2020年の宇宙戦争

半社会人

2020年の宇宙戦争

英智字はなぶさともじはその日も出勤した。

世界的な感染症の影響で、徹底した人類総引きこもり状態に陥った2020年夏。

行政・医療・インフラ系の職業でない限り在宅勤務以外の選択肢など本来はありえないのだが、罪則があるわけではないので出てきていたのだ。


元より、英は自分の興味を優先する男だった。

英の興味あることと言えば『宇宙』一択である。


幼い頃読んだ天体図鑑で宇宙の神秘に魅せられ、以後は哲学や宇宙学に関する本を読み漁り、大学では宇宙工学を専攻した。

博士課程を無事修了した英は本来なら国内外の研究所・企業に就職するはずだったが、生来の気まぐれから、誰かの指示を受けるということにもはや我慢できず、

自分で研究機構を設立してしまった。


それがNPO法人『宇宙探索機構』で、代表は英。

法人設立の要件ギリギリを満たす社員数で、中心となって活動しているのは英一人であった。


デスクトップを立ち上げ、今注力している『超望遠鏡プロジェクト』を進める。

従来の望遠鏡とは異なり、あらゆる電磁波を捉え、また正確にその像を観測できることが特徴だった。

英の技術と、恵まれた実家の資産がなした賜物である。


数々の機器を動かし、宇宙にちらばる星々を眺め、データを採取していく。

法人の定款にはご立派な理念を記載してはいるものの、何か明確な目的があるわけではない、その名の通りただ気ままに『探索』するのが目的の機構。

理系の技術力と文系の情熱をあわせ持った、ある意味道楽の活動だった。


純粋に宇宙の美しさに魅せられ、銀河を見ながら一句読む。

あるいは文献・データにあたって知見を深めていく。

時たまWeb通信で社員数人と会話をした以外は、食事も摂らずモクモクと作業を進めていった。


10数時間は経っただろうか。

さすがに疲労感を覚え、今日はこのへんにしておこうとデスクトップの電源を切ろうとした時のことだった。


英はそれを発見した。

「……?これは」


いや、まさか。

それまでの疲労も忘れ、ネットワークで検索をかけ、膨大な資料にあたる。

望遠鏡が観測したデータを詳細に分析する。

いく時間にも渡る試行錯誤。

英は『それ』の正体を思考し続けた。


望遠鏡が捉えたのは、頭と胴体のバランスが異様に悪い、手足がいくつもある存在だった。


つまりは、かのSF小説『宇宙戦争』で描かれた、火星人そのままの姿である。


※※※※※※※※※※※※※※※※


さすがの英も最初は「そんなバカな……」と、自分の目が信じられなかった。

あるいは、超高性能の望遠鏡とはいえ、壊れてしまったのか?


だが遠隔のメンテナンスを行い、再度観測を行っても、そのタコともイカともつかないイメージは映り続けた。


幼い頃読みふけった『宇宙戦争』を思い出す。

イギリスの作家・思想家のH・G・ウェルズが著したそのSF小説は、後続の作品に多大な影響を与えたこの分野の金字塔だった。

醜い姿をした火星人の侵略を受ける英国。

彼らが操る3本脚の機械によって、侵略されていく。

軍隊と火星人との闘いは、まさに『宇宙戦争』。

その衝撃的な結末を含めて、英の愛読書の一つでもあった。


だが小説はあくまで小説である。

望遠鏡が捉えたこの像が、そもそも恒星やその他物質の類なのか、それとも生命体なのかは分からない。


宇宙開発に取り組んでいる機関は数多いが、ネットや学会誌をさらってみても、

この未確認物体ー仮に『X』としようーに言及しているものは見つからなかった。


まあ、世界が感染症対策に追われている今、のんきに宇宙のことを取り上げている暇がないだけかもしれないが。


「……もしこれが生き物だとしたら」

すごいことだぞ!!と英は興奮を抑えきれなかった。

厳密な生命体の定義は生物学者でない英には分からないが、意志があり、会話まで出来たとしたら。

ある数学者も、宇宙に生命体が存在する確率を正確な数式で証明してみせていたくらいだ。

今目にしているこれが、生命体だとしても、おかしくはない。


少年の頃から夢見ていた地球外生命体との遭遇。

その立役者に、いや当事者に、自分がなれるかもしれない。


「これは……すごいことだ」

英は高ぶりを感じながら、さらなる観測に邁進した。


※※※※※※※※※※※※※※※※


望遠鏡が捉える『X』の姿は日に日に大きくなっていった。

英の期待もそれに比例して高まっていく。


自分が所有している望遠鏡だけが捉えた姿。

英だけの秘密だ。


地球外知的生命探査を行う組織は世界各国にあり、

発見時の取り決めなどもあるが、英はそんな組織に属しているわけではないので

関係ない。


自分がこの歴史的快挙の中心人物なのだ。


1日、2日、3日。

時はどんどん過ぎ去り、その姿も明確になっていく。

1ケ月が過ぎたころには、『X』は望遠鏡で複数体確認された。

どうやら、宇宙空間で、一つの大きな機械の周りを時々遊泳しているらしい。

宇宙飛行士が命綱を使って船外活動を行うようなものか。


となると、『X』のタコのような姿も、人間でいう宇宙服のようなものなのかもしれない。

その生態に興味が高まる。


何より興奮するのは、『X』らが明確に地球に向かってきているとみられることだ。

彼らが、何らかのメッセージを送ってきている可能性もある。

まだ何も受信していないが、解読の準備はしておこう。


いやいや、もし相手が地球に敵意を持っていたとしたらどうするか。

それこそ、あの小説の火星人のように。

それなら、戦争のために軍備を整えておくことも必要になる。

個人で出来ることは限られてはいるが、俺の頭脳をもってさえすれば……


SF映画の主人公になった気分だ。

狂喜乱舞し、Web会議でも嬉しさのあまり終始ニコニコしているので不審がられる英。


「さあ来い!!宇宙人!!俺が相手をしてやるぞ!!」


英の中では、大きな夢が、まさに宇宙のように広がっていた。


※※※※※※※※※※※※※※※※


その頃、某宇宙船内。


青い惑星を目指して航空していた『彼ら』は、

その姿が近づくにつれ、失望を露わにしていった。


「なんだこれは。誰もいないではないか」

「いや、活動しているものは何人かいるが」

「にしても、少なすぎる」

「それにみろ、あの荒廃した街を」

「なんと、せっかく宇宙の果てまでやってきたというのに、

 文明が滅びた後だったか」


その名状しがたい体を震わせて

「侵略する価値もない」

「燃料の無駄だったか」

「最新鋭の戦闘機器を準備してきたというのに」

「王に報告申し上げるまでもなかったな」


もう少し注意深く観察していれば、あるいは長い航海で『彼ら』の技術が摩耗していなければ。


あるいは、地球の現状を誤認することもなかったのかもしれない。


「他に行くぞ。この星には価値がない」


こくりとうなずく『彼ら』。

次の瞬間、宇宙船は大きく旋回していた。


※※※※※※※※※※※※※※※※


英は待った。

待ち続けた。


期待に胸を膨らませて、頭脳をフル回転させて待った。

「彼らが来れば、俺は一躍中心人物に……」

そのための準備を整える英。

「もうすぐだ。もうすぐ来るはずだ……」

望遠鏡がその姿を捉えなくなっても、待ち続ける英。


だが、『X』は来なかった。


うだるような暑さが、荒廃した都市を侵食した2020年夏。


『宇宙戦争』は、こうして回避された。


ーーーーーーーーーー了ーーーーーーーーーーーーーーー











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