第55話 回想紀行 -煉獄の杜-

 思い出巡りも三か所目。

 ウィルナーたちが訪れたのは煉獄の杜と呼ばれる地だ。


「暑いな……」

「燃えてるからな!」


 ジーヌは元気いっぱいに言う。元々炎を扱う竜だった彼女は、灼熱の地で活発になる。

 煉獄の杜。

 煉獄――天国や地獄と並列的に語られる、死後の世界。清めの炎によって罪を焼く浄化の地。だがこの森は浄化や神聖といった単語とは無縁、本来の煉獄とは異なり、暴力的なまでの炎に包まれている。

 罪過とまとめて命さえも燃やし尽くす炎。

 何十年経っても燃え続ける大森林地帯。

 原因はもちろん帝竜メリュジーヌが力を振るった為である。

 ウィルナーには見当が付いている。この地で思い出されるであろう記憶は、元々は大森林だったこの地がどうして煉獄の杜と呼ばれるようになったか。森への放火と、メリュジーヌの力についての話だろう。


「ここは、アレだよな……」


 どうやらジーヌにも察しが付いているらしく、元気な様子から一転して少々げんなりしている。

 無論、大雑把に覚えているからといって過去疑似体験を止めようとはならない。当時のメリュジーヌが何を思っていたか、そのときどういう脳の動きがあったかのデータ収集が目的であり、ジーヌは今回も猛烈に不味い薬品を飲まなくてはいけない。


「アレだな。薬の用意はできている」

「準備早くねえか?」

「もう三度目だからね。効率的に進めていこう」

「せっかくの長期旅行なんだから、もう少しさァ……あるじゃん?」

「データ収集が優先だ」


 こういう奴だったな、と何度目かも分からないため息を吐いて、ジーヌは薬を受け取った。飲めばどうせ気分が悪くなるので、あらかじめ横になっておく。


「いくぜ……ッ!」


 気合一声、薬品を喉に流し込んだ。

 すぐに意識は暗転し、ジーヌはメリュジーヌとなって過去を辿る。






 竜は厄災である。

 恐怖の具現。人類の脅威。天にも等しい力を持つ、災禍の生命。

 人は幾度となく竜による滅びを迎えた。竜とは人にとっての悪夢であり、絶望であり、打ち勝つべき敵対者であった。

 では、どうして竜は人を滅ぼすのか?

 人間と意思疎通が可能であることは既にウィルナーが証明した。高い知性と理性を備えていることも把握した。だからこそ、研究者は不思議に思う。竜が人類文明を破壊してきた歴史を。脅威として人の前に立ちはだかる意図を。


「衝動さ。壊したい、という衝動がある」


「別に人に対してだけじゃねえ」とメリュジーヌは続けた。「竜はだいたい似たようなもんだ。どいつもこいつも、いつだって自分の力ですべて壊してやりたいと思ってるような連中ばかりさ」

 竜という種そのものに根付いた欲望。

 万物を破壊し、暴力を振るうという衝動の発露。


「本能からくる衝動か?」

「まァ、そうかもしれない。なんとなく分かるんだ。この世全てがおかしい――ってよ」

「……そうか」


 帝竜と研究者は大森林地帯にいた。

 竜も生物である以上、食料を得るために狩りを行う。メリュジーヌの場合はこの大森林で獣を狩って喰らっていた。当然、来訪目的は食料調達だ。食料の備蓄自体はまだ残っていたが、ウィルナーが狩りの様子を観察したいとせがむので仕方なくである。

 食料の話、狩りの手順やら何やら話しているうちに、人と竜の歴史についてウィルナーから説明された。人側から見た竜は、脅威であり敵対者であると。そんな立ち振る舞いをした覚えはない、と否定して、ではどうして、と尋ねられた。その答えが衝動だ。


「ッ、と。着いたぞ」


 大森林の上空、メリュジーヌは羽ばたいてその場に留まる。


「着地はしないのか?」

「必要がない。しっかり掴まってろ」


 言うや否や、帝竜は森林の一角に向かって思い切り翼を振るった。嵐の如き風圧が上空から木々と生物を直撃し、圧に耐え切れず潰れた。まるで巨大な生物の足跡だ、暴風に襲われた地上は一瞬で異世界に変質した。根元からへし折れた大樹、先ほどまで生きていたはずの動物たち。死神でもやってきたかのようだ。


「狩り、か。聞いていたより苛烈だった。それに……」

「効率的、か?」

「そうだな。そう思う。だが、それ以上に――」


 ウィルナーは、最強の竜と呼ばれる意味を改めて感じていた。

 翼を振るうだけで他種の命を容易に刈り取る。いや、他種に限らない、竜を相手取ってもメリュジーヌにとっては大して変わらないのだろう。翼を振るうだけ。炎を吐くだけ。些細な行動一つ取っても、種の滅亡を引き起こしかねない苛烈存在。

 帝竜。


「――強すぎるな、君は」

「そりゃ強いさ」

「滅ぼさないのか?」


 ウィルナーの問いは短く、しかし的を射ている。

 竜は他種を容易に滅ぼす力を持つ。事実、帝竜メリュジーヌは人類の築き上げた文明を何度も消し飛ばしている。だが、人類を滅亡に追い込んではいない。ウィルナー含む人間たちは生きており、また暗黒街トラウィスや聖街スクルヴァンといったいくつかの街は健在だ。

 歴史を辿るに、人は幸運としつこさで生き延びてきたとされている。しかし、メリュジーヌの力は圧倒的だった。ウィルナーの目には、とても努力でどうにかできるレベルを超えているように映った。

 努力での対策が不可能。

 であれば。

 研究者が指摘する。

 メリュジーヌは、意識的に人類を滅ぼさないようにしているのだと。


「…………、く」


 帝竜は一瞬黙りこくって、それから堰を切ったように大笑いした。ひとしきり笑い終えた後で「おかしなことを言っただろうか」と首を傾げる研究者に喋りかける。


「滅ぼす、滅ぼさないって話だと……そうだな。オレは何もかもを滅ぼす為に生まれてきたのかもしれない――時々、そう思うことがある。生まれてすぐに強かったのも、身を焼くほどの衝動も。感覚的に理解できたんだ。何もかもを」

「何もかも……?」

「全部だ。本当に、全部」


 メリュジーヌの言葉を聞いて、ウィルナーは考えていた。

 竜の特性たる異常な適応力。たとえば即座に言語を解析し、応答する。たとえば居住環境に応じて生存できる肉体を構築する。その適応力は種として固定されているのではなく、個体差が生じるものであるとすれば。

 王になるべくして生まれたような才を、メリュジーヌが秘めていたとするならば。

 類まれなる適応力。

 この世すべての事象を本能的に知るような理解力。

 構造的歪み、争いの無意味さ、争乱の生じる根本原因。生命の不条理さまで含めた万物まで、無自覚に把握できていたとするならば。

 メリュジーヌが内に抱える破壊衝動とは、そういった物事への怒りなのではないか。

 なくなればいい――と本能的に理解していからこそ、破壊しようとするのではないか。


「でもよ、まだ壊してねえ。壊す気もねえ」

「理由は?」

「つまらねえと思ったんだ。衝動のままに暴力を振るって全部ぶっ壊すのは簡単だが、それじゃあ知性の行き場がないだろ。そこらの獣とは違う、オレは帝竜メリュジーヌだ。衝動に逆らって、オレがやりたいことを探して。その為に思考して、思索して、何にも縛られず生きなけりゃあ面白くねえ!」


 メリュジーヌは語る。

 意識的に人類を滅ぼさないようにしている、というウィルナーの考察は正しかったようだ。衝動のままに暴れ、壊し、焼き尽くすこともできる。が、しない。身を焼く強烈な破壊衝動を、面白くないからと一蹴して抑え込む。

 思考し、思索し、生きていく。

 未知を探究し続ける自分のような生き方だ、と思った。


「と、いうことは……メリュジーヌ、君は衝動に任せて破壊行動を取ったことはないのか?」

「一、二度ならあるけどな。後は、やり返すくらいしかしてねえ」


 ウィルナーは納得した。

 おそらく、メリュジーヌがやり返すと呼ぶ攻撃規模が大きすぎるせいで、文明破壊を能動的に行う敵対者だと思われているのだろう。先ほどの狩りを見ても分かる。メリュジーヌの行動は良く言えば大胆、悪く言えば大雑把だ。人間一人の行いで、ざっくり周辺地帯、街を複数で収まらないレベルの範囲を焼き払ったのだろう。それなら確かに文明の敵対者認定もされよう。

 また一つ歴史の真実が明らかとなった瞬間だった。


「……しかし、道理で気が合うわけだ。君と私は、思ったより近い性質を持っているようだね」

「気が合う、ってか。竜と人で? ウィルナー、お前本当に面白えよ」


 帝竜が地上に降りる。風圧で仕留めた動物たちをウィルナーに集めさせ、自らは折れた木を利用して火を焚く。できる限り丁寧に木を積んで。人間と竜が一緒に集える、可愛らしい焚き火を。


「小さくないか?」

「これくらいでいいのさ。せっかく大量に狩ったんだ。食うぞ」



 ×××



 と、ここで終われば美しい思い出なのだが、残念ながら記憶には少しだけ続きがある。

 メリュジーヌは気分が良かった。非常に気分が良かった。だっていうのに焚き火の火力が少し控えめな気がして、物足りなく見えて、もうちょっと火力足したいなという気持ちになって、焚いていた火に自身の血を垂らした。尾を傷つけて流した血を、大量投下した。

 火は消えた。血が炎上する前に、血液に飲まれるようにして消えてしまった。

 だから問題ないと思って、その場を離れてしまった。

 血は大地に染み込み、周囲の植物へと吸収された。酸素と結合し激しく炎上するメリュジーヌの血を吸った森が出来上がった。

 森はいつ燃えるかもしれない可能性を内包しながら拡大を続け――そして、遂に燃え上がった。ウィルナーたちが気付いてももはや手の打ちようなどなく、こうしてメリュジーヌの食料調達地だった大森林地帯は、煉獄の杜と呼ばれるようになったのである。


「――はァ! ッ、あァ……」

「おはよう。元気がないな」


 目覚めて即座に落胆するジーヌ。ウィルナーは彼女の頭を撫でてやる。

「どうして……確認を怠ったのか……」と嘆く少女の姿に、案の定予想通りの過去を思い出していたらしいと確信する。

 継続して頭を撫でると、五分も経たずジーヌのメンタルが復活した。


「じゃあ行くか」

「もう少し休んでいこう」

「暑いんだろ。早く移動した方が良くないか? 脳活動データ収集もあるし……」

「いいか、ジーヌ」


 ウィルナーがジーヌの肩を掴み、真正面から見つめた。


「ひゃい!」


 あまりに突然だったのでジーヌは台詞を噛んだ。


「データ収集が優先、と言っただけだ。君に寂しい思いをさせるのは本意ではない。私も、君とゆっくり二人きりの時間を過ごしたい」

「ウィルナー……」


 ジーヌがウィルナーに抱きついた。何故か無性に抱きつきたくなったのだ。


「…………」


 空気の読める猪は、二人の空気を邪魔しないよう無言を貫いていた。

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