第110話 最後の夜(後)

 ウィルナーたちは白の巫女ソラと別れたのち、城壁の上に陣取っていた。高所からであれば街全体の様子が確認できる。各所の動きを察知して対応しやすいとの判断だ。

 とはいえ――


「静かなもんだ……」


 竜の少女は眼下に広がる街を見渡した。滅亡が迫っているとは思えない静けさだ。焦燥も諦観も見て取れない、まっさらな世界。神のお膝下。あと数時間もしないうちに戦場となる舞台を、少女は一人で見下ろしている。

 目覚めているのはジーヌだけ。

 研究者と猪は彼女の隣で舟を漕いでいる。

 異変が起きたタイミングで行動するつもりではいたが、そうでなければ襲撃は神が街を滅ぼす寸前と決めていた。街一つ消し飛ばすほどの火力を出すなら必ず隙が生まれると考えたからだ。日が昇るまでが彼らに残された最後の休息となる。ウィルナーとジーヌ、ぼたんは交代で睡眠を取るようにしていた。

 眠っている男に視線を送る。膝を抱えて顔を伏せているので表情は確かめられない。寝顔くらい見えるように眠ればいいのに、と理不尽な要求を思い浮かべた。貴重な睡眠時間を邪魔するわけにはいかないから手は出さないが。

 その研究者に寄り掛かるようにして、猪はアホ面を晒している。睡眠中にしては酷い顔だ。


「……こいつ……」


 だいぶムカついたが、手を出すのは止めておいた。些細な衝撃でもウィルナーは起きてしまいそうだった。


「まァいい」


 寝息しか聞こえない夜を、少女は一人で過ごしている。そんな夜だから、まあ、考え事が捗ってしまうのも当たり前のことで。

 警戒の意識を緩めぬまま、ジーヌは白い女のことを考える。

 白の巫女、ソラ。意思のなかった空っぽの人形。祖父を自分の手で殺し、壊れかけていた人間。ふらふらと歩いていたところを見かけて、話を聞いて、情報だけ得られれば十分だと考えていた……はずなのに助言までしてしまった。

 ウィルナーが指摘してしまうくらいには珍しい現象だった。

 竜の少女は基本的に、ウィルナー以外の大半をどうでもいいと思っている。他で気にするような相手はせいぜいサイカとぼたんくらい。だから確かに、どうでもいい相手に分類されるソラへと助言じみたことを言ったのは、本当にレアなケースだった。

 ジーヌは自分の手首を握りしめる。

 なんというか、あいつを見ていると苛ついて仕方なかったのだ。

 ソラは祖父を自分の手で殺した。それはいい。そういうこともあるだろう。今日の味方が明日の敵になったり、好き合っていながら殺し合うことがあってもいい。でも、命が失われたからすべて失くしたような顔をして沈むのはちょっとおかしいと思う。

 我慢ならなくって、口を挟んでしまった。

 当人の命が潰えた後も血は残る。ソラという子の中に、出会った人々の中に、シドという男の記憶は残っている。空っぽの女に物を考えさせるだけの言葉を、機会を、痕跡を、彼は残していったはずだ。万が一に記憶や血が途絶えてしまったとする。だが、それでも多くの痕跡が残っている。シドの肉体は腐り落ち、大地の養分となって次の命に繋がっている。たとえヒトに認識できない僅かな痕なのであっても、竜の特性を持つジーヌはその異常なる適応力で自然を検知する。彼の跡は間違いなくこの世界に残留している。

 というか、それ以前の話。

 悩んでいる時点で心も意思もあるのだろう。何を切欠に芽生えたものかは分からないが、少なくともこの夜に出会った彼女には人形ならぬ人間としての意思こころが生じていた。

 だから、空虚な人形だった過去の自分を並べて比べる必要なんてなくて。

 やりたいようにすればいい。

 それが自分を殺し続けてきた少女からの言葉だった。


「…………」


 やりたいようにすればいい。自分のあり方を定めてから、ジーヌはやりたいように生きてきたつもりだ。ウィルナーにくっついて、ウィルナーに自分の匂いを擦り付けて、ウィルナーの実験に協力して。自分がやりたいよう過ごした。彼の為にできることを探ってきた。そういった行為の一つが恋することなのではないかとも思った。

 好きなことを試した。嫌いなことを調べた。気に入ったことを繰り返した。


「…………、…………」


 でも、ふと、こうして考え事をしているうちに思った。

 少女のやりたいことはウィルナーがいなければ成立しない。

 ならば、もしもウィルナーがいなくなったら。彼が死んでしまったら、ジーヌの恋は消えるのか。恋することはできなくなるのか。


「……………………」


 違う。ウィルナーが死んだって残るものはある。

 相手の死が恋の終わりではない。恋というのは相手の生存死亡に依るものではなく、相手がいなくなってからも変わりなく恋は続く。竜の少女ジーヌは恋する相手をどこまでも、誰よりも認知し続けることが可能が故に、恋は彼女の意思と存在さえあれば永遠に維持されるものであるべきだ。

 ウィルナーと共にありたいと思う。彼が死んでも、塵と消えても彼を想う。

 ジーヌはウィルナーに恋をする。

 ならば、彼女の恋とは――


「あァ――」


 意図せず、息が零れた。



 晴れ渡る思考を示唆するように、だんだんと地平線が明るくなっていく。夜明けが近い。休憩時間ももう終わり。じきスクルヴァンの街は神の手によって滅亡するという。その時こそ戦いの幕開けだ。他のことに意識を割いている場合じゃない。

 だから、今は伝えずにいよう。

 何もかも終わって、全部片付いて、そうしたら。


「おいウィルナー。起きろ。朝だ」

「……うん、おはようジーヌ。ありがとう、だいぶ休めたよ」

「ぼたんもだ。起きろ間抜け面」

「イタイ。タタクナ!」

「いいだろ別に、それくらい」


 ……そうしたら、お前に伝えるよ。

 オレの恋の定義を。

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