族領内の地図の閲覧を許可されたトモエたちは、庁舎の中にある小部屋で作戦会議を開いた。自国の領内の地図というのは機密に当たるため、余所者であるトモエたちが閲覧するには役人による許可を得なければならないのである。

 作戦の提案をしたのは、リコウであった。彼は地図を指差しながら、迎撃地点と取るべき行動について説明した。トモエを始めとした四人は、首を縦に振った。


「リコウくん、いつもありがとうね」

「えっ、ああ、どういたしまして……」


 トモエに微笑まれながら礼を言われたリコウは、顔を赤くしてしまった。恋する少年のあまりにも分かりやすすぎる反応である。


 そうと決まれば、後は行動あるのみである。五人は行政府に乗り込み、キソンと面会した。トモエたちを出迎えたキソンは、難しい顔をしていた。セイ国軍が攻めてきてから、ずっとキソンの表情は晴れない。国家の一大事の最中さなかである。城郭都市の一つを預かる行政長官の気苦労は並大抵のものではないであろう。槍働きのみでここまでやってきたトモエには理解の及ばない領域である。


「牛人族軍迎撃をあたしたちに任せてください」


 そう面と向かってトモエに言われたキソンの顔に、迷いの色が浮かんだ。手元にトモエたちを置いておきたいという気は今でもあるが、さりとて牛人族軍に対抗しうるのは彼らをおいて他にはない、という思いもある。現に地方の都市に残った少数の守備隊は牛人族軍に次々と蹴散らされており、ヤユウの行政府に届く情報はいずれも悪いものばかりである。このままではセイ国軍に負ける前に、牛人族たちに国土を蹂躙されてしまう。

 キソンは暫く押し黙った後、おもむろに口を開いた。


「よいだろう。そちら方なら、きっと牛人族軍めを駆逐できよう……頼んだ」

「はい、必ずや」


 キソンの許諾を得ることができたトモエたちは、早速荷の支度を始めた。

 ヤユウでの暮らしは、ヤタハン砦ほどではないものの快適そのものであった。そのヤユウを一時いっときとはいえ去らねばならないことを思うと、トモエは何だか名残惜しい気持ちにさせられた。不満があるとすれば、犬人族が限りなく肉食によった雑食性であるせいで食卓には肉ばかりが並び、野菜不足気味になってしまったことである。仕方がないので城外で食べられる野草や芋類を掘り出して食べていたのであるが、手間がかかる割に栽培された野菜や穀物と比べると美味しくはなかった。

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