第84話 わしの孫

 慌ただしくなる巫女たちの様に、シドは即座に行動を開始した。

 仕掛け扉のひとつから自室を脱出して入り組んだ地下道を移動する。途中、至急の連絡と届いた情報源が街壁であることを確認すると、目的地へ向かう足を速めた。待ちわびた時が遂にやってきたのだ。

 暗闇の地下を抜け、聖体が保管されている施設に到着する。まだ神の御一行はやってきていなかった。先行できたことは大きなアドバンテージとなる、聖体の様子を確認できる位置まで移動して物陰に潜んだ。呼吸を抑え、わずかな音さえ立てぬようにと細心の注意を払う。動かすのは視覚と思考のみ。極限まで身体を仮死状態に近づける。

 冷凍保存のための極寒環境が幸いしたか、シドの肉体は彼の想定以上に死に近接した。気配を悟られる可能性は無いだろう。あとはその時を待つだけだった。


「――――」


 聞こえてきたのは、小さな足音。音の軽さから判断するに体格は小さい。老いぼれて縮んだシドと同じか、多少なり大きいくらいの背丈と重量だ。急ぐ様子もなく、どこか余裕さえも感じる緩慢さで足音は施設内を移動していく。シドは決して顔を音に向けたりはしない。視界から聖体を外さないよう固定し、足音が迫るにつれて高まる緊張と殺意を宥めている。

 足音の主が姿を現した。

 足が二本。腕が二本。胴体の上には丸い頭が乗っている。豪華さも絢爛さもない服を着こんだその姿は、スクルヴァンの住人たちと同じようにの構造をしていた。

 老いたな、と思う。

 標準的な形状からはずいぶんと体重が落ち、痩せ細っている印象のそいつ。不健康な貧弱さだ。栄養不足というより単純に老化の影響が出ているのだろう。余計な感情を抱かないつもりのシドだったが、その姿を見て時の流れを痛感する。帝竜の討伐から何年経ったか。シドも、目の前のそいつも年老いて当然の時間が経過している。

 そいつは聖体の前、制御卓で操作を行う。何重にも掛けられたプロテクトを解除していく。聖体の脳にあたる部分に詰め込まれた機械、通常時は何者のアクセスをも遮断するよう保護された最重要部位であるが、唯一それを解除できる人物がそいつだ。

 シドが最も殺したい相手。

 シドが街ごと滅ぼそうとしている相手だ。

 認証を終えると聖体の頭脳部に筒状の機器が接続され、同時にそいつの頭にも帽子のような機器が装着された。転送動作の開始を告げるアラートが鳴った瞬間、シドは動いた。

 ――ここだ。

 ここが最初で最後。

 意識の転送が行われるタイミング。ほんの僅かではあるが絶対に避けられない隙が生じる。

 仮死状態にあったシドの身体は瞬間的に息を吹き返し、心臓が血を送り出す。全身全霊を込めた一歩は施設の床を叩き割り、爆発したかのような轟音を響かせた。疾風の如く制御卓まで水平に跳んだシドは、同時に懐から小刀を取り出した。勢いのまま首筋を狙って刃を振るう。


「死ね――!」


 シドの刃は目標の首に接触し、




 …………。

 人間は社会性の生物だ。

 ゆえに人間を確実に殺すには、いくつかの手順を踏む必要がある。先ずは大前提として命を絶つ。生命を停止させる。結果、生命体としてはそれ以上活動することができなくなる。しかし、活動を止めたところで他者への影響が残る。確実に、完璧に殺すためには、影響の及ぶ範囲をすべて殺し尽くさねばならない。時間を掛け、手間を掛け、記憶を関係を断つ。そうしてようやく、人間は完全な死を迎える。

 神が死んでも、スクルヴァンという街が残ってしまえば神の影響は色濃く街の住人を染め上げる。いつか神は再び現れる。

 人を完全に殺すなら、その影響さえも失わせる必要がある。神を完璧に殺すには、神を信ずる宗教そのものを消し去る必要があった。聖教会を、その本拠地であるスクルヴァンという街自体を抹消しなければいけなかった。

 だからシドは街ごと神を殺そうとした。

 ただ、もちろん、大前提が失敗すれば街の崩壊など何の意味もない。神を殺せなければ、神の影響も、記憶も、殺しようがない。

 目標が目の前にのこのこと現れたのならば、絶対にその殺害を仕損じてはいけない。

 絶対に。




 

 驚く間もなく後ろ手に顔を掴まれ、シドは床に叩きつけられた。鼻が潰れた音が聞こえて、数秒経ってから痛みが追ってきた。


「っあぁ……!」


 人間とは思えない力、速度で押さえつけられる。顔の骨が軋んでいる。激痛で鈍る思考を無理やりに働かせて、困惑と動揺を払いのけた。

 鋭利な刃が人間の首に硬度で負けるはずがない。自分と同じような体躯の人間が、これほどの力を持つはずがない。偽物だ。騙された。目の前にいるそいつは神ではない。人間の皮を被った人工物だ。

 しかし、なら何故。偽物ならば、個体識別情報に依存した認証を抜けられるはずがない。指紋や網膜、細胞まで同一の存在を創造することはスクルヴァンの技術では不可能なはずだ。技術提供を受けている? 街の外に協力者がいる? はたしてそんな技術力を持つ場所があるのか。


「がぁっ……!!」


 痛みで思考が中断される。

 右側頭部から血が流れている。偽物の人工物、その人差し指がシドの肌を突き破り肉に突き刺さっている。抗う力もなく、流れ出る血の感触に吐き気を催していると、脳内でノイズじみた音が反響した。耐え切れない。


『無様よな』

「どこから、っ……!」

『任意の周波数で共振させることで物体間の音を伝える。我はお前の手の届かない場所にいる。人は神に触れられぬ。……偽りの造物に謀られるとは、お前の目も曇ったものだ。酷く老いたな』


 響く声に覚えはなくとも、傲岸不遜たる態度に確信する。

 声は言った。


『シド。勇者なりし未来を自ら閉ざした者よ。何をするつもりだった?』

「……お前を、殺すんじゃ……!」

『そうか』


 シドの頭を押さえつける力が弱まった。うつ伏せで床に押しつけられていた恰好から強制的に向きを変えられ、仰向けに転がされる。両腕を上げた状態で拘束された。動けはしないが、痛みが和らぐ。

 状況把握に努める余裕がほんの少しだけ生まれたことにより、ようやくシドは別の誰かの足音が近づいていることに気付けた。

 それは何度も聞いた足音だった。聞き慣れた音だ。


「何故、ここにいる……」


 聞き飽きるくらい聞いても、決して飽きない音。

 何度も何度も、何度だって懲りもせず部屋を訪れてくれた大切な人の足音。


「ソラ!」


 白の巫女は、血を流す祖父の前に立つ。


「おじいちゃん。……いえ、シド。神に刃を向けた罪深き者」


 ソラはシドを見下ろした。彼女の目には何の感情も灯っていなかった。孫が祖父に送る思いやりも、迷惑を被りながらも抱き続けた身内への愛情も、何もない。

 空虚な瞳。

 から。

 空。


「抗い、逆らい続ける貴方を罰すべし――神はそう仰せられました。その役割を果たすのは、神の忠実なる巫女である私だ、とも」

「――――」


 思考が停止した。

 脳内では耳障りな笑い声。

『お前のその顔を見たかった!』騒がしい、黙れ、けれど声は止まない。『シドよ。これがお前の裏切りの結末だ。竜は敵だと、討つべき災いだと伝えていたのに、あのときお前は残り物を見逃した。見逃し、生かし、こともあろうに竜の対処に疑問を呈した。お前の愚かな行いで、スクルヴァンは帝竜の脳をほとんど得る事叶わなかった』

 耳を塞ぐことができない。『シドよ。どうしてお前を殺さなかったと思う? 目を裂き、息子を殺し、孫を奪ったと思う? 殺せたはずのお前を殺さなかった理由は何だ?』

 悪意を聞くことしかできない。

 声は叫んだ。『お前に、絶望的な死を与える為だ!』


「…………、へへ」

「最期に言い残すことはありますか?」


 頭の中の声が止む。外界は、ずいぶんと静かに感じられた。

 ソラは刃物を握っていた。心臓を突くにしては少々小ぶりに見えたが、一度で殺せない武器をわざわざ選ばせたのだとしたらますます悪趣味だと思った。


「ソラ。……お前は、自分が神になれると思うか?」

「いいえ。私は人です。神ではありません」

「そうじゃろう。わしも同じく考える」

「…………」


 ソラが刃物を構える。シドの胸の上、両手で突き立てられるように。


「人は決して、神にはなれないんじゃ」


 直後。

 無言で刃が振り下ろされた。

 一度、二度、三度。それ以上は数えていられない。肉と刃が触れる冷たい感触、温もりが零れていく感覚。血とともに記憶も意識も失われていく。

 ああ、何も出来なかったか、と――

 最期に、映し出された視界には。

 それはきっと都合のいい幻だ。


 意思のない空っぽの少女から、何か、とても悲しい何かが、零れたように思えた。

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