第42話 空の巫女

「街は東西南北に区切られ、各居住区には住宅と生活必需品を取り扱う小規模な商店、祈るための教会が配置されています。人々は質素倹約に努めながら、日々を幸福に生きているのです」

「なるほど……」


 巫女から説明を受けながら、ウィルナーは街を歩いていく。


「貴女の仕事場は教会になるのか、ソラさん」

「そうだ、とも言い切れませんが……ええ、はい。教会で祈ることはあります」


 ウィルナーが尋ねると、白の巫女は答える。

 白の巫女は、名をソラと名乗った。ウィルナーはソラと二人で街を散策している。監視と案内を務めていたはずの兵士はいない。

 ウィルナーが旅人であること、街の観光をしていることを聞いた白の巫女ソラは、ならば自分がと兵士に代わって案内を名乗り出た。兵士は動揺し、監視を途中で止めるわけにはいかないと反論したが、最終的にはソラの強い要望に折れて去っていったのだ。

「いいのか?」とウィルナーが確認すると、彼女は「何のことでしょうか」と首を傾げた。


「彼は見張りの任を負っていたのだろう。仮に何か起きた場合、貴女が私を止められるとは思えない」

「貴方は、私に、危害を加えるつもりがあるのですか?」

「無い」

「ならば何も起きません」


 巫女は微笑みとともに答える。

 ウィルナーは不思議に思う。おそらく得体の知れないであろう来訪者を、白の巫女は信用しきっているように感じられた。兵士たちと異なる思考、判断基準でも持っているかのように。

 兵士たちの警戒はごく自然な思考だ。ウィルナーとジーヌは街の外で、真っ当な人類には到底成しえないほどの高速移動を行っている。その様子を兵士たちに目撃されている。人類を守り、生かすことを命題とする守護の街であればこそ、危険因子となりうる可能性には十分に警戒してしかるべきだ。故の観光限定、監視付きだったはずだ。だから兵士たちの反応が論理的で理性的、妥当性のある判断だとウィルナーは考える。

 しかし、巫女の判定は異常に緩い。

 初めて出会った男の言葉を信用している、それも一片も疑うことなく完全に信じているように見える。彼女の信用が演技で、すべて見せかけなのだとすれば賛辞を贈るしかないが、ウィルナーは巫女が嘘を吐いているとはとても思えなかった。

 ソラは、街への立ち入りが許されている時点で害を及ぼすことがない、と確信しているように見えた。


「言い切れない、というのは?」

「私は基本的に大聖堂を離れることができませんから。こうして外に出るのは、月に一度、いずれかの教会を回る時くらいです」

「ふむ。普段はあそこにいるのか」


 ウィルナーが見やる先には、ひときわ巨大な建物が見えている。

 スクルヴァンの中心部に位置する場所に建つであろう建造物。街の象徴、聖街の呼び名に相応しい意匠をあしらった施設こそ、ソラが大聖堂と呼ぶ領域だ。

 大聖堂。もとい、聖教会本部。

 竜を悪しきものと定め、周知させ、その討伐を正義とする現代の世の在り方を構築した聖教会。その本部は当然のようにスクルヴァンの中心――すなわち世界の中心で、強く存在感を放っている。


「ええ、ええ、その通りです。内部の説明は後程行いましょう」

「ありがたい」


 現在、ウィルナーとソラは大聖堂に向かっている。

 勇者の名が刻まれた石碑がウィルナーの目的の一つではあったが、それだけではなく他にも目的はある。スクルヴァンの街で、ウィルナーが是非とも見たいと思っていた物は聖堂内に安置されているということだった。


「しかし、そうなると悪いことをしてしまったか」

「どうかしましたか?」

「月に一度の外出、その余暇時間を私の案内に費やしてしまったことになる」


 ウィルナーが言うと、ソラは「そんなことはありません」と否定した。


「貴方と出会ったのは、良いことですよ」

「何故?」


 ソラの話が事実なら、彼女は四方に散る地区、いずれかの教会の訪問で月に一度だけ外出する。石碑の掃除もしているようだが、ともかく仕事を終えてようやく街を出歩ける自由時間ということだろう。そんな時間を初めて出会った男の案内で使い果たしてしまったというのに、どうして良いことなのか。


「ウィルナーさんのおかげで、街を見て回ることができました」

「私のおかげ? 普段は違うのか?」

「目的を果たせば、真っ直ぐに大聖堂に戻るので……」


 ウィルナーはソラの言葉に違和感を抱く。街を見て回りたいのにいつもはそれさえできない、とでも言いたげだった。神に仕えるというだけあって、役割に極めて忠実なのだろうか。


「少し店に立ち寄るくらい構わないのでは?」

「どうしてそんなことをするのですか?」


 白の巫女は質問に質問を返してきた。


「貴女は街を見て回りたいようだったが」

「はい、その通りです。けれど、それがどうかしましたか?」


 まるで純粋な疑問だった。

 本当に、どうしてそんなことをするのか分からない、といったふうだ。


「私自身がどうであれ、関係はありません。神に授けられた役割を果たすだけです」

「ならば尚更、私の面倒を見ている場合ではないだろう」

「いえ、いいえ。神はおっしゃいました。教会に赴き人々に言葉を届けよ。人という種の勝利を新たな石碑に刻み、守り伝承し続けよ。そして、困り人がいれば手を差し伸べよ。……守衛の方に監視されているより、よほど気楽でしょう?」

「確かに」

「そのおかげで私も散策が楽しめました。これを良いことと呼ばず、何と呼びましょう」


 ソラは楽しそうに街を見つめている。

 ウィルナーの常識になぞらえるならば、彼女の言葉は本意ではない。この散策は『役割に忠実な巫女が街巡りをするための都合の良い言い訳としてウィルナーの案内を買って出た』と考えるのが通常の捉え方だろう。

 だが、ウィルナーの印象を適用するならば彼女の言葉は真実だ。己の自由意思を捨て、神の指示にただ従う。神の言葉という絶対的な指標があり、ソラは指標に依って行動しただけ。得た結果は真実、単なる幸運に過ぎないのだ。

 違和感。違和感の正体を理解する。

 彼女には自分がない。

 絶対的な神の言葉に対し、白の巫女には自分の意思を介入させるという思考自体が存在していない。

 死ねと言われれば死ぬだろう。殺せと言われれば殺すだろう。

 彼女の行動には、彼女の意思がない。空っぽなのだ。

 いや、そもそも。


「ソラさん。気になっていたことがある」

「何でしょう?」

?」


 ソラの言葉の中に、度々登場した神という存在。ソラが巫女であり、神託を得る者だというのならば、名が出るのはごく自然ではある。

 しかしウィルナーには、彼女の話す内容がどうにもちぐはぐに思えた。

 神とは不可知な自然の力であり、目に見えない心の動きであり、超常的な存在の集合体である。そういった理解し得ぬものとしての概念を、人間は神と呼び、恐れ敬っているはずだ。

 だが、だとすると、彼女の発言は妙だった。

 人という種の勝利を新たな石碑に刻み、守り伝承し続けよ――この言葉は、明らかに帝竜メリュジーヌを討伐したという事実を反映している。現実を追い、対応するというのは、死者や概念には不可能な行動だ。対応と変化は、生きている者にしかできない行動なのだ。

 ならば、とウィルナーは考えた。

 彼女の言う神は、生きているのではないか、と。



 ソラは答える。


「神は実在していますよ。その声も、お姿も、私は知っています。大聖堂にて神の意思を授かるのが、私の務めですから」

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