夢とうつつで聞く声は
石和久
第1話 廃墟の島の元住人 ~第一夜~
中年の男が二人、集会場所である小さな居酒屋にたどり着いた。店はJR新橋駅からやや離れた余り目立たない細い路地に面している。二人が勤めている都営大江戸線大門駅近くの事務所から小道を抜け、陽がまだ沈み切れず紺の濃淡を成す空に鮮やかなオレンジ色の輝きを放つ東京タワーを背にして日比谷通りを歩いてきた。凡そ二十分の道のりだ。時折吹き抜ける夜風が心地よく感じられる初夏の陽気である。既にオープンしているビヤガーデンもあり、いよいよビールの季節だ。「居酒屋に着いたら即ビール」口に出さなくとも二人の思いは一致している。
石和久(いさわひさし)は会社の先輩である原澤克正(はらさわかつまさ)に連れられて、彼の仲間との集会に顔を出すことになっていた。初めての人に会うことと自分がゲストであることもあって、やや緊張の面持ちである。
「あれ、もう着いていたのですか?」
暖簾をくぐり引き戸をガラガラと半分開けたところで、いつもの座敷に仲間を見つけた原澤がにこやかに声を掛けた。それから引き戸を大きく開けて店に入ると石和がそれに続いた。
店の奥の座敷には既に文木太郎(ふみきたろう)と早良壮(さわらそう)が座っていて、石和達の到着を首を長くして待っていたのだった。遅れては申し訳ないと石和達も約束の時間より十分以上早めに店に着いたのに、いったいいつから待っていたのだろうか・・・・・・。
「今日は石和さんと会えるのを楽しみにしていたから早めに来たんだよ。なあ、早良君」
「はい。楽しみにしてました~」
早良が満面の笑みで元気に声をあげた。二人とももうお酒を飲んでいる。
文木と早良は倍ほど歳が違う。文木は石和よりも三歳年上で五十三歳になる原澤と同じくらい、早良は二十五歳といったところだ。紳士然とした原澤とそうは見えない文木、太った文木とスリムな早良、歳も見た目も印象も全く異なるこの三人、実は『廃墟マニア』というワードでつながった友達だ。休日を利用して日本各地にある廃墟を巡り、撮影した写真をこの集会所に持ち寄っては自慢話に花を咲かせている。マニアックな世界ではあるが同じ趣味を持つ仲間は意外と多く、三人は文木が開設している思い入れたっぷりなブログを通して知り合った仲だった。
廃墟マニアとひとことで括ってもその幅は広く、いわゆる心霊スポットやパワースポットのマニアもそのひとつであると考えられているが、文木達は『過ぎ去った時間や時代を懐かしむ気持ち』いわゆるノスタルジーな魅力を楽しむマニアである。特異な世界を持った者同士の集まりではあるが稀にゲストを呼ぶこともり、今宵は石和が招かれたということだ。
廃墟マニアの彼ら三人には共通の思いがある。それは長崎県にある『軍艦島(ぐんかんじま)』こそが廃墟の最高峰であるということだ。
長崎県にある端島(はしま)は別名を軍艦島と言い多くの廃墟マニアの関心を引付けて止まない。長崎半島(野母半島)から西に約四・五キロメートル離れた場所に位置する小島で、平成二十七年七月に世界文化遺産として登録されたことは記憶に新しいが、注目を浴びる中でこの島の持つとされる暗い過去が話題になったりもした。ただ、廃墟マニア達の興味は衰えることはなく、注目度は増大し、それは世界にも広がりを見せることとなって外国人が訪れてみたい日本の世界遺産として人気は上昇していると聞く。
明治から昭和までの長き間、良質な石炭の産出で日本の経済を根底から支えたが、エネルギー資源が石油に代わったことでその存在価値を失い昭和四十九年に無人島となった島である。周囲たったの一キロメートルほどの島内に最盛期には五千人が住居していたこともあって建物は必然的に上へ上へと伸びていった。小さな島の中に高層ビルが乱立する姿となるまでには長い年月を要したが、一九一六年(大正五年)には日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅が建設されており、その外観が軍艦に似ていることは当時から新聞記事にもなっていたほどだ。
そして、本日のゲストである石和は軍艦島で生まれ育った彼らのアイドルだ。文木はもう何十年も前に無人島となった軍艦島に冒険よろしく上陸したことがあるが、早良も原澤もテレビやネットでしか見たことはなく軍艦島に寄せる思いは強い。
「しかし、原澤さんの同僚に軍艦島の元島民がいたなんてビックリだったね」
「私も驚きでしたよ。たまたまね、会社の飲み会の席でぽろっとそんな話をするんだから」
文木と原澤が声を掛け合った後、石和の方を見た。
「自分ではそんな特別なこととも思っていないですし、普段は口に出すこともありませんから。あの時はたまたま・・・・・・」
「そのたまたまがなかったら今日という日もなかったかも知れないんだから、この奇跡的な出会いに感謝だね」
「ほんと、ほんと」
飲み会がスタートしてから凡そ三十分、それぞれの紹介も終え、いい感じにお酒も回り全員が打ち解けてきたところで、いよいよ本日のメインイベントである質問タイムが始まったのである。
「ねえねえところでさ、石和さんはいつまで軍艦島にいたの・・・・・・?」
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