第50話 大決戦の行方

 その頃、ゴブリン大軍団とガクキ率いるエン国軍の、川を挟んだ大決戦はどうなっていたか。


 ガクジョウの魔術「大狂乱驟雨ガスティ・ヘビーレイン」によって先鋒部隊のゴブリンたちは押し流されてしまったが、百万の部隊にとってその損害は蚊に刺されたようなものである。

「突き進め。エン国とその王の喉を引き裂いてやれ」

 空が晴れるや否や、ゾートは満を持して再攻撃の指令を下した。ゴブリンの大軍が、まるで波のように押し寄せる。対するガクキ軍も、指を咥えて見ているわけにもいかない。弩兵のみならず、投石機や床弩などの大型兵器も用いて苛烈な攻撃を加え、ゴブリンたちの数を減らしていく。

「敵は必ず、決戦を急ぐ」

 そういう確信が、ガクキにはあった。今のエン国軍は虚を突かれたようなもので、体勢が整えば地方軍を召集したり、兄弟たちの国に援軍を頼むこともできる。時間はエン国軍側の味方なのだ。だから、敵は必然的に短期決戦を挑まざるを得ない。


 そもそも、ゾートの挙兵は、あくまで怨恨によるものであった。エン国王をしいしたとして、その後の見通しがあるわけではない。兄弟たちの国が共同で潰しにかかってくるようなことを想定していない彼の行動は、衝動的というより他はない。計画性というものが、彼にはなかった。

 

 とうとう、渡河を済ませたゴブリンとガクキ軍が直接衝突した。個体の戦闘能力では傀儡兵が勝るものの、ゴブリンの数は圧倒的である。ガクキ軍は押され始め、じりじりと後退していった。

 ガクキ軍が退いた先には、前もって造営していた防塁があった。ガクキはこの防塁に籠って強固な防御陣地とし、徹底した守備戦を開始した。

 ゴブリン軍団は、渡河した先から防塁に殺到した。ただひたすら数に任せて壁をよじ登ろうとしたが、投石や矢弾に阻まれて、攻撃は遅々として進まない。

 そうして、防塁にゴブリンが殺到するに比例して、川の向こうの、ゾートがいる本陣の守りは手薄になっていった。


 それは、鮮やかな朝焼けの日であった。

 眠りから目を覚ましたゾートは、本隊を動かすために、渡河の準備を始めようと腰を上げた。前線に多くゴブリンを送り込んだはいいが、本隊と先鋒部隊があまりにも離れすぎてしまった。そろそろゾート自身も前進し、先鋒と合流せねばなるまい。そう彼は考えていた。

「……?」

 その彼の耳が、奇妙な音を拾った。先程まで、鳥や虫の声しか聞こえなかったというのに、明らかにそれとは違うものが聞こえてくる。

 その音は、武官時代、訓練の際によく聞いた音だった。馬蹄が地面を叩き、鎧を纏った傀儡兵が走る音である。

「……まさか!」

 全身の肌が粟立った。一番考えたくない可能性に、ゾートは思い至ってしまった。

 本陣後方の林から、十台程の戦車が飛び出してきた。それに続いて、後ろから歩兵も姿を現した。

「進め! 敵将の首はすぐそこだ!」

 戦車に乗り込んだガクジョウが、その長い髪を揺らしながら吠えている。本陣を守るゴブリンの数は多くない。最初の戦車の突撃で崩れたゴブリンたちは、その後に続いてきた歩兵に押し包まれていった。

 退却し、守りを固めて敵の攻撃を誘い、手薄になった本陣に奇襲をかける。それがガクキの策であった。

「そんな……何とかしなければ……」

 ゾートは必死に視線を巡らせ、打開策を探った。そうしている間にも、味方は突き崩され、敵が迫ってくる。

「も、もう駄目だ……」

 結局、状況を打開できそうなものは、何も見つからなかった。

 目の前には、武器を構えた傀儡兵が立っていた。弩の矢は全て、ゾートの方を向いている。本陣を守っていたゴブリンたちは、すでに殺し尽くされていた。ゾートの身を守るものは何もない。

「ええい、この!」

 弩兵の引き金が、一斉に引かれる。襲い掛かる矢弾を、ゾートは光障壁バリアで防ぐと、お返しとばかりに威斗を振るい、火球を放って弩兵にぶつけ燃やしてしまった。だが、弩兵一体を倒して何になろう。ゾートの周りは傀儡兵が隙間なく囲っている。多勢に無勢とはこのことだ。

 弩兵が引っ込んだ代わりに、槍兵が包囲を詰めてきた。やがて四方八方から槍が突き出され、その切っ先がゾートの胴に食い込んだ。一度槍は引き抜かれたが、二度三度、傀儡兵は槍を突き込んだ。確実にとどめを刺すための、念の入った行動であった。

「……奴は死んだな」

 ガクジョウはゾートの亡骸を確認した。槍で念入りに刺し貫かれた彼の体は、もうただの赤い肉の塊に過ぎなかった。

「……愚かな奴め」

 彼女は、武官時代のゾートを知っていた。衛尉の属官であった時代に、彼と職場を同じくしていた時期がある。

 ゾートはやたらと金遣いの荒い男で、いつも悪友たちと遊び歩いていた。当然、良い噂などあるはずもない。罪を犯し、官職を失ったと聞いた時も、ガクジョウは全く驚かなかった。

 ――そのようなものには、相応しい末路だ。

 ガクジョウは物言わぬ肉塊となったゾートに、蔑みの眼差しを向けた。


 ゾートの死とともに、ゴブリンの体は緑色の液体となって溶けてなくなった。あくまで彼らはゾートの魔術によって受肉した死霊に過ぎず、彼の魔術が途切れれば体を維持できない。こうして、謀反人ゾートの思惑によって地上に蘇った絶滅種は、再び絶滅種に戻ったのであった。


 ゴブリンの消滅を見届けたガクキは、そのまま兵を返してダイトへ戻ろうとした。その矢先のことである。

「え……殿下が……」

 エン国王カイ戦死の報が、彼の元へ舞い込んできた。

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