第38話 お試しの街歩き

 ウィルナーは街にいた。

 彼が街に立ち寄る理由の十割は、依頼を請ける、報酬を受け取る、必要物資を調達するという三つの行動で説明できる。今回の目的は必要物資の調達に分類される行動なのだが、さて、今のウィルナーには普段と異なる状況が二点ほど生じている。

 一つは、目的地。必要物資の調達に行く場所というと、たとえば薬品を取り扱っている裏路地の店舗だったり、容器や燃料といった道具を置いている店がほとんどで、他の場所には見向きもしない。しかし現在ウィルナーが向かっているのは、衣服を販売している店である。

 もう一つは、人数。

 通常、ウィルナーは一人で街を訪れている。ジーヌもぼたんも連れてこない。竜が恐れられている文化の中に竜の少女を連れ込めば騒ぎになるのは明白であり、喋る猪も同様だ。下手に騒ぎを起こすよりは、一人で雑事をこなした方がずっと安全なのだった。

 だが、今日は一人ではない。ウィルナーの隣にはジーヌがいる。

 角や尻尾を隠しもせず、堂々と通りを闊歩している。にも関わらず、街の住人は少女に見向きもしない。角や尾など見えておらず、ジーヌがただの少女であるかのように、一切関心を寄せることがない。


「効果あるぞ! やるな!」

「見えなくなっているだけだから、人や物にぶつからないよう気を付けてくれ」


 喜ぶジーヌに、ウィルナーは念のため再度の注意を伝える。

 確かに少女は角や尻尾を隠そうとはしていないが、隠していないわけではない。仕掛けの元は少女の首に巻かれたネックレス。全方向をカバーするように放たれている光が網膜に焼き付き、少女の姿を上書きするように代わりの映像を投影している。効果は十時間ほど持続して発揮される。

 街の住人から見れば、ジーヌは角や尾のある竜の少女ではなく、ただの女の子なのである。なお、ただの女の子ジーヌは角や尾を取り払っただけではなく、端に近づくほど徐々に紅くなる髪色や燃えるような瞳も人間らしい色に調整してある。つまり、何の特異性もなく純粋に可愛いだけの女の子だ。製作はサイカが担当した。

 眼鏡などの道具を介する必要なく、代替映像を視界に重ねる。

 研究者二人の技術と実地検証で実現した逸品だ。


「街かァ、トラウィス以外の街は初めてだな!」


 通りの真ん中を軽やかにステップ。なかなか見ないハイテンションだ。こんなに喜んでくれるのなら、早々に連れてこれるよう準備するべきだったかもしれない。


「で、どこだよ服置いてるのは」

「こっちだ。次の角をまがってすぐだね」


 楽しそうに跳ねる少女を、お洒落とは縁遠い研究者が先導する。

 ジーヌを連れて、衣服の販売店に向かう。すなわち、此度の必要物資とは、ジーヌの服である。

 別段、街の服屋を探ったところでお洒落ができるわけではない。帝竜との戦いで力を使い果たした人々は、その日その日を生きることで精一杯だ。見た目にこだわった服はなく、どれも服を着ているという体裁を整えるだけのシンプルな物ばかり。だとしても、街で好きに買い物ができる、という状況はジーヌにとっては非常に新鮮で好ましいものだろう。

 新たな行いを経験させ、少女の恋の探究を助力する。研究成果を実際に試す。両者を同時にこなすには街での買い物はとても都合が良い。


「着いたよ」

「うおォ……」


 ジーヌは感嘆の声をあげる。

 品揃えは代わり映えのない単純構造の服ばかりだが、それでも少女にとっては未体験の光景だ。目をきらきら輝かせながら、棚に並んでいる服に近づく。

「触ってみていいか?」と訊いてくる少女に、もちろんと返答する。


「すげぇ、さらさらしてるぜ」


 触り心地に感動のコメントをするジーヌ。そこまで大した素材ではないはずだが、場の空気に飲まれている分の余計な加点が発生しているようだ。

 少女は次々に服を広げ、しきりに感動しながら集めていく。サイズ的に合わなそうな物もあるが、構わず腕に抱いている。このままだと際限なく服を抱え込みそうだったので、ウィルナーはジーヌに提案した。


「試着してみたらどうだい?」

「着ていいのか?」

「ああ。試してみる場所もある」


 ウィルナーの案内で、試着室まで移動する。


「この中で着替えるんだ」

「分かった」


 大量の服を持って、ジーヌが試着室へ入っていく。衣擦れの音を聞きながらしばし待つ。

 少女の着替えを待つ間、ウィルナーは考える。服を選んで楽しむ少女は、まるで本当にただの女の子のように見えていた。幸せそうな笑顔で、過ごしているように見えた。もし仮に、ジーヌから竜としての性質が完全に失われることがあったら、いつでもこんなふうに街の中で過ごすことができるのだろうか。

 ウィルナーはどちらでも良い。元々竜の研究をしたいが為に生まれ育った街を飛び出したようなものだ、今さらその暮らしに憧れを抱くことはない。

 だが、ジーヌは。

 メリュジーヌとしての生を強制されたに等しい彼女は、他の生き方を知らない。ジーヌは帝竜の力を引き継いだ存在ではあるが、帝竜メリュジーヌそのものではない。

 ならば、ジーヌには別の生き方があったのではないだろうか。

 もっと幸せな選択があったのではないか。

 街での買い物を通して、少女の笑顔を見るたび、ウィルナーはそう感じてしまっていた。


「終わったぞ!」


 声掛けと同時、少女が試着室の仕切りを開いた。

 少女は自分の身体よりずいぶん大きめの上着を身につけていた。首の根元に帽子代わりの頭巾部分が付いている商品で、どうやら角を隠せるように大きいサイズを選んだようだった。下半身は短い丈のパンツを選んだようだが、尾に引っかかっていてきちんと履けていない。上着が被さっていてあまり見えないが、なんとなく分かる。後で加工して尾のスペースを確保しなければいけないか。

 試着室の床には、何着も着替えたらしい痕跡があった。その中で特に気に入ったのがこの格好なのだろう。確かに可愛らしい姿だと思った。


「どうだ?」

「とても可愛い」

「だろう! オレもそう思った!」


 試着室を出て、全身を見せつけるようにくるくるその場で回る。その姿だけ見れば、本当に、単なる買い物を楽しんでいる少女でしかない。


「じゃあ、それを買っていこうか」

「他にも欲しい!」

「愛しい君の頼みなら」


 仮定の幻覚を振り払い、ウィルナーは少女に応じる。無意味な思考を放棄して、街での買い物を楽しむことに専念する。



 ×××



「買い物も、動作確認も無事終わったね」

「ああ、満足したぜ」


 両手に袋を抱えたウィルナーと、飛び跳ねながら先を歩くジーヌ。その後、服の試着を続けてもう四着ほど新しい服を購入した。せっかくなのでと食事処に立ち寄り、甘味も食してすっかり満足の様子だ。

 街外れの森に戻る最中、研究者が少女に頼む。


「満足ついでに、もう一か所付き合ってくれないか?」

「どこに行くんだ?」

「東の果てさ」


 ジーヌの疑問に、ウィルナーが答える。

 東の果て。

 そこは神聖なる守護の街。

 人類を守り、生かす、最も強靭にして最も強固な盾。聖教会が世を導くべく建造された世界最大の街。神と祈りを広め、信徒が集った聖街。

 宗教と守護の街、スクルヴァンである。


「私は信徒ではない。君に寄りそう立場だから、何かあれば困ると立ち入るのを控えていた。けれど、住人の目を騙してジーヌを連れていけるのなら、一度くらい行っておきたいんだ」

「面白え、敵陣に突撃かよ!」


 ジーヌは叫ぶ。

 聖教会の本拠であるその街では、竜を討伐した勇者の名を刻んだ石碑が作られ、崇められている。竜を絶対的に敵視し、悪とする世を構築した宗教、その始まりの地こそ聖街スクルヴァンなのだ。

 ウィルナーには敵対するつもりはない。

 が、敵陣、とジーヌが言うのもあながち間違いではないだろう。

 もしウィルナーが竜の研究をしていることがバレれば。もしジーヌが元帝竜メリュジーヌたる存在だとバレれば。どれだけの騒ぎが起きるか想像もできない。


「お前、怖くないのか?」

「聖街の実態を知らないことの方がよほど怖いさ」


 ウィルナーは言った。


「それに、相手はたかが人間だ。君がいれば何ということもない」

「そりゃそうだ!」


 少女が荒々しく笑った。

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