底辺魔術師な私ですが、英雄になった愛弟子に迫られて陥落しそうです…
soldum
プロローグ
凱旋
英雄、英傑と呼ばれる人間も人の子であり、何も生まれた瞬間から英雄だったわけではない。本人の努力はもちろんのこと、そんな英雄の卵を導き、育てた人間というのもまた、当たり前のように存在する。
では、そんな風にして英雄を導いた人間もまた英傑たる器の持ち主かといえば――それはまた、別の話なのだ。少なくとも私は英雄の師だなんて担ぎ上げられるような人間ではないし、そもそもあの子にとって師と仰がれるほど何かを教えたかと言われれば、首を捻る。
「……ま、それだけ立派に育ったってことだな」
王城の膝下、城下全体に満ちるお祭りムード。広すぎるほど広いはずの大通りにはここぞと商売っ気を出した商人たちの露店が並び、更にはこの祭りの主役をひと目見ようと詰め寄せた観衆でごった返し、とてもまともに歩けるような状態ではない。
いつもならこういう騒がしい日は自宅か、あるいは学院の研究室に籠もって我関せずを決め込む私だが、今日はそんな観衆の一員として、ひっそりと集団の後方から通りを見つめていた。
わああああ、という歓声が波のようにゆっくりと、確実に王都の門からこちら側へと押し寄せてくる。色めき立った若い観衆が何も見えないうちから声を上げ、観衆の壁の最前列に潜り込もうと藻掻いて警備隊に引っ張り出されるのを横目に見ながら、私は咥えていた紙巻き煙草を口から離し、煙臭い息を吐いた。
すぐ隣の屋台で甘味を売っている若い店員が煙草の煙に顔をしかめたのに気づかないふりをする。なに、あの子の姿をひと目見て帰るだけだ、臭いがしつこく残るほど、この場に長居するつもりはない。
「む、そろそろか」
歓声が近い。
悲鳴にも似た黄色い声。怒号にも似た雄叫び。わずかに遅れて追いかけてくるざわめきという言葉では大人しすぎる喧騒。集まった誰しもがそれを目にした喜びを声にし、興奮を共有し、その伝播が押し寄せる。お祭り騒ぎを苦手としている私にも多少の期待と興奮を抱かせるくらいには、強烈だ。
やがて、観衆の向こうに姿を見せたのはそこらの馬車馬より一回り大きな馬四頭に引かせる豪奢な
それは明らかにパレード用に誂えた特別なもので、民草の血税をこんな一度きりの行事に突っ込みやがってと顔も知らない貴族議会の連中に恨み言を募らせながらも、確かにこの人垣の中でもよく見える、車上の四人組に目が吸い寄せられる。
柵から身を乗り出すようにして観衆に笑顔で手を振っているのは珍しい真っ黒な髪が目立つ、日焼けした小柄な少女。顔立ちはまだどことなく幼さが残り、無邪気な笑顔もあどけない。けれど髪と同じ黒い瞳はキラキラと輝き、過酷な旅を終えてきたとは思えないほど、或いはそんな旅を経たからこそなのか、これからのあらゆる未来への希望が籠もっている。
勇者ルティ。人類未踏の境界超えを果たし、魔族との数千年の争いに終止符を打った四人の英傑のリーダーだ。
片手で軽く観衆の声援に応じながら、もう一方の手で時折バランスを崩して落ちそうになるルティの腰あたりを引っ掴んで支えているのは私と同じ女性とは思えないほど恵まれた体格の女戦士。燃えるような赤い長髪の女性は顔の左側にだけ髪と同じ赤のペイントが施されている。単なるファッションではなく彼女の氏族に由来する戦装束の一つだ。
冷炎のトマク。王国民ではなく、人間領と魔族領との境界に集落を持つ狩猟民族の出身であり、勇者一行の切り込み役。
二人の後方、車上で唯一立ち上がらず腰を落ち着けたまま穏やかに微笑んでふわふわと手を振っているのは、神殿に属する修道服に身を包んだ若い女。頭巾はかぶっておらず、色素の薄い金髪は光の角度によっては銀にも純白にも見える。ゆったりした修道服の胸元を押し上げて存在を主張する胸のせいか、彼女に向けて飛ぶ声援には妙に男臭い声が多い。それらにも表情を変えず微笑んだまま応えながら、時折よろめく勇者を見てはくすくすと口元を隠して笑っていた。
聖壁のアレス。勇者一行に教会から派遣された神官で、結界術に秀でた守りの要である。
……そして。
アレスの隣で立ち上がって声援に応えながら一人だけ笑顔がぎこちないのはくすんだ薄灰色の髪の女。髪に似た色の瞳は少しだけ青みがかっており、それにちなんだ青いカチューシャが色素の薄い顔立ちの中で目を引く。
両目がぱっちりと大きく鼻筋は美しく通っているが、頬は少し丸くて口元は少し幼い。三年も経てばだいぶ見目も変わるかと思いきや、少し背が伸びたように見える以外は、顔立ちも体つきも、あまり変わった気がしない。……カチューシャだって、あの使い込んだ感じは私が贈ったものをずっと使ってくれていたんだろう。
でも、目つきだけは違う。あの頃の無邪気さは消えて、代わりにその目には揺らがぬ意思の強さが見てとれる。
魔賢者ハーシュ。当代、いや歴史上最優とさえ言われる魔術師であり、魔術と名のつくもので彼女に扱えないものはないとまで言わしめる若き英雄。
……あと、一応私の教え子。
「はは、立派になっちまったなぁ」
手慰みに磨いていた石が宝石とわかって博物館に収まったのを眺めているような気分、といえばいいのか。あいつを見つけて、磨き上げたのは私だという自負。それと同時に押し寄せる、もうこの手に収まる存在じゃないという喪失感。
まぁ、一抹の寂しさを感じこそすれ、嘆くことではないのだろう。教え子が立派に役目を果たして凱旋したのだ。それもこんなパレードを王城主催で行うくらいの大業を成して。
「花束でも贈ってやればいいのかね」
こういう時なにかするべきなのか、しない方がいいのか、そういう気遣いや作法に疎いのでよくわからない。相手が変わらぬままただの教え子であれば、参考図書の一冊でも贈ってやるところだが、あいにくあんな高い場所から民衆に手を振るような人間に贈るべきものについては心得ていない。
「まぁ……いいか、なんでも」
弟子が成長して、無事に帰ってきた。それを確認できただけ、私は幸運だ。
なんと言っても相手は魔王だった。人の国の王が争っているのではなく、種の生存競争であり、世界そのものの覇権を奪い合う戦いだった。その大きすぎる責任を背負い、そして四人は成し遂げた。愛弟子がその一員というのなら、それは誇らしいことなのだろう。
とはいえ。
これからも名声を高めていくであろうあの子が、私のような出来損ないの魔術師を師匠などと呼ぶことはないだろうけれど。
「……眩しいな」
もちろん昼日中の日光の話だ。他意はない。無いが、眩しくてこれ以上見ている気にはなれなかった。まぁ、弟子の無事はこの目で確かめた。今日の成果はそれだけで十分だろう。
ちょうど目の前を通過していく馬車。背が高すぎて車上の四人はロクに見えないが、それでも最後にその威容を見上げる。出会った頃は生意気だったあの弟子が、こんな馬車を用意されるくらいに立派になった。あの子が自分の力で掴み取った栄誉だ。誇らしいし、嬉しいし、少しだけ妬ましくもある。
それでもこみ上げるのは温かいもので、この気持ち、この思い出はきっと、私が死ぬ時にささやかな幸福となってくれるだろう。……さすがに、まだまだ死ぬ予定はないが。
そう感慨にも区切りをつけて後ろの路地に引っ込もうとしたその瞬間、眩しい光の向こう、こちらを見下ろす一対の目と私の視線がぶつかった、気がした。
「――――」
気のせいか、と思う間もなく。どこからどこまでが現実で、どこから私は幻を見ているんだ、とそんなことが頭をよぎる。
車上から一つの影が跳躍し、空中で体を丸めてきれいに三回転した後、すと、とあの高さから飛び降りたとは思えない軽い着地音を鳴らして地に降り立つ。それも、私の目と鼻の先にだ。
「お、おい、ハーシュ――うぉっ!?」
曲芸じみた飛び降りをやってのけた弟子に思わず声をかけたものの「大丈夫か」も「何やってんだ」も言う前に、少し背が伸びた、それでも私よりは幾分小柄な彼女は私の胸に飛び込んできた。
「ちょっ、どうした、何やって―――」
パレードの最中だろうが! と怒鳴ろうとしたはずなのに、私の言葉は喉より上まで上ってこない。だって、こんな。
「ただいまっ、師匠!」
――こんな嬉しそうに、されたら。
「……おう。おかえりバカ弟子」
こっちだって、笑って迎えるしかねーだろ。
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