養花小録~朝鮮士大夫のガーデニングライフ

高麗楼*鶏林書笈

菁川先生の庭造り

 先生が造園を始めたのは、数年前、副知敦寧付事に任命されてからである。この職は高位だが、月に数回王宮に行き朝参する他はこれといった仕事はない。閑職ともいえなくもないが、先生はこれを積極的に利用することにした。この機会に、かねてからやりたかった庭造りをすることにしたのである。

 そう決めた先生はさっそくあれこれ思案を巡らし始めた。

 まず、樹木だ。梅は欠かせないな。あと松と竹。実をつける梔子、石榴、橘などもいいだろう。芳しい香りの沈丁花、香木は必要だな。その他に山茶花、百日紅、躑躅…樹木はこんなところだろう。

 草花は、菊と蘭蕙、庚申薔薇。そして池には蓮を浮かべ、そのほとりには苔生した岩石を置いておくか。

 先生は笑みを浮かべながら次に書架に向かった。園芸関係の書物を探すためである。数冊見つけ出して目を通す。何事も下調べが大切なのだ。

 翌日から、菁川先生はあちこちから種子やら苗やら樹木を取り寄せ、自身の書斎ともいうべき四友亭の前庭に植えたり、蒔いたりした。作業をしながら先生は、来年の春には庭は花々であふれることだろうと想像し子供のように胸を弾ませるのだった。

 気候が肌寒くなった頃、先生は庭の樹木や草花に越冬対策を行った。花が咲く前に枯れてしまったら元も子もないだろう。

 立春も過ぎたある日、庭を見ると梅の木に赤い蕾がついていた。数日後、紅梅白梅が満開となった。先生はさっそく筆を取り紙の上にこの光景を描き一篇の詩を添えるのだった。

 梅が終る頃から、庭には様々な花が次々と開き始めた。その香に誘われてか蝶たちもやって来て先生の目を愉しませるのだった。

 花が終わり初夏になると庭は新緑色に染まり先生の気持ちも爽やかになった。暑くなると池のほとりの木陰に来ては蓮の花を眺めながら涼を取るのだった。

 濃い緑の葉が紅黄に変わる頃には菊が花開く。先生は月夜になると鉢植えにした菊を亭内に運び入れ、花との酒宴を愉しむのだった。

 こうして一年が過ぎた。その間、肥料や水の与え方や剪定で失敗したこともいろいろあった。また、参考にした園芸書の記述とは異なる点も多々あった。こうした事柄は書き控えておいて翌年の参考とすることにした。

 ある年の暮れの風が高く吹いた日のことだった。先生が亭の階段を降りようと前を見ると古びた松が龍が空に昇るように見えた。先生は紙と筆を用意してこの情景を詠じた。

 階前偃盖一孤松 枝幹多年老作龍

 歳暮風高揩病目 擬看千丈上青空

 (階前に伏す一本の古松、枝と幹が歳月を経て龍のようになっている。

  年の瀬の風が高く吹く日に病んだ目をこすって見ると、千丈の青空に上っているようだ)


 さて、先生が庭作りに励んでいる間に朝廷内は少しづつ代わっていった。偉大な世宗大王が亡くなり王世子が即位した。文宗王である。父王同様、優れた方だったが身体が弱く在位二年で世を去ってしまった。後を継いだ王世子はまだ十一歳だった。当然、親政出来るはずもなく、又、王の生母も既に亡く垂簾聴政出来る親族もいなかったため、重臣の金宗瑞と皇甫仁が実際の政事を行うこととなった。一部の臣下のみで政治が行われるのは好ましいことではない。このことを危惧した人々は何人もいた。その一人が王の叔父にあたる首陽大君だった。彼は金宗瑞と皇甫仁を取り除き、王権を強化したが、実権は自身が握った。

 その頃、菁川先生はかつて勤めていた集賢殿の提学という高い地位に就いていた。ちょうど国内地図の製作が行われることになり、先生は首陽大君とその仕事を受け持つようになった。この時、初めて先生は大君と顔を顔合わせた。大君と先生は伯父甥の間柄だが、これまで会うことはなかった。親戚のためか二人はすぐに親しくなった。

 ある休日、先生がいつものように庭の手入れをしていると突然背後から声がした。

「花は美しいが人を惑わすことはないか?」

驚いて振り向くと高貴な甥の姿があった。先生は慌てて平伏しようとしたが大君はそれを押し留めた。

そして、

「如何か」

重ねて問われるので先生は口を開いた。

「花木には学ぶ点が多くあります。きちんと手入れをすれば良い花が咲き、怠れば枯れてしまいます。これは人間にも言えることでしょう」

 続けて植物を育てることで森羅万象の本質を理解するのに一歩近付いたとも言った。

「そうか…」

 大君は何かを考えているようだった。

 それから間もなく大君は王から禅譲されて即位した。表向きは「禅譲」だが実際は強奪であった。これは周知のことで、臣下の中には成三問たちのように前王を復位させようと実力行使に出た人々もいたが失敗に帰してしまった。その結果、前王も死を賜り世を去ってしまった。

 世間は若くして亡くなった前王に同情し、成三問たちの忠義を讃えた。反面、現王に対しては評判が芳しくなく、官職につくことを拒否する人々もいた。

 先生は現王の下でも出仕した。植物は適正に育てなければ枯れてしまう。乾燥に弱いものには十分に水分を与え、寒さに弱いものは屋内に入れなければ駄目だ。昨今の我が国は南に倭寇、北に北狄が蠢くという外憂がある状態だ。こんな時、政情が不安定では国は滅んでしまう。今こそ適切に国政を運営しなくてはならず、現王はその能力を備えている。

 現王すなわち世祖の政権下で先生は、戸曹参議、黄海道監察使等々の官職に就きその任務を果たした。

 もちろん、その間も大好きな庭作りは怠らなかった。

 ある日の午後、いつものように庭木の手入れをしていると、青衣を身に付けた青年が現われ声を掛けてきた。

「先生、閻羅王の命でお迎えに参りました」

「分かった」

 先生は怪しむこともなく青年に従って馬車に乗った。間もなく王宮に着き中に入ると文武百官が並ぶ中、空席が一つあった。そこが先生の席だった。


「姜希顔(菁川先生の本名)が亡くなったそうだな」

 病床に臥していた世祖王が側近に言った。

「左様にございます」

 自分を理解してくれた人物が又一人世を去ってしまった! 王は涙を流すばかりだった。

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養花小録~朝鮮士大夫のガーデニングライフ 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu

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