ドブさらい・ミーツ・無機物

蔵持宗司

第1話 《掃除屋》

「……これで二十五体目、と」


 七本の足が体の至る所から生えた大型のネズミに対して小銃の引き金を引いた時。

 燐一りんいちは自分がその怪物を、ただ事務的なルーチンワークとして処理しているのをどこか他人事のように把握していた。


 三発だけ発射された質量弾は貴重な資源を惜しげなく使い捨てるだけのことはあって、飛びついてきた多脚フットラットを押し返した上で急所を貫通し、苦しむ間もなく息の根を止めていた。


 フッ化レーザーや感電式のテーザーガンではこうはいかない。やはり多少古臭くとも、歴史が保障した機構こそがいつだって役に立つ。そんな風に愛銃の立派さを褒め称えてやっても、いつもとは違って大した慰めにもならなかった。


 燐一の後ろには多脚フットラットが六匹と、緑の毛玉の怪物みたいなモコモコのボールが十以上と、ザリガニと蟹の違いを知らない子供が画用紙に書き殴ったような甲殻類の死骸が二つ転がっている。


 通称、汚染生物体群ケミ


 新興国というのは困ったことに大抵の場合環境汚染なんて天井のシミほどにも気にしないものだ。主小惑星帯メインベルトに進出して意気揚々と自らの旗を立てた新時代の開拓者たちも、所詮は同じ穴のムジナでしかなかった。


 工業廃水と各種廃棄物は真空の岩の上に撒き散らされるか、よくて貯水槽を称した液体用ダストボックスに履き古しのジーンズよろしく突っ込んだまま放置された。


 やがて時が経つにつれて掃き溜め内のわけがわからない作用により、雑に管理された施設の隅にいつの間にか住み着いていた生き物たちは、哀れにも進化だか退化だかわからない珍妙な姿に変貌してしまっていた。


 要するに化学汚染で変異したネズミから何故か自力で動き回るようになったカビだかコケだかまで山ほどの、様々な厄介者たちである。

 とはいえ閉鎖環境に有害物質を撒き散らして深刻な被害を出していたのも今は昔。


 人類用(「人間」は差別用語なので使うことは推奨されない)、動物用、農作物用の免疫剤と汚染除去手順がいくらでも揃っている近頃では見た目ばかりグロテスクな連中など大した害もない。


 逆に独自の生態系を観察するために生物学者がやって来たり、直接汚染体ケミに触ったこともない、暇を持て余した活動家が保護を訴えたりしているぐらいだった。


 駆け出しの頃は、得体の知れないモンスターを狩る仕事に本能的な狩猟の快感を感じていたこともあった。しかし一旦脳の興奮が冷めてしまえば、由緒正しき古典的な、そして今も現役な娯楽ジャンルのRPGゲームとの差は明らかだ。


 これはただの下水掃除ドブさらいなのである。汚染体ケミが湧きさえすれば廃ビルでも廃線になったメトロ用トンネルでも出向きはするが、本質は結局それなのだった。


 そもそも金持ちの私有地や公営の重要施設の場合は専用の自律清掃機械が使われるので、小遣い稼ぎや持ち回りでやっているアマチュアの出る幕はない。

 つまるところ、予算の都合で一番良いプランを選択できない場合の妥協案。余り物を余り者に。それが、『掃除屋シーパー』というブルーカラーの正体なのだった。


「ああほんと、気付かなけりゃよかった」


 知恵の実を半端に齧ってしまった不幸を嘆いても、答えてくれるような同僚はいない。いることもあるが、今日はない。汚染体ケミの相手をする第四種清掃業界は常に人手不足だ。


 つまり、多少生態が変わっても動植物と菌類は元気に繁殖を続けており、この小惑星のどこにも抜本的対策をしようなどという慈善事業に金を出すお人好しはいないということでもある。まったくありがたい。


 手首に巻いたハウンドタグに視線をやると、どうやら今日の仕事はこれで終わりらしかった。レーダー、ソナー、赤外線、磁場計測。考えつく限り、そして安価なコストが許す限りの感知機能が積み込まれた探査用品だ。


 裸で未保障の地下道に入れば今だってホラー映画の登場人物とそっくり同じ体験はできる。ただしタグを身に着けている限りは、最大範囲3キロメートルの地形構造とそこにどんなゲテモノがいるか、サバンナに突っ立っているキリンよりもはっきりと見て取れた。

 サバンナのキリンなんてものを映像と画像以外で見た事は一度もないし、たぶん死ぬまでないだろうけれど。


 今日の仕事は昔の区画整理担当者が手違いをしたせいで誰からも忘れ去られていた区画に汚水が溜まって、中で汚染体ケミが繁殖しているらしい、という報告の対応である。


 大して広い閉鎖区画でもなく、面倒な種類もいない。燐一が仕事終わりの一報を入れれば、後は汚水をポンプで排水して汚れた内壁を取り払い、小奇麗な栽培棟なり小工場区なりに作り替えて終わりだ。


 そう思った時、手首のハウンドタグがわずかに振動した。慌てて目をやると、簡略化された平面図に光点が現れている。しかも二つ。操作をして空中にイオン投影された図面を三次元像に切り替える。片方は汚染体ケミで、やたらとでかい。


 もう片方は、人類の形をしていた。


 理解した瞬間に、撥水性のブーツが黒い水面を蹴っていた。隣の区画から入り込んだ同業者だろうか? そうなら、追い詰めた獲物を横取りするなと怒鳴られるかもしれない。


 だが違ったとしたら。ロクな装備も持たずに地下で遭難をして、運悪く怪物に遭遇してしまった都市の住民だとしたら。


 自分の担当した区画でむざむざ同胞を汚染体ケミに食われるなど、死ぬまで無能と謗られてもしかたのない恥辱だ。何より、こんな時代に都市民が獣に食い殺されるなどあまりにも馬鹿げている。


 最後の角を曲がった先で目に入ったのは、キングコングの皮膚を剥ぎ取ってむき出しの筋肉に紫のインクを塗りたくり、ベタベタと苔を貼りつけたような巨躯の汚染体ケミった。大槌を振るうように薄紫の両腕を振り回している。


 その手前に人の姿があった。こちらに背を向けているため人相はわからないが、目立った武器を持っているようには見えなかった。それに筋肉質でもない。身長と髪の長さからすると、同世代ぐらいの女の子かもしれない。


 彼だか彼女だかはふらふらと怪物の腕をどうにか避けるばかりで、背を向けて逃げることもできないようだ。不意に、疲労のためか避けようとする動きが止まる。紫色のキングコングが、柱のように太い腕を振り上げた。


「しゃがめ!」


 返事を聞く前に引き金を引く。もとより当てるつもりもない。筋電位に直結した動作補正とそれなりの経験があるのだから、頭の上に乗せたリンゴだろうと百発百中で外さない自信がある。


 何発かが分厚い皮膚を失った筋肉にめり込み、貫通する。頭蓋を掠った弾もあったが、致命傷にはならなかった。それでも構わない。腰から抜いたペンと同じサイズの三角筒のボタンを二回押し、動作補正に基づいたフォームで放り投げる。三角筒が怪物の口の中に侵入してから三秒後。


 紫色のキングコングは、内側から弾け飛んでいた。


 ハウンドタグを見ると、恒常的な熱量を持った物体は燐一を含めて二つだけになっている。大物狩りジャイアントキリングは、どうやら上首尾に終わったらしかった。

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