グラフィティー・シティ ストーリーズ

サヨナキドリ

理想の少女と白と黒

 白と黒の線は戦線布告のサイン。そして『委員会』への審判要請。

「また負けた!」

 太田良太は吠えた。

「まあまあ、しょうがないよ。だって、良太が得意なのは風景画でしょ」

 そう言って江藤真由がなだめる。ここは真由の部屋だった。江藤真由は良太の幼なじみで、小学生の頃から髪を伸ばしている。真由が冷蔵庫からプラスチックの容器に包まれたスイーツを取り出して、ローテーブルに置く。これは対戦の結果を見て憮然とする良太を引っ張って、帰り道のコンビニで買ったものだった。

 桜ノ丘Re:ニュータウン、ここは、自由と学生と落書きの街だ。町内のほとんどの建物に落書きをすることが、条例によって許可されている。ラクガキストの小競り合いが絶えないこの街において、『白黒決着Black or White』は最もポピュラーな対戦方法のひとつだ。既に描かれているグラフィティーの横に白黒の線を1本引き、その向こうに挑戦者が「同じモチーフで」描く。判定は48時間以内に『委員会』によって下され、敗者の絵は消される。

「これで何連敗目だ」

「えっと…13、だね…。でも、今回の絵私は好きだったよ」

 そう言って真由はスマホの画面を見せる。そこには、今回の対戦の絵が映っていた。マンガやジャパニメーションで見られるタイプの、デフォルメが効いた美少女絵、古い言葉で言えば『萌え絵』であった。右が良太の絵で、左の絵の隅には樹貴のサイン。グラフィティーの題材として『萌え絵』を選んだラクガキストの中でも、上谷樹貴かみやたつきは5本の指に入る実力だという評判だ。良太は、その彼相手に13回挑み、全敗していた。

「ねえ、今度映画見にいかない?ほら、よく言うでしょ。『創作はインプットとアウトプットのバランスが大事』って。ずっと描いてばっかりじゃ、調子狂っちゃうよ」

 真由は柔らかく微笑みながら言う。

「……ごめん。負けっぱなしでそんなことしてる気分にはなれないんだ。これ、食べていいよ」

 そう言って良太は目の前にあるプリンを真由の方に押しやる。それからスクールバッグを持って、玄関を出ていった。

「……分けてくれるのはひと口で充分なのにな」

 真由は、少し震えた声でそう呟いた。

 自室のドアを閉めて、良太は机に直行した。机には、色々な画材が散乱している。その中から良太は適当な紙とシャープペンを掴み取り、紙に楕円形と十字線が組み合わさった図形を、顔のイラストを描くためのアタリを描き始めた。グラフィティーではアタリを使っている暇はない。だからこそ、アタリを身体に覚え込ませる必要があった。他にも、思いつく練習は全て試してみた。

「次こそ、次こそ勝つ……!」

 自分以外誰も聞く人のいない部屋の中で、良太は呟いた。


「はあっ……はぁっ……」

 グラフィティーを描き終わり、良太は全力疾走の後のように膝に手を当てて、肩で息をしていた。パシャッという、合成されたシャッター音が遠くから孤独に響く。スマホ画面に目を落としながら、向かい側の歩道から渡ってきた真由が疲れた様子で言う。

「……もうやめよう」

「は?どうして」

「見てられないもん。もういいでしょ」

「良くない。俺は、勝つまで何度だってやってみせる」

 そう言って良太は壁の方に向き直った。そこには、金髪の美少女が2人描かれていた。真由は2歩歩いて、壁に手を当てる。

「ねえ、覚えてる?桜ノ丘に進学するんだって話してくれた時のこと」

 そう言いながら真由は壁を見上げた。

「『桜ノ丘の壁は、自由に描ける日本で一番大きなキャンバスなんだ』って、『俺はそこでまだ誰も見たことがないような世界を描きたいんだ』って、言ってたよね?あの時の君は、輝いてたな。夢を追いかけてる君が、私は好きだった」

 良太は振り返って真由を見た。良太は、その時初めて真由が泣いていることに気付いた。

「あなたは勝てないよ。今回も、この先もずっと。私は、もうあなたの絵を見ない」

 真由はそう言って、唖然とする良太を置き去りにして帰っていった。


 2日後、消えていたのは良太の絵だった。怒りと、失望と、諦観が混ざりあった感情の中、力ない足取りで帰路に着く。そんな時、目の前を上谷樹貴が通り過ぎた。大きな袋を下げている。袋には、この近くのビルにあるアニメ・マンガショップのロゴが入っていた。画材、という訳ではなさそうだ。無意識のうちに、良太はその背中を追いかけていた。

「おい」

 声をかけられて樹貴はビクッと振り返る。それから、心底迷惑そうな顔をした。基本的にグラフィティーの作者の顔と作品は一致しないものだが、14回も対戦していればお互いにお互いを認知する程度には顔を合わせていた。

「な、なんだよ」

「何をしている」

「何って、今日はラノベの発売日だからね。新刊を買ってたところだよ」

 そう言って袋を指し示す。その時、良太の中で突然怒りが噴き出した。

「何で俺はお前に勝てないんだ!!」

 突然の大声に樹貴はビクッと身を竦めて、涙目になる。

「俺が何もかも捨てて努力してる時にラノベだぁ?ふざけるな!どうして、どうしてこんなやつに俺は勝てない!」

 その言葉を聞いている間に、樹貴の顔から怯えが消え、代わりに冷ややかな軽蔑が張り付いた。

「……教えてほしいか?」

 冷静に放たれたその言葉に、今度は良太がたじろぐ番だった。知っているというのか?その答えを。

「いいか良く聞け。あんたがどれだけ絵が上手くなろうと俺には勝てない。あんたは『絵』を描いているが、俺は『ヒロイン』を描いてるからだ。そうあってほしいという、願望と欲望をぶつけて、曝け出して描いてるからだ。あんたにはそれがない。……そりゃそうだよなぁ、あんなに可愛い彼女がいればさぁ!!満たされてるんだからこんな渇望がある訳ないだろう!!何もかも捨ててだって?冗談じゃない!俺は!この先も!彼女持ちに負けるつもりはさらさらないね!」

 そう言って樹貴は踵を返した。樹貴は言葉の後半では涙目になっていた。


「映画、誘ってくれてありがとう」

「ああ」

 昼食にと入ったカフェで、正面に座る真由がいう。あの日以来、LINEには既読がつかなかったので良太は郵便受けに映画のチケットを簡単な手紙を添えて投函するという方法をとった。

「この映画、私も見たいって思ってたから、何度も君を誘ったんだよ?良太は聞いてなかったみたいだけど」

「……ごめん」

「いいよ。こうして君の奢りで見られたわけだし。このパフェも奢りなんでしょ?」

「……あ、ああ」

 財布へのダメージ計算に気を取られかけながら、良太は応じた。

「映画、面白かったね」

「ああ、面白かった。自由で眩しかった。うらやましくなるくらいに」

 映画はボーイミーツガールの青春モノだった。10代の男女がひょんなきっかけで出会い、世界を、社会を駆け抜けていくような話だった。

「でも向こうからしたら、こっちの方が自由で羨ましいのかもな」

 真由はパフェを口に運びながら首を傾げる。良太は続けた。

「この間、上谷樹貴と話したんだ」

「へえ、どんな話」

「なんで俺が勝てないのかって」

「それ、話をしたの?」

「……いや、どちらかと言えば俺が喧嘩をふっかけたんだけど。そしたらアイツ、なんて答えたと思う?」

 真由がわからないと首を横に振る。良太は言った

「『彼女持ちに負けるつもりはない』」

 カツン、とスプーンがパフェグラスの足を叩いた。良太は右手を伸ばして真由の頬を撫でた。

「ごめんね、そんな顔させちゃって。でも、大丈夫だから」

 真由はよくわからないまま、それでも詰まっていた息を吐き出した。

「あんなに真っ直ぐ嫉妬をぶつけられるのは初めてでね。俺は、自分がどんなに足掻いても勝てないアイツが羨ましかった。でも、アイツは俺に嫉妬してた。俺は、大事なものを見落としてたんだな」

「……やっと、私のこと見てくれたね」

 真由はそういうと気持ち良さそうに目をつぶって、良太の手に自分の手を添えた。すると良太は、大きく目を見開いた。

「わかった……!これで勝てるぞ!最高のインプットをありがとう!!」

 そう叫んで立ち上がると、猛スピードでカフェを出ていった。一応、伝票を持っていくことは忘れずに。

 残された真由は呆然とした。

「これだから——」

 男の子は、と言いかけて止まる。男性全員がここまでエキセントリックというわけでもないだろう。絵描きは、ラクガキストは……どれもしっくりこない

「これだから……良太という人は!」


 良太は絵を描き上げた。その隣に、白と黒の線を引く。本来それは挑戦者のすることだ。その後良太は線の向こうに『来いよ 童貞野朗』と大書した。


 翌日、対決の絵は出揃った。樹貴の絵は、いつもに劣らない出来だ。

「おう、太田」

 眺める良太に樹貴が声をかける。

「どうした」

「一発殴らせろ」

「俺が負けたらな」

「彼女持ちに負けるつもりはさらさらないね」


 真由の部屋のドアホンが鳴る。

「はい」

 制服を脱いでルームウェアになっていた真由が画面を見ると良太が立っていた。肩で息をしている。

「どうかしたの?」

 サンダルをつっかけてドアを開ける。

「きて!」

 良太はそんな彼女の手を掴むと、勢いよく走り出した。

「わっ!ちょっと!」

 そして着いたのが、あの絵の前だった。樹貴が道路に膝を突いている。

「勝ったんだ!!」

 真由は絵を見上げて、息を呑んだ。壁の中で微笑みを浮かべている美少女は、彼女そのものだったから


 ——絵を描きながら思考が整理されていく。なぜ萌え絵なんて描いたこともなかった自分が挑まずにはいられなかったのか。何がそこまで許せなかったのか。ようやくわかった。俺はあの絵を初めて見た時に、恋に落ちてしまったのだ。彼が描いた『ヒロイン』に。俺は、それが許せなかった。真由というものがありながら恋に落ちてしまった自分に。あまりに突然のことだから、それを自覚することは今の今までできなかった。そんな私が自分の想いを否定するためには、『自分がもっと可愛い女の子の絵を描ける』ことを示すしか手段を思いつかなかった。けれど、それは失敗を続けた。対戦して負けるたびに、想いは募っていった。

『彼の描いた絵以上に可愛い女の子は存在しないのではないか』知らぬ間に与えられたこの命題。しかし俺は、ようやくそのただ一つの答えに辿り着いた。


『俺の彼女が世界で一番可愛い』!!


 彼が望みを描くのなら、俺は事実を描こう。アイツがヒロインに微笑みかけられることを望んだとして、俺はその世界最高のものを既に『知っている』。

 スプレーが最後のひとふきを終える。これで勝っても負けても、俺がアイツに再び挑むことはないだろう。負けるつもりはさらさらないが。


「やったね、良太」

 真由は良太の腕に抱きつきながら言った。その周りで、無責任なオーディエンスが話す。

「いやぁ、この絵はすごいわ」

「すごいな。すごみがあるわ。すごみ」

「しかし上谷樹貴もこれを見てよく対戦する気になったな。俺は無理だ」

「童貞の意地、というやつだな。意地。こんな絵を描かれて『来いよ童貞』なんて挑発されたら、たとえ負けが明白だとしても挑まずにはいられないだろう」

「しかしなかなかいい勝負だったぞ」

 それを聞いた真由の顔は、一気に真っ赤になった。

「良太……」

「ん?」

「ばかっ!!」

 ゼロ距離密着ホールド状態から放たれたビンタをかわすことができず、良太の頬はいい音を空に響かせた。

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