レイニー・アステロイド
蔵持宗司
第1話 不完全な雨音
不完全な雨音が聴こえていた。
理由は片手の指では数え切れないほどあった。
資源は少なく、大規模な経済圏からは遠く、航路は確立されておらず、不毛の大地。それでも開発計画なんてものが持ち上がったのは一重に観測基地としての役割を期待されたからで、首脳部がコストに見合うリターンが見込めないと判断を覆した時、すぐさま開発放棄が決定されたのはまぁごく当然の流れだったろう。
開発放棄地と言っても、その星が持つ元来の環境によってその後の状況はまったく違う。金星ならば惑星中を駆け巡る暴風と九十気圧にものぼる二酸化炭素の重みで半年ともたずに半端に建造された施設など解体されるだろうし、木星ならばアンモニア硫化物の大気にすぐにでも溶かされて消えていくことだろう。
けれど、これが大気を持たないカリワのような小天体ともなれば話は変わってくる。例え人類の故郷たる地球であったとしてもわずかずつ起きる風化は一切存在せず、太陽光が含む紫外線に分解される染料の色素を除けば、時が止まったかのようにあらゆる変化から置き去りにされていく。
だから本来なら、カリワに築かれた作りかけの観測基地は環境によって完璧に保存され、いつの日か物好きな調査隊や観光客に在りし日のままの姿を見せていたはずだった。
けれど。
それでも雨は、降り続けている。
「……寒い」
私の肌の上をほんの数ミリ覆う被覆ポリマーには断熱性が備えられていたものの、どうやらそれにも限界が来たようだった。不規則に続く雨音と、複合材越しに感じる小さな水滴の刺激に少しの違和感を覚えながら立ち上がる。
『
ため息一つ吐かずに、腰に差した
カリワに備えられた環境制御系は内蔵する分子材料から大気を合成、拡散、回収することで半永久的に循環環境を維持できる、というコンセプトだった。
もちろん地球の百分の一以下の重力でとらえておける大気などたかが知れているし、企業が過剰な広告を謳っていることは誰だって百も承知の上だ。
その上セッティングも完全に成されないまま開発放棄が決定したので、この岩盤に埋め込まれた無用の長物がいつまで雨を降らせ続けるのかは誰にもわからない。半年かもしれないし、来週かもしれない。今日や明日だとしても、おかしくはない。
けれども人の手を離れて無意味に雨を降らせ続けるこの壊れかけの星が、どうしてだかコード一行の狂いもなく完璧な風を吹かせる主星系よりもまともだと思えてしかたがないのだ。
「私も、壊れてるのかな」
呟きに返事はない。雨の音だけが、不規則に耳朶を打つ。
廃棄施設に入ると、薄暗いながらも見通せるだけの光量はまだ残っていた。カリワの『昼』はそう長くはないものの、今のところ太陽は雨雲の向こうで輝いている。
歩きながら手頃な食料を探して視線を回した。
開発作業者用の備蓄食料は最初期に数ヶ月分以上も持ち込まれたが、その大半が運搬費用の都合から置き去りにされたままだった。
惑星開発用の安価な備蓄食は味付けこそ淡泊だが、真空環境なら最長数百年、標準大気下でも十年は持つ。自分で言うのも何だが、家出娘のオヤツには十分だろう。
遠くなっていく雨音を聞きながら、プラスチックケースから取り出した二食分の備蓄食を抱えて廃棄施設の奥へと向かう。商品棚を取り払ったショッピングモールのように開けた空間からドアを一つ開け、階段を下りる。
そして、もう一つドアを開ける。
非常電源を使ったLED灯で照らされた地下の管制室は、心なしか埃っぽいような気がした。大気中浮遊物質の量は主星系の山頂付近よりも少ないはずなので、たぶん気のせいだろうけれど。
「おかえりー、ライカ。存分にたそがれられた?」
「そんなに。雨の音は気持ちよかったけど、ちょっと冷えたかな」
LED灯の下で、これもまた非常電源を借りて動かしている壁面端末と顔を突き合わせていたフーリエが、入ってきたわたしを見て手を振った。おざなりに振り返して、わたしはさっさと壁際のレンジに備蓄食を突っ込みに行く。加熱すればそれなりに食べられる味にもなるし、何より今は体を温めるのが最優先だ。
「で、そっちは? 探し物は見つかった?」
「健闘中ってとこかなー。それっぽいものはいくつか出てくるんだけど、決め手に欠けるっていうかー」
「ふうん」
とりあえず相槌だけは返しておいた。
観測機器が収拾したデータのうち、保存されるものは二つある。映像と、映像を
後者はまずデータ記述言語として保存され、重要項目として定義された要素のみをアプリケーション上に表示する。観測員が普段チェックするのはその重要項目だけなのだが、彼女はわざわざ圧縮されて隅に寄せられた記述言語段階の純データにまで目を通していた。
何のためにそんなことをしているのかは知らない。説明してくれたのかもしれないが、理解はできないので聞き流した。技術屋と付き合う上で重要なのはひとつだけ。利害が一致しているかどうかだ。そして、カリワの管制室で不正規に探し物をしたいというフーリエの要求と、家出先を探していた私の利害は一致した。
「ん? えーと、何かな?」
「寒い。あっためて」
いつの間にか、私の両腕はフーリエを後ろから抱きしめていた。椅子の背もたれが邪魔で背中の体温を直接得られないのがもどかしい。肩の上に顎を乗せて、頬から熱を感じる。
「濡れちゃうんだけどなぁー」
困り顔で、フーリエはボード上の指先を彷徨わせた。そういえばわたしの首から上は雨に濡れたままだった。ポリマー被覆(コート)は撥水性なので乾き切っているが、アジア風の黒髪はフーリエの波打って左右で結んだ白赤髪(ホワイト・レディシュ)に貼りついている。
とはいえ、こちらも自棄を起こして二人きりで辺境の小惑星にまで家出するような心境のティーンエイジャーだ。多少迷惑がられたぐらいで感情の発露――温もりを求める衝動――を抑えてやるのも癪だった。
怒ったところなど見た事がない友人の優しさに甘えて、そのまま指先を胸元に伸ばす。ポリマーコートもパッドくらいは内蔵しているが、少女の柔らかい感触を妨げるほどの強度はない。
「……えーと?」
「さむい。あったかい。……やわらかい」
「いやぁ、そんなに大きい方じゃないかと……んっ」
爪がなだらかな丘の頂上を引っかくと、フーリエののんびりとしていた声が跳ねた。楽しくなって、転がすように指の腹で同じ場所を何度かなぞってみる。止める風でもなく彼女は身をよじっていたが、最後には腕を引きよせて向かい合うように膝の上にわたしを座らせた。
「もう。そんなに寒いんなら、こっちのがあったまるでしょー」
「こっちって、どっちのこと?」
視線が先に。続いて、舌が絡まった。
指先を胸から腹に伝わらせ、わずかにザラつく被覆(コート)に覆われた下腹部に到着する。フーリエはああ言っていたが、彼女の身体はどこに触れても柔らかい。体型の問題というよりは、皮膚と組織がそうできている。
「較べてみるー……?」
唇を重ねながら撫ぜたり押し込んだりしていると、こちらの意図が伝わったのか、フーリエもわたしの足の間に手を伸ばした。腕が交差し、脳に電気信号が流れる。シナプスの隙間が快楽と倒錯で充たされていく。
お互いにショーツは履いていない。数ミリの化合繊維越しに相手の位置を探り当てようと試行錯誤しているうちに、わたしが先に到達した。余韻が消える前にとフーリエの前に顔を埋めて舌先で弄る。
ついでに半球形のヒップが目に入ったので揉んでみると、くすぐったがって頭を腿で挟まれた。柔らかかった。
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